リレー随筆コーナー

私らしく


路川昌子(22期)


大切なのはなにかひとつ
   好きなことがあるということ
そしてその好きなことが
   ずっと好きであり続けられるということ
その旅程は驚くほど豊かで
   きみを一瞬たりともあきさせることがない
そしてそれは
   静かにきみを励まし続ける
最後の最後まで 励まし続ける

生物学者福岡伸一さんの言葉です。
このバトンを受け取りどうしようと困ったとき、ふとこの言葉が頭をよぎりました。私の65年の人生を支えてくれた、そしてこれからも支えてくれるであろうふたつの好きなこととの出会いを書いてみようかと思います。

 ひとつめは皆さんと同じように歌との出会いです。楽友会でコーラスに出会い、仲間に出会い、音符も読めず音も取れない、でも歌うことが楽しくて楽しくて三度の飯より歌っていたい、そんな学生時代を過ごしました。

そんな私がひとりで歌うことを始めてしばらくしたころ…、出会ったのがバリトンの直野資先生でした。厳しい先生でした。「今まで歌ってきたのだから、もっとちゃんと歌いなさい」それが出会いの日の最初の言葉でした。怖かったですねえ…しばらく震えが止まらなかったのを覚えています。先生の教えは、いままで私が持っていた歌への考えを覆すものでした。声よりもまず大切なのは言葉だと、うそではない本当の心からの言葉だと。形ばかり整えてもそれは本当の歌ではないと。一生懸命心を込めて歌っているのに、それは見せかけているだけ、本当に自分がそうおもっていないと。どうしたらよいかわからないのくりかえしでした。そして思うように声が出ないことばかりに捉われていたのです。たまにうまくいって、もう一度とくりかえすと、「うまくできたからと、それを再現しようとしてはいけない。それはもううそになる。思いは同じでも現れてくるのは新しいものであるはず」と。あああ、どこまでいってもまるで禅問答!

そんなくりかえしで27年、本当によく導いてくださったとただただ感謝です。昨年のこと、他の人と違っても私らしく私なりに歌いたいと、私のつうを歌いたいと、オペラ「夕鶴」のつうのアリアに挑戦しました。、そうそれでいい…そうおっしゃってくださいました。うれしかった。やっとスタートラインにたてたような気がしました。

これからも年に一度の舞台の為に、1曲か2曲を「私は…」を自問自答しながら過ごします。知らず知らずのうちに自分自身と向き合い…そしてそれをするためにいつのまにか必要な声が出るようになり、テクニックが身についていきます。何かを学ぶとき、めざすものは同じでも、アプローチの方法はさまざまです。私は直野先生に出会ったことで、まるで人生を学ぶように歌を学べていることを本当に幸せに思います。そうして出来上がった歌はその時の私そのものです。

 ふたつめは茶との出会いです。叔母が茶道を教え、子供のころから一緒に住むことになったことで、私と茶との関りが始まりました。寺だということもあって、茶は日常のことでしたから、それほど夢中になっていたわけではありません。それなのに、大学卒業の時、皆さんが就職する中、あろうことか茶道の内弟子になる道を選んだのです。今でもどうしてあの時そういう選択をしたのか不思議でなりませんが、それが私の人生の礎となっていきました。

場所は小田原城のすぐ近く、当時一番厳しい先生として有名な業躰先生(家元の右腕として茶道を教える先生)のご自宅でした。もちろん住み込みです。毎日毎日、おそうじ、食事の支度、お稽古の準備、そしてまたおそうじ。まるで禅の修行みたいな毎日でした。一緒に生活している先輩の内弟子さん方のやっていることを様子をみながら、とにかく日々のことをなんとか乗り越えていかなくてはならない生活でした。暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうと風が吹こうと、やらなくてはならないこと学ばなくてはならないことが山ほどありました。私はどうしてこんなことをしているのだろうと後悔にも似た気持ちが湧いてきて、夜、ふとんをかぶって何度泣いたことでしょう…。

一年が過ぎるころ、不思議な感覚になりました。楽しいのです。暑くても寒くてもつらいどころか楽しくて、いつのまにかこの道に生涯をささげてもいいなんて考えるようになり、この先生の下でもっともっと学びたいとそう思っていました。

ところが、2年が過ぎたころ、両親の願いに負けて、先生のもとを去ることになりました。その時、これでお茶はやめる。そう決めていました。どうしてかって…皆さんも経験がおありと思いますが、どんなことでもいい面と悪い面を持ち合わせていて、自分の中でいい面を見ていられれば良いのですが、悪い面のほうに目が傾くとそれはもう自分の中で学びの心がなくなってしまいます。私の茶の心はその先生のほうしか向いていませんでしたから、様々なしがらみのある他の茶はやりたくなかったのです。

結婚し、子供を育て、20年ほどしたとき、思いがけず茶との再会になりました。今まで経験したことのない数寄者の茶の世界でした。そこは流派を問わず、美として茶をとらえる世界でした。大切なのは自分の眼を養うこと。その魅力にすっかり夢中になった私はむさぼるようにのめりこみました。でもやればやるほど自分のできるものではないことを痛感するばかり、大きな壁でした。そんな時出会ったのが、国立博物館の館長だった林屋晴三先生でした。先生のお水屋を手伝わせていただくうちに、また違った茶の世界を見ることになったのです。そこには今も昔も関係なく、普遍的な美があること、今名品といわれるものも昔は新品だったが、本当の美が備わっていたからこそ今存在するということ。今を軽んじてはいけない、今が大切なのだと。目からうろこの思いでした。

そして時を同じくして、もうひとつの出会いが今の私につながりました。その人の茶は自由でした。しっかりした土台に裏打ちされたものから生まれた自由、もてなしはその人らしさにあふれ、古いものも新しいものも関係なくその人の美意識が現れ、何よりその人自身の筋が通っていました。私は私の求める茶はこれだと確信しました。何度も壁にぶつかり、迷ったりあきらめかけたこともありましたが、いろいろな人との出会いが私を支え導いてくれて、そのおかげでやっとたどり着いたものでした。

そして今、私は茶を教えています。いろいろな方に導かれ、その方々から私につながった線をここで止めず、次の誰かにつないでいくために…お弟子さん方が、それぞれ自分らしい茶の道を得て、豊かに人生を感じられますようにと願いながら…

 今、私の中で歌と茶が一つに重なってゆくのがわかります。歌も茶も自身の生き方を映し出すもの、私にしかできない私らしい世界を作り出すこと、そのエネルギーが私を成長させてくれる源になっていることを感じます。福岡さんの言葉のように、これからもずっと励まし導いてくれると思います。

長くなりました。でもおかげさまで、書きながら、あらためて今までのすべてに感謝することができました。何があっても、私らしく生き、学び続けていきたいと思います。ありがとうございました。

任務を終えて、このバトンを大学楽友会で同期の坂本裕則さんに託します。

「一二三四五六七」 井上有一筆

禅語
あたりまえのこと
あたりまえのことをあたりまえにやること。

毎年お正月に掛けるお軸です。

(2020/2/16)

    


編集部 路川さんから便りが届きました。「エッセーを書いて原稿を送る」という知らせです。そのメールで写真ファイルが2枚添付されていました。後日、レターパックで原稿が来ました。当初、手書きと思っていたらワープロで印刷された原稿です。メールに添付してくれると、わたしの作業が楽に早く進みます。

ところが、メールのやり取りしていたのはDOCOMOの携帯でした。PCでメールに添付は経験なし。でも、上手く添付出来てWORDファイルが届き、ありがたや、有難たや。(2020/2/16・かっぱ)


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