リレー随筆コーナー

斉太郎節

 

橋本 英樹(52期)


「斉太郎節」という曲がある。「さいたらぶし」と読む。有名な宮城県民謡である。

いつの頃から続いているのか私も知らないが、合宿の打ち上げでこの曲を歌いつつ酒を飲るのが、楽友男声の間で脈々と続く悪しき伝統となっている。また、昨年53期の山野井さんたち確か私もが電車内で歌ったエピソードで少々耳目を集めた「演奏旅行」でも、ここ数年この斉太郎節を新潟の人々の前で披露している。もちろん酒は飲まずに、だが。


今回初めてお世話になった上田小学校。ミニコンサート終了後に子供たちが控室まで訪ねてきてくれたので、男声の「斉太郎節」と女声の「となりのトトロ」をその場で披露。
 

私は昨年に引き続き、OB2年目という立場もわきまえず、現役の皆の厚意により今年も演奏旅行に参加させていただくことができた。時間の流れとは恐ろしいもので、なんと私には5度目の演奏旅行であった。今年の新潟は例年よりも雪が少なく、物見遊山の関東者には少々寂しくもあったが、空気の凛とした冷たさと、我々を迎え入れてくれる人の温かさは相変わらずである。

思えば現役の3年生の時の演奏旅行で恐れ多くもソロパートを歌わせていただいてから4年間、斉太郎節を歌いたいがために演奏旅行に参加してきたような気さえする。今ではモーツァルトのレクイエムに次いで愛してやまない合唱曲となった。自分で言うのもいかがなものかと思うのだが、この曲を歌うときだけ私は人が変わったように声を張ってしまう。「私を変えた曲」というより「私が変わってしまう曲」と言った方がふさわしいかもしれない。しかしそれほど、私に歌う自信をくれ、歌う楽しさを改めて強く認識させてくれる曲であった。

 

演奏旅行のメイン、塩沢公民館でのファミリーコンサート後に撮影した集合写真です。白雪姫に出てくる7人の小人に挟まれて両手にVサインをしているのが、恥ずかしながらカメラマンの筆者です。⇒(画像クリックで拡大)
 

そして今年も、斉太郎節を歌った。温かな追い出し状により楽友会から放逐されて以来は合唱から遠ざかっているので、本気で歌うのもまるまる1年ぶりである。ちなみにこの斉太郎節、トップ・テノールは最高で上のラまで実声で出さなければならないハードな曲でもある。それを久しぶりに合唱をする人間が、発声練習もそこそこに一日に何度も歌うものだから、恥ずかしながら最後のファミリー・コンサートでは声はかすれ、裏返りそうになるのを必死で抑えながらの演奏となった。決して上手ではなかった。しかし必死に、あらん限りの力をこめて歌うことができた。魂も若干吐き出してしまったかもしれない。後輩たちの歌声はやはり頼もしかった。1年生も苦労しながらも、最後まで一緒になって本気で歌いきってくれたことが、何より嬉しく思われる。普段は静かな物腰の関屋君の力のこもった見事なソロにも感動するとともに、やはりこの曲には人を変える力が宿っていると確信した。ここで得たであろう自信は、きっと次からの演奏会にもつながっていくと信じている。

そして、その夜の打ち上げでもう一度だけ、いつものように酒を飲みながら皆で斉太郎節を歌った。これが本当に合唱で斉太郎節を歌う最後になるだろう。しかし、この悪しき伝統は確かに次の世代に引き継がれた。私が愛し、歌うことに自信をくれたこの斉太郎節が、これからも現役の皆に愛され歌い継がれることを願ってやまない。またこの曲が、歌うことの楽しさや歌への自信を誰かに伝え、誰かを変えてくれることを、そしてその誰かの力強い歌声を定期演奏会で聴ける日を楽しみにしている。現役のみんな、がんばれ。

バトンは村山祐一(51期)さんにお渡ししました(2009年3月20日)

 
長年お付き合いさせていただいている、全校生徒10名程度の栃窪小学校。今年は児童たちと一緒に校歌を歌いました。一緒にドッジボールをして遊んだり、昼ごはんも食べました。
毎年お世話になっているホテル「シャトー塩沢」で偶然同宿となった幼稚園児たち相手に急遽ミニコンサート。ポピュラーな合唱曲「Believe」を振りつきで子供たちが一緒に歌ってくれたり、楽しいひと時でした。
こちらも長年お付き合いいただいている、比較的大きな塩沢小学校。ミニコンサート後に子供たちが花束をくれました。左が今回の演奏旅行委員長・佐藤幸平君。 
ここ数年、商店街の青木酒造さんで酒蔵の見学やミニコンサートなどをさせていただいています。今年もアットホームな雰囲気の中でミニコンサートを開かせていただきました。ご主人も慶應OBだそうです。