リレー随筆コーナー

このごろの楽しみ


佐藤 玄(19期)


私は楽友会の卒業年でいえば、昭和49年3月卒の19期ということですが、実際に大学(工学部)を卒業したのは昭和53年3月で、それからさらに1年間教員免許取得のため選科生として大学に籍を置いていました。結局、楽友会の同期生からだいぶ遅れて昭和54年4月に福島県の中学校教員(数学)として採用され郷里に戻りました。人の倍の期間も大学生活を送ることになったのは、何といっても「楽友会」生活を謳歌しすぎて学業を疎かにし、落第を何年も重ねてしまったことです。それほど自分にとっては「大学」=「楽友会」といった感じで、自分の青春そのものといっても過言ではありませんでしたが、その分親に迷惑をかけたことと言ったら今更ながら言葉がありません。

そもそも何事に対しても没頭すると一筋という性格なので、就職してからは人からの遅れを取り戻さねばとの思いもあり、教員としての仕事である学習指導や生徒指導、そして部活動と私なりに突き進みました。学生時代にあれほどのめり込んでいた音楽に関しては、取り組める環境もなかったこともあり、残念ながらほとんど無縁な状態になってしまいました。

そんな教員生活(小・中・高)も30年を超え、定年(60歳)がいよいよ近づいてきた時、当然のことながら退職後の自分の生活目標や趣味などについて考えました。趣味としては音楽への関わりも勿論考えましたが、結局のところ、元来身体を動かすことは好きな私は40歳の頃からランニングを趣味として福島県内各地の市民マラソン大会などに参加していたこともあり、なんと“トライアスロン”へのチャレンジを思い立ちました。このチャレンジは突拍子もないことと家族や周囲には驚かれましたが、長いことトライアスロンをしていた同級生の知人がいたことや、毎夏郷里の猪苗代湖と会津若松市内を会場したトライアスロン大会が身近に開かれていることが、少なからず興味を抱きチャレンジを思い立つきっかけになったことは確かです。

トライアスロン競技は、ご承知のとおりswim/bike/runという種目(距離的にはオリンピックディスタンスと言われるswim〜1.5km/bike〜40km/run〜10kmが一般的)を続けて行うわけですが、市民マラソン大会のようにいわゆる思いつきや冷やかし程度でいきなり大会へ参加することはやはり無謀だと思います。まずは、それなりの覚悟とトレーニングが必要ですが、その前にbike(自転車)などの用具?を揃えなければ練習もできません。大会への参加となれば、自転車もママチャリというわけにはいきませんので、まずは、決して安くはないロードバイクという類の自転車や付随する必要物品を購入しました。さらには、種目の中では一番心配であった水泳をクロールで長い距離を泳ぐことをマスターするハードルも越えなくてはなりませんでした。そのため、毎日でも昼夜利用できる会津若松市内にある屋内プールの年間利用券(パス)を購入しました。そのようにして、自分の生き方が何でもそうであったように、目標に向かって進み始めたら後戻りできないよう自分に仕向けるための環境づくりをしました。

さて、61歳になった1年後の夏、猪苗代湖で泳ぎ、磐梯山を横目に見ながら会津をbikeで疾走し?、会津若松市にある会津大学周辺を走るというコースの「うつくしまトライアスロンinあいづ」という福島県では唯一のトライアスロン大会へ参加し、3時間半かけて何とか無事フィニッシュすることができました。その時のやり遂げた成就感と感動は言うまでもありません。自分もまだまだ出来るという自信もつき、以来毎年参加を続けています(3年前、庭仕事での不注意による左肩腱板断裂の手術のため1回休止)。次なる目標を古希を迎える70歳まで大会へ参加することとし、今年その目標年がやってきたところですが、残念なことに“コロナ禍”のため大会は中止を余儀なくされ、目標の一つが先送りにされてしまいました。しかしまた来年チャレンジしたいと思っています。


(写真@〜山形での大会のフィニッシュ)


(写真A〜地元会津で開催されるヒルクライム大会への挑戦)

ところで、トライアスロンの次の目標を見据え、3年前にもう一つ取り組み始めたことがあります。それは“山歩き”です。今や中高年の登山ブームは一段落はしているようですが、山へ行くとまだまだ中高年の方々は多いように感じます。山は山でも里山歩きくらいで良い年齢ですが、一旦山へ行くと山の様々な魅力に取りつかれ、欲求は果てしなくなるのも性格でしょうがないようです。残された自分の健康寿命などを考えるとあの山もこの山も登っておきたくなってしまい、日本百名山に数えられる福島県内の「磐梯山」「安達太良山」「尾瀬・燧が岳」「会津駒ヶ岳」「飯豊山」「吾妻山」などを手始めに登りましたが、昨年はあこがれの北アルプス「穂高岳」に登って来ました。穂高岳の裾にある涸沢カールの紅葉は日本一と言われるだけあり、さすが見事で感激しました。今年は、「白馬岳」「槍ヶ岳」、来年は「立山・剱岳」「八ヶ岳」なども予定していますが、今年の計画はコロナの影響でどうなるか?心配しているところです。


(写真B〜北穂高岳山頂から槍ヶ岳を望む)


(写真C〜日本一の紅葉と言われる涸沢カールから眺める穂高連峰のモルゲンロート)

私の山歩きは、いつもテント持参の単独行(テント場があるところではテント泊)なので、荷物もその分重くなり、周囲からは危険性も心配されますが、その危険リスクを出来る限りなくすよう事前学習と準備そして体力保持を怠らず、しかしながら決して無理はせず、これからも気力がわく限りまだまだ歩き続けたいと思っています。

教員退職後すぐに隣町の教育委員会で6年半勤務することになりましたが、その任務も今は終え、今は、代わる代わるswim,bike,runのトレーニング?を翌日まで疲れを残さない程度に行ったり、天気予報をにらみながら気ままに山歩きに出かけたり、数年前独学で始めたチェロを弾いたり(本稿ではあまりに恥ずかしいので触れませんでした)と自分が好きなことばかりする生活、これがこのごろの楽しみとなっています。

(2020/8/3)

石塚 伸(21期)君に繋がり1月後に入稿。

    


編集部 毛利君からバトンを引き継いだばかりと思っているところに、佐藤玄君からの原稿が届きました。これから3泊4日で飯豊連峰縦走だそうです。健康的ですね。

バトンリレーは帰ってからかな?

編集部主幹が「楽友」を見ていてくれたら、喜んでメールが来るところです。最近は、もうPCを開かなくなりました。(2020/8/3・かっぱ)


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