リレー随筆コーナー

皆川達夫先生と中世音楽研究会

 

村上 巌(3期)



皆川達夫先生(近影)
「中世音楽研究会を発足させたいので参加しないか」といわれて「ハイ」と答えたのは1953年、私が塾高3年の夏休み後の頃で、音楽愛好会に入ってレクィエムやミサ曲、オラトリオなどの宗教合唱曲の魅力に強くひかれていた時でした。しかし、発足時の先生のご苦労は大変なものだったと思います。

第一に楽譜の問題です。当時はコピー機などありませんから全てがガリ版刷りで、誰かに頼まなければなりません。また、楽譜の表記法が現代譜と全く違い、初めて見た時には<何だこれは>といった感じで、読み方を教えてもらわなければなりませんでした。

第二に練習場探しです。敗戦後8年、かなり復興してはいたものの、当時の東京でピアノのある小会場を探すのは大変で、週1回の練習場所がしばしば変わりました。

第三にメンバーの確保です。当初は先生の友人や、慶應義塾の大学・高校・女子高の学生・生徒だけで、全部合わせても10人足らず。市ヶ谷にあった臨時練習場近くの陸橋上で、会員募集のビラ配りをしたりしました。少人数の素人集団ですから、声合わせも大変でした。ようやく男女15人程となり、第1回の発表会を渋谷の山手教会で行ったのが54年9月でした。


第1回発表会(渋谷・山手教会)

翌年、霊南坂教会で第2回を、55年6月にはチャペル・センターで第3回の発表会を行い、この時はメンバーも30名程になっていた他、レオ・トレーナー氏のレコーダー演奏も加わりました。しかし同年8月、先生の米国留学が決まり、横浜桟橋から氷川丸で出発されるのをテープで見送った後、中音*1)は一時中断となりました


第3回発表会(チャペル・センター)

その後、私は本社が大阪の会社に就職、東京を離れていましたが、50年から約7年間東京勤務となり、中音が復活して遠山図書館を本拠として週1回練習していることを知り、サービス残業の多い激務の合間に何回かお邪魔し、クリスマス・パーティにも一度出席させていただきました。

また、73年の発表会の時に、私の勤務先が繊維会社であったため、先生から「メンバーにお揃いのガウンのようなものを着せたいので、何かいい布地はないか」と希望され、ポリエステル・タフタ百米を差し上げたところ、誰が縫ったのか、かっこう良くガウンに作りあげて全員が羽織っていたので、多少お役にたてたのかと嬉しく思ったのを覚えております。

78年に、私はまた大阪勤務になっていましたが、当時先生が担当されていた民放の「題名のない音楽会」で、中音が25周年記念として出演していた背景に、以前先生に差し上げた霊南坂教会での第2回発表会の時の写真が、大きく引き伸ばされてステージに吊り下げられているのをテレビで見て、ビックリするやら嬉しいやらの気持ちでした。

その後私は仕事の流れからすっかり関西の住人となり、いつしか中音や中世音楽の世界と疎遠になりましたが、過日ふとしたことから先生が「洋楽渡来考」*2)という大著を上梓されたことを知り、奈良県立図書館にあったご労作を借り出して拝読、既に楽譜も読めなくなっていますが深い感銘を受けました。

これにより日本の中世音楽研究がますます深まり、広められ、愛好者の層も厚くなっていくことでしょう。皆川先生と中音の、今後のさらなるご発展とご活躍を祈りつつ筆を置きます。


編集部注:
*1「中音」は「中世音楽研究会」の略称。現在は「中世音楽合唱団」と正式名称を変更しているが、この略称は不変。

*2「洋楽渡来考」については当ホームページの「楽友会クロニクル」→「音楽愛好会と楽友会の併走時代(1)」に詳述してあります。

*3 皆川先生は上記の他、「楽友会クロニクル」→「楽友会前史(1)」で岡田先生が記述しておられるように、慶應義塾高校の草創期に遠山一行先生に代わって音楽教諭として着任。岡田先生と共に、楽友会創立に若き日の情熱を傾けてくださいました。発会式には顧問として、またその後は会誌「楽友」編集長、監修者として自らも「ハイドンのオラトリオ・四季の解説新・楽友創刊号/52年11月」や「フォーレのレクィエムの解説新・楽友第3号/53年11月」といった楽譜付きの長編を書くなどして、宗教音楽の神髄を教えてくださいました。

 その後のご経歴はあまりにも多彩なので書ききれません。本文記載の「洋楽渡来考」のパンフレットや解説書、あるいはネット上のWikipediaでご参照ください。次のURLで「中音」のホームページを開くと、先生の自伝「龍翁炉辺談話」を読むこともできます。
www.yk.rim.or.jp/~guessac/medtop.html

 ここにはただ、03年に上述の「洋楽渡来考」によって明治学院大学より芸術学博士号を授けられたこと、また今年、第60回NHK放送文化賞を受賞されたという新情報のみ付記しておきます。上の写真はNHKのホームページに載った先生の近影です。(09年5月1日・オザサ)