リレー随筆コーナー

最近感じたこと


中濱信生(5期)


先日、義母が102歳で亡くなりました。10年ほど前から老人ホームに入って生活していましたが、頭はかなりハッキリしていて、まだらボケはあったものの、妻との会話ができていたのは幸いでした。しかし、身体の方は寄る年波には勝てず、半年くらい前から車椅子生活になっていました。

その生きざまは、いつも自分のことよりも他人のことを優先して考えるという、私のように下種な人間にはなかなか真似のできないものでした。その生き方は施設に入っても変わらなかったようで、介護士や看護婦さんたちからとても慕われていたようです。

彼らは母の臨終が近いことを知って、次々と部屋を訪れ、母への感謝を口々に(時に涙しながら)語っておられました。彼らの話を総合すると、何かにつけ心から「ありがとう」と言い、職員を大事にしていたようです。また、一度も怒ったり、不平を言ったりした事がないとのことでした。

私も、縁あって特別養護老人ホームの理事長を5年間勤めた経験から、施設職員にとって入居者の笑顔と感謝の言葉が、どれほど彼らの力になるかを知っているので、母は本当に良い入居者だったのだと実感しています。私も80歳になり、遅かれ早かれ人様のお世話になる時が来ると思いますが、その時には周囲の人たちに心を配り、心から「ありがとう」と言うことができれば、と思いました。

そのことを考えていた時に、私が若い頃ある牧師(その人は大学の教授でもあった)に聞いた話を思い出しました。それは、あるサークルの中心的存在だった人物が、「もうこれ以上得るものがないから」と言ってサークルを去っていったという話です。その牧師は「今の時代、人々は得る事ばかり考えている。人間、得るだけでは向上しない。与えることによる人間形成ということを考えるべきだ」と熱く語っておられました。

私たちの世代は皆もう老境に入っており、新しいことを習得することなど不可能な状態です。が、今までに培ってきた知識や能力を与えることはまだできる。もし、身体が不自由になってそれができなくなっても、笑顔と「ありがとう」を言うことは死ぬまでできる、ということを改めて感じた次第です。

(2018年6月)

    


編集部 中濱信生さん(5期)からのWord原稿がメール添付で送られてきました。中濱さん、文書の添付は慣れていないらしく、半信半疑で添付した原稿が無事、オザサ編集部主幹に届きました。

オザサ主幹は中濱さんからの原稿を添付してきたメールをかっぱのところに転送すればいいのですが、

中濱さんに「大丈夫、届いている」という返信メール(その中には中濱さんからの原稿送信のメール文章がつながっている)を転送してきたのです。Gmail環境では添付されていた原稿はかっぱに転送されてこない。

同じことを2度やった。「中濱さんからのメールを、直接かっぱに転送するのだ」と3度目の正直で本原稿が届きました。皆さん、ややこしい話でしょ?

ところで、世の中、自分が得たものを人に与えられない人ばかりがウヨウヨしていると思いませんか?
それがわかる人はこの小文に感動し、私にメールを書いてきました。

中濱さん、義母さまのご冥福をお祈りします。RIP

(2018/6/24・かっぱ)


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