リレー随筆コーナー

体を自由に動かせる歓び


松山勇仁(23期)


「松山さん、胸椎12番にひびが入ってます」

2018年6月27日17時30分頃、この一言から3カ月余り続く背骨の骨折治療が始まった。

当日は、岡山県の赤坂レイクサイドカントリークラブにて友人3名でプレーをしていた。調子はかなり良く、OUTからスタートして5番ホールまで1オーバーと健闘し、コースで最難関の6番ホールを乗り切れば、ハーフ30台の可能性もあるかなとほくそ笑んでいた。

その矢先、ドライバーでのティーショットを力んで左へひっかけてしまい、ボールはOBゾーンのクリーク(水路)に入ってしまった。クリーク内にはわずかな水しかなかったのでボールを回収できると判断し、クラブを使ってボールを取ろうとしたところ、態勢を崩しお尻からクリークに転落してしまった。

水の少ないクリークのため臀部の打撲はかなり酷かったが、背中の痛みはわずかだったので臀部打撲の影響と判断し、そのままプレーは継続した。しばらくしても背中の痛みが軽減しないため、念のため整形外科で診察してもらった方が良いと考え、ハーフでプレーを切り上げた。

自宅までマイカーで戻り、同級生の整形外科まで700mを徒歩で行ったが、痛みの影響か道中速く歩けない。

整形外科で問診・触診の後レントゲン検査をしたが、そこでは骨の異常は見当たらない。ただ同級生はいい顔をせず、MRI検査をしたほうが良いと判断し、すぐに病院を手配してくれた。どうやって病院まで行くかを問われ、自宅に戻ってマイカーで行くと言ったら、それは駄目だと怒られタクシーを手配してくれた。彼はその時点で骨折の可能性が高いと判断していた。

MRI検査で骨折が判明し、同級生の医院に戻り治療方針を聴く。治療は手術ではなく自然治癒とする。特別な処置はせず、骨折部を刺激しないよう自宅ベッドで安静にすること。ベッドでは仰向けで休み、なるべく寝返りを打たないこと。コルセットが出来るまでの1週間は、トイレのみ歩行可。コルセット装着後の2週目と3週目は、食事のためキッチンへも歩行可。それ以外は移動不可。もちろんPCメールもチェック不可。仕事は1カ月程度休み。

ベッドで安静にしている間は非常に辛かった。たかが1個500円程度のゴルフボールを拾い上げようとしてクリークに転落してしまった情けなさ、安静のため動ける筋力があるけど動けないもどかしさ、仕事を休んだため後輩への負荷を増大させた申し訳なさ等さまざまな想いが頭をよぎった。

体が動かせない時は不安を感じやすいものである。骨折して10日後の7月7日、朝から大雨が降り続いていた。これほど長時間土砂降りが続いたことは初めての経験だった。自宅は岡山市中心部を流れる旭川に近く、ダム放流のサイレンがけたたましく鳴っていた。夜になっても鳴り続けており、かなり気持ち悪かった。岡山は災害が非常に少なく、旭川が岡山市中心部で氾濫したのは1934年の室戸台風が最後であった。我が家は14階にあるので、仮に旭川が氾濫しても部屋が浸水することはないのだが、この体の状態で豪雨の夜を迎えかなりの気味悪さを感じた。今回の豪雨(西日本豪雨)で倉敷市の北端にある真備地区で甚大な災害が発生したのは、記憶に新しいことである。

3週間の絶対安静期間を痛みが発生せずに乗り切り、2週間の安静期間経過後の8月2日に復職した。背骨への負荷を最小限にするため、1kg以上の物を持たない、歩行は短い距離をゆっくり等の条件で復職の許可をもらった。普段会社へは道中1.5kmの徒歩通勤だが、この度はメインをバス、バス停までを徒歩とした。短距離のバス通勤になったが、猛暑の中でもそれほど汗をかかず楽なものだなと感じた面もあった。コルセットが体の前部を胸から下腹部まで装着されているので、体の動きはかなり制約されており業務の遂行には欲求不満が残ったが、少量のアルコールを許可されたので帰宅後の清涼剤となったのが救われた。

骨折から3カ月余り経過した10月3日、コルセットの取り外しを許可され、治療が終了した。これからリハビリの始まりだ。コルセットの締付から解放され自由の身になったつもりでいたが、筋力の衰えは想像以上だった。特に腹筋は全く使っていなかったので仰向け状態から起き上がれない。通常どおり起き上がるのに1カ月半を要した。11月よりジム通いを再開し、脚力の回復にも努めた。一番回復が遅れたのが背筋で、骨折部周辺を含むため慎重に進め、2月後半に可動域がやっと戻った。カイロプラクティックでの施術が特に効果があったように思える。

ゴルフは12月初旬に再開した。復帰戦は岡山カントリークラブの月例で大叩き(109)をしてしまったが、無事にホールアウト出来たので安心した。その後しばらくスコアは低迷していたが、背中の可動域が戻った3月より普段のスコアに戻った。6月26日因縁の赤坂レイクサイドで1年ぶりにプレーした。骨折した6番ホールでは最高のドライバーショットを放って好位置をキープし、一年前の雪辱を成し遂げることが出来た。その後夏場は好調を維持し、所属クラブのスポンサー杯で優勝もした。残念ながら秋口から調子を崩して現在に至っている。

背骨を骨折したけれど後遺症が発生することなく順調に体を動かせているのは幸運だったと思う。体を自由に動かせることのすばらしさをこの度は痛感した。治療してくれた同級生の医師、看病してくれた妻、その他サポートしてくれた方々に感謝を申し上げた。

今後も体力を維持向上させるべく運動を継続したい。ただ、新型コロナの影響でジム通いを3月より自粛しており、その分を後楽園周辺への散歩(速歩)でフォローしている。

妻と共通の趣味である旅行は、主に京都へ行っており、名所旧跡を散策することで目と心が保養される。その上1日15000歩程度歩くので、軽い運動には十分なっていると思われる。ただ、新型コロナの影響でこちらも花見とGWの京都をキャンセルした。

ゴルフについても月に3〜4ラウンドを維持していきたい。ただ、こちらも新型コロナの影響でコンペが中止になっており、クラブ競技の参加とプライベートゴルフが中心になっている。

8年前に初めて参加した楽友三田会新年総会は、旧友と再会して元気な姿を確認できる貴重で楽しい機会だ。一度参加すると勢いがつくもので、最近はおおむね参加している。新型コロナが収束し、来年も安心して新年会に参加したいものである。

次回のバトンは20期の桑田明和先輩に渡しました。
どうぞよろしくお願いします。

    


編集部 4月も半ばになったが、コロナ騒動は何時収まるのか、全ての集まりやイベントが次々と中止になる。先程も5月下旬の「鰻を食べる会」の幹事から中止の知らせが来てサイトに「中止」案内を出したところ。

そこに松山君から原稿が届きました。こんな落ち着かない時期に「原稿書きとは」と思う人もいれば、机の前に座ってじっと落ち着いて書くには丁度よいという人もいます。

松山君は来年の新年会のことを心配しています。(2020/4/15・かっぱ)


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