リレー随筆コーナー

高校楽友会の想い出


小関 健(高23期)


バトンを託され、何を書いたものかと迷いました。
時事ネタを含みつつ書いてみました。
たわいのない話ですが、読み流していただけたら幸いです。

2020年の大事件!
2020年は、本当ならオリンピックで日本国中が盛り上がっていた時期だったのではないでしょうか。
ところが、気が付けばコロナウィルスが世界中で蔓延し、「緊急事態宣言」という初めての体験をする年となりました。

「STAY HOME」を掲げ、外出を極力避けて感染を拡大させる可能性があるものは極力中止や延期となりました。
オリンピックしかり、学校は休校に、職場はテレワークへと。
そんな中、合唱の世界にも影響がありました。
3密(密閉、密集、密接)を避けるべく、人が集まるコンサートや発表会ができず、当然その練習もできません。

ただ、そんな制約があるときには、新たな進歩や発見もありました。
「オンライン飲み会」しかり、「リモート演奏」もしかり。
まさか、東京と福岡でハモることができるなんて、自分が楽友会で歌っていた時代では想像もできなかったことが実現したのです。
ほんと、すごい時代になったものです。

では1990年頃は?
そこで、自分が楽友会で歌っていた当時を振り返ってみました。1990年前後になります。
TVをつけると数多くの歌番組があり、歌に触れる機会は多かったと思います。
流行っていたソニーのウォークマンも、まだカセットテープ式です。その後、MD式になりました。
MP3対応は、もう少し先の話しです。
お気に入りの音楽を録音しては、電車の中で聞いていました。
カラオケはありましたが、カラオケボックスはまだマイナーです。
というのも、カラオケはまだ8トラックやレーザーディスクを再生する仕組みでしたので最新曲なんてありません。
「これ流行ったよね、懐かしいなぁ」なんていう状況でした。
通信カラオケが実現し、カラオケボックスが急速に流行り始めたのは1992年頃からだったと思います。

なので、多くの人にとっては、歌は「歌うもの」ではなく「聞くもの」だったのではないでしょうか。
私も、「聞くもの」でしたので、まさか自分が歌うことになるとは思いませんでした。
それも、楽友会で3年間、ワグネルで4年間もなんて。

入部のきっかけ
高校楽友会に入ったきっかけは単純でした。
たまたま、同じ塾から塾高に入った友人と、高校でも同じクラスになりました。
その友人が、「とても素敵なお姉さま」に勧誘されて、先に楽友会に入っていました。
更に同じクラスで入部していた2名に脇を固められ、半強制的に練習会場へ。
エレクトーンを習っていたので楽譜は読めましたが、今まで人前で歌ったことなんてありません。
にもかかわらず入部を決めたのは、個性的な先輩方が多く、雰囲気がとてもよかったのが理由でした。
また、大学生のOB・OGの方が気軽によく練習を見に来てくれていました。
こうした人の輪も、楽友会の良いところだったと思います。

尚、私の「とても素敵なお姉さま」に勧誘された友人は、私を含めて3名の入部を成功させました。
当時の1年生の男子は5人で、自主的に入部した1名含めて全員が同じE組でした。
ちなみに、後述の文化祭の発表の場で割り当てられた教室も1−Eの教室で、今思うと何か因縁があったのかもしれませんね。
余談ですが、卒業時の同期は男子8名、女子10名。先日も、オンライン飲み会で久々に盛り上がりました。

文化祭の想い出
小さなグループをいっぱいつくって、ミニコンと称して歌っていました。今でもそうでしょうか。
高校2年生の時、同期の女子のミニコンで「この曲を歌いたいんだけれど、伴奏曲を作ってくれないか」と相談がありました。
当時のCDにはinstrumentalなんてものはなく、だれかに伴奏をお願いするしかない時代でした。
パソコンと言えばNECやIBMが主流の中、YAMAHAが独自規格のMSXを用いた「CX5」というコンピューターを出していました。
このCX5、特に音楽の機能が優れたものでした。
当時のパソコンがピコピコ音しか出せない中、シンセサイザーを内蔵したリアルな音源と自動演奏ソフトがウリでした。
今でいう、「打ち込み」演奏のはしりだったと思います。
私は趣味でCX5を使って「打ち込み」を楽しんでいたので、白羽の矢がたった次第です。
いま思い出すと、かなり稚拙な打ち込みだったと思います。
音の強弱やゆれをいじる余裕もなく、メトロノームで刻んだかのようなひたすらフォルテの伴奏曲ができあがりました。
それでも、文化祭当日に一生懸命に振りを付けて歌ってくれたのを見たときは、感謝と申し訳なさで一杯でした。

もう1つは、連日訪れるOB・OGの多さです。連日30名位はお見えになっていたと思います。
全演奏終了後にお客様をお見送りした後、OB・OGの皆様からご挨拶と感想を頂いていたのですが、皆様お話しが好きでまぁ終わらない終わらない。
最終退出時刻とにらめっこしながら、頭を抱えていたのを覚えています。
ただ、おかげで一緒に歌うこともなかった多くの先輩方と仲良くなることができました。ここも、楽友会の良いところだったと思います。

卒業の定期演奏会とその後
私が卒業した第23回定期演奏会は、芝公園にあるabc会館ホールで行いました。
少しでも多くのお客様に来ていただきたいと考え、アマチュアなのにチケットぴあに出してみたりしました。
ステージは全部で4つ、全て合唱曲でした。なかなか聞くにはヘビーな楽曲だったと思います。

 

肩の荷が下りたというものありますが、閉幕後に舞台の裏でえらく盛り上がりました。
何で盛り上がったのかは、秘密です(若かったなぁ)。
先日、芝公園に行くことがあり、懐かしくてabc会館を探したのですが、今は立派なオフィスビルになっていました。
時代の流れを感じました。寂しいものですね。

卒業時に、部費が余っていました。
還元するだけではつまらないと思い、「何か記念になるものを」と考えてオリジナルテレフォンカードを作りました。
予想外だったようで、配った際にすごく喜ばれたのを覚えています。
私はもったいなくて使わずにとっておいたのですが、使う場所がなくなる時代が来るとは思っていませんでした。
もう、一生このままずっと保管しておきます。

以上、他愛もない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
楽友会はこれからも続くと思います。
コロナに負けず、頑張りましょう!

(2020/7/12)

    


編集部 コロナ騒ぎで楽友会関連の合唱団はすべて練習も演奏会も中止・延期の最中、4月下旬から5月にはリレー随筆の原稿が次々と送られて来て6編を掲載しました。かっぱ編集部管理人は夜なべで「楽友」にアップの作業です。その反動で6月はゼロ、7月も10日が過ぎても静まり返っています。

そこに今日12日に小関 健君から原稿が到着しました。

バトンタッチを依頼したら、断られた。とのメールです。

リレーのバトンを受けずに断る人とはどういう神経をしているのでしょうか。先ずは、12年間続いた「リレー随筆」を読んで見てください。70年の年齢差の楽友たちが、それぞれの時代を背負って、音楽だけに限らず幅広い話が目白押しです。感動しませんか?感激しませんか?

昨今は、Facebookにうつつを抜かし、格調高いHP「楽友」は見たこともない楽友がいます。SNSと「楽友」とを比べるなんて馬鹿げた話はありません。

編集部を預かるかっぱは、皆さんの投稿を掲載しながら涙に咽んでいます。(2020/7/12・かっぱ)


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