リレー随筆コーナー

私のコーラス人生のはじまり


桑田明和(20期)


23期の松山勇仁さんからバトンを受けました20期の桑田明和です。
リレー随筆に投稿させていただけることを大変光栄に存じます。私のコーラス人生の始まりについてふりかえらせて頂きたいと思います。

1.コーラスの世界に入ったきっかけについて
私が高校1年生の時、関学のグリークラブが、私の郷里である広島県の福山に演奏旅行に来ました。姉が関学の英文科だったことで、ある日、関学グリーのメンバーの方が、私の家に演奏会チケットの依頼で来られました。私は当時、体育系でしたので(バスケットボール部のポイントゲッターでした、いやホンマニ)、あまり興味はなかったのですが、母が何枚かチケット引き受けたのでしょう、当日演奏会に、私がバスケット部の先輩と同僚3人を連れて、練習後に福山市民会館(今はもうない)に聴きに行きました。

めちゃくちゃ感動しました。クラシック音楽は好きだったのですが、「コーラスはこんなに素晴らしいものなんだ」と思いました。初めて生で聴くコーラスでしたので、「男ばっかりでよくもこんなきれいな声で歌うなあ」というのが第一印象でした。プログラムは、指揮は北村協一先生、幕開けがヴィクトーリアのミサ曲、続いてスピリチュアルズ、NHKみんなのうたシリーズ、最後が多田武彦の「中原中也の詩から」と覚えております。

なかでも、NHKみんなのうたが一番楽しかったです。団伊久磨の「子守歌」と大中恩の「さっちゃん」が印象的でした。いつもテレビで聞いていた歌が、こんなに綺麗なハーモニーになるんだと感激しました。

メインステージの「中原中也の詩から」では「汚れちまった悲しみに」、「北の海」など、興味津々に聴きました。この詩人のことは、この演奏会で初めて知り、以後、彼の詩集を買いあさり、中也ファンになってしまいました。

あの演奏会を聴きに行ってなかったら、私のコーラス人生はなかったと思います。今、大阪におりますので、関学グリーOBの方々と会う機会はありますが、あの時の私の実家にチケットを売りに来られた、あの「運命の使者」がどなただったか未だ判明しておりません。必ずや見つけたいと思います。

2.パートはベースが好きだった
私の高校の音楽の授業は、ちょっと特殊だったと思います。音楽の授業の殆どは「歌を歌う」ことでした。期末試験や中間試験も歌で評価されました。試験は、その学期に授業で習った歌のうち自分の好きな歌を選んで、先生のピアノ伴奏で歌うものでした。記憶によれば「ロンドンデリーの歌」と”Swing Low Sweet Chariot”を歌ったのを覚えております。後者の時には、先生が、ピアノ伴奏をしながら、途中から一緒に歌いだしたのにびっくりしました。最高の評価をいただきました。これは、まさしく関学グリーの演奏の真似をしたことがその要因だと思います。

私は当時デューク・エイセスのベースの槇野義孝さんとか、ダーク・ダックスのゾウさん(遠山一さん)、クラシックでは大橋国一とか、低音の魅力にあこがれておりました。音楽の授業でのコーラスでは、ベースパートを歌っておりました。曲によって、私が興奮して、ついつい大きな声を張り上げて歌っているうちに、先生にテナーに行くようにと言われてしまいました。更に、私の高校では卒業式に、芸術授業で音楽選択の卒業生たちで、ヘンデルの「ハレルヤコーラス」とシューマンの「流浪の民」を高校のオケで演奏する習わしでしたが、その音楽の先生が、「流浪の民」のテナーソロに、なんとまあ(バスケット部の)私を指名してしまいました。うれしいような、音楽部のテナーの同級生に悪いような気がしましたが、先生に指名されたら仕方ない!レコードを買って研究し、なんとか、うまく歌えました。おかげさまで、一年浪人し「流浪の民」を自ら実践しました。

3.楽友会に入団したきっかけについて
コーラスを好きになったきっかけが「関学グリー」でしたから、慶応に入ったらワグネル男声に入ろうと決めておりました。入学式の後、日吉キャンパスで、いろんなクラブが、勧誘のオリエンテーションで出店していました。ワグネルの出店をやっと見つけて、入部したい意向を伝え、先輩が差し出したノートに名前を書きました。「よっしゃー」と安心して、私の下宿先である「日吉台学生ハイツ」(今はもうない)に帰るその途中、二幸食堂(今はもうない)の付近で、「混声声合唱団 楽友会」の旗が目に入ったのです。「へえ、混声合唱団もあるんかー」と思い、ジロジロ見ながら歩いていましたら、誠実そうな団員の男性に声を掛けられ、いろいろ丁寧に説明を受けました。数多くの有名な音楽家も輩出していることも説明を受け、「あれー、すごいなあ」と思い、ノートに名前を書きました。丁寧に説明していただいた誠実そうな方は、間違いなく、1期先輩の毛利邦明先輩でした(ご本人は記憶にないと思われます)。

次の日だったか、オリエンテーションで、ワグネルの演奏を聴きに行きました。「最上川舟歌」、「やっぱ、ええなあ。」と感じた後、楽友会の演奏に行きました。何曲か聞きましたが「流浪」が一番印象的で、終わってからも「ユッヴィ ファッレラー ユッヴィ ファッレラー」がずっと耳から離れませんでした。

ワグネルへの気持ちを持ちながら、楽友会への入団を決めました。

ワグネルは、OBになって、大阪に転勤した時から、縁あって関西ワグネルOB合唱団にチョコチョコ参加させて頂いております。高校楽友会の亀井淳一さんや高田俊吾さんにお世話になっております。

関西もコーラスが盛んで、現在もいろんな合唱団に参加しております。まだ、しばらく、声が出る間はコーラス人生を継続したいと思っております。

次のバトンは、私の楽友会入団のきっかけの一つとなったオリエンをしていただいた、19期の毛利邦明先輩にお願いしたいと思います。(2020/4/26)

    


編集部 コロナ禍の真っ只中、桑田君からの原稿が届きました。桑田君に原稿依頼のメールを出したのが4月15日でした。10日程で書いてくれました。編集部は「うはうは」です。

4月に入ってから「楽友」の更新は17回です。編集部の爺さん忙しく働いています。校正係の久保さんも読み飛ばすことなく、間違いを見つけて「修正メール」をくれています。(2020/4/26・かっぱ)


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