リレー随筆コーナー

復活祭のメサイア



塚越 敏雄(8
期)



Georg Friedrich Handel
(1685 - 1759)

私が楽友会に在籍していた7年間(1956年〜1962年)、ヘンデルのメサイアを歌うことはなかった。楽友会のこれまでの定期演奏会の曲目を見ても、他のオラトリオはあるがメサイアは出てこない。初期の音楽愛好会時代に「ハレルヤコーラス」を単独で歌った記録はあるが、メサイアの全曲が取り上げられたことはなかった。楽友会ならずともメサイアを全曲完全に通して歌ったことのある人は案外少ないのではないか。J・エリオット・ガーディナー指揮のCDでは3枚組で演奏時間2時間18分、実際のコンサートでは休憩時間も入れると優に3時間はみなければならない。したがって、何曲か割愛して演奏されることが当たり前のようになっている。
 

東京では上野の文化会館で行われる芸大メサイア(2018年12月で第68回になる)が有名だ。これは朝日新聞文化事業団のチャリティコンサートとして昭和26年(1951年)から始まったものである。この朝日文化事業団のチャリティ「メサイア」が第4回から横浜でも開催されることになった。木のホールとして親しまれている神奈川県立音楽堂が竣工間もない昭和29年(1954年)12月のことである。その後毎年末の慣例行事となり、昭和41年からは県立音楽堂の自主事業となって、今日に至っている。

東京の芸大メサイアは現役芸大生中心で、ここでソロをするのはその後のソロ活動の重要なキャリアにもなっているようだが、横浜のメサイアは神奈川県合唱連盟に所属するアマチュア合唱団が合唱の中心である。そこで、親子孫三代が同じステージに立つというような記録も生まれたが、時代とともに、合唱団の老化が目立つようになり、フェリス女子大の合唱団や高校の合唱団を入れるようになった。

アメリカでは、メサイアの初演がクリスマスシーズンだったからか、メサイアはクリスマスシーズンに演奏される音楽と目され、日本でも、ベートーベンの第九交響曲と並んで、12月の音楽と思われているが、ヘンデル自身はメサイアを、クリスマスシーズンではなく、復活祭と関連づけていた。ヘンデルは、イギリスではまずオペラで売り出したが、その時代のイギリスでは、復活祭シーズンには、オペラなどの娯楽性の多い作品を劇場での上演は許されていなかったところから、その代わりにオラトリオの上演を考えるようになったというのである。つまりオラトリオは、オペラを上演できない復活祭の時期のヘンデルの経済的な支柱でもあったわけである。

このような歴史的な背景を踏まえて、メサイアを復活祭に合わせて演奏しようという企画が生まれ、横浜で「復活祭メサイア実行委員会」が立ち上がった。そして3年間の準備期間を経て、ヘンデル生誕320年記念「復活祭メサイア」公演と銘打って、2005年3月27日の復活祭当日に神奈川県立音楽堂でメサイア全曲の演奏会が開かれたのだった。指揮は小泉ひろし、独唱はソプラノ市原 愛、アルト坂上賀奈子、テノール藤木大地、バス今尾 滋。合唱はこの企画に賛同して集まった横浜中心のアマチュア「復活祭メサイア合唱団」、合奏はコンマスのバイオリン桐山建志を中心にチェロの小泉さんのお嬢さん小泉ユミなど「復活祭メサイア合奏団」である。合唱指揮には、小泉ひろし、金川明裕、桑原妙子、松村努が参加し、全体の運営の中心は横浜混声合唱団が担った。ソロ陣は当時の若手実力者といえよう(2018年のニューイヤーオペラコンサートには市原愛と藤木大地が出演している)。

メサイアといえば、第二部の終曲「ハレルヤコーラス」が突出して有名だが、第三部の終曲「アーメンコーラス」などはハレルヤに負けず劣らず素晴らしい曲である。現在の大学楽友会や楽友三田会合唱団が単独でメサイアを取り上げるのは、ちょっと手に余るかもしれないが、宗教曲が好きな合唱人には、全曲演奏を一度はどこかで経験してみることをお勧めしたい名曲である。2019年はヘンデル没後260年、1742年の初演から277年、英国国王がハレルヤに感激してご起立したという伝説が生まれた1743年から276年である。


注) 藤木大地は数少ないカウンターテナーに転身して、ウイーン歌劇場などにも出演しているが、彼がカウンターテナーになって英国留学から日本に帰ってきて間もなく彼の歌を聴く機会があった。2013年10月6日のことである。この時彼は、ブリトンの英国民謡による歌曲を歌ったが、メサイアのソロをしていたことなどすっかり忘れていた。この文章をかくのに、復活祭メサイアのプログラムを引っ張り出して、藤木の名前を見たときはびっくりした。

女声のソリストにはメサイアのアルトは難曲の一つであり、カウンターテナーが歌うことは、ヘンデルの昔からあったようだが、私が県立音楽堂のメサイアで歌ってしていた時期にも、1997年12月14日は当時もののけ姫で売り出した米良美一が、また2002年12月15日の神奈川県立堂メサイアでは、前年の芸大メサイアでアルトを歌った上杉清仁が歌っている。

(2018/12/22)

    


編集部メモ 今年も10日足らず。今月の編集ノートを6日深夜にアップした後、投稿がぴたりと止まった。何てぇこったと、井谷さんに「代表幹事会議事録」がまだ送られて来ていないので、「如何?」と聞くと「忘れてましたぁ」と直ちに送ってくれました。「部室」にアップしてあります。

「部室」のカギを持っている人は僅かです。楽友三田会の運営に関する文書がしまわれているのが「部室」です。

そんな時に、いい人がいます。塚越敏雄という若い時からの名テノールです。それに、普通部時代から筆の立つ賢者です。彼には「バトンリレー」の義務を課していません。その代り、かっぱの要求に応じて、エッセー原稿を書いてくれることになっています。何カ月も前からの執筆者は何人もいます。が、なかなか原稿は届きません。

塚越敏雄は助けの神です。「暮までを目途に書いておくから」と言っていたのですが、かっぱのメールに即答でした。メサイアについてのお話です。みなさん、「つかごし様さま」です。(2018/12/22・かっぱ)


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