リレー随筆コーナー

『言葉』


柳  紀行(28期)


28期(テナー所属)柳と申します。
現役時代をご一緒させていただいた25期から31期の皆様、大変ご無沙汰しております。

このたびリレー随筆でご指名いただいた27期・高橋俊樹さんには、楽友会卒団後も様々な機会で(偶然、海外赴任先でも)一方ならずお世話になり、今回バトンを受けたことは身に余る光栄ですが、高橋さんの随筆を拝読し、そのあまりに素晴らしい出来栄えにお引き受けしたことを猛烈に悔やみ、しばらく筆を執ることさえできませんでした。

投稿が遅くなりましたことを心よりお詫び申し上げます。

さて、1982年12月3日、郵便貯金ホールに1,200名を超えるお客様をお迎えした第31回定期演奏会で4年間の楽友会“生活”を締めくくって今年で数えて35年になります。


1982/12/3

その前年は、第30回記念定期演奏会。大曲にして難曲といわれる『ドイツレクイエム』に取り組み、当初は悪戦苦闘の連続でした。しかし、最上級生としてこの一大イベントに心血を注がれた27期の皆様、とりわけ不肖の後輩を3年間厳しくも温かくご指導くださったSさんはじめテナーの先輩方をサブパートリーダーとして支え、演奏会の成功とともにお見送りできた達成感は深く心に刻まれております。

しかし、その直後に襲ってきた虚脱感。これから何をすればいいんだろう? そんな迷いの中、心に浮かんだのが敬愛する25期Mさんの言葉「楽友会でミュージカルをやってみたい」でした。そして、このアイディアが同期と29期の皆さんの賛同を得て、定演4曲のうちの1曲に『マザーグースの歌』が選ばれたのです。当日は全員がジーンズにトレーナー姿でステージ上を躍動しながらの演奏でした。合唱としての完成度やパフォーマンスに関する評価は記憶から消えてしまいましたが、第31回だから、28期だからこその『新しい挑戦』であったとひそかに自負しております。

演奏後のロビーでは、駆けつけてくださった笑顔の先輩方と視線が合った瞬間、これで楽友会での役目を終えることができた、と安堵感で思わず涙が出たことを覚えています。同時に「もう混声合唱をすることはないだろうな」とも。

もうひとつ。現役時代は、男声合唱の独特な心地よさと高揚感に魅了され、一時は深刻な“やまい”に罹りました。なかでも1年生の夏合宿で初めて聴いた25期Mさん、永遠の憧れKさん、Sさん、26期Fさんによる男声カルテットの衝撃は、その後の楽友会生活を決定づけた、と言っても過言ではありません。メンバーおひとりおひとりの美声と技が、絶妙な選曲と編曲によって更なる高みに昇華するようで、カセットテープに録音した演奏曲をテープが伸びるくらい何度も何度も繰り返し聴いたものです。

当時、日吉在住のTさん宅に勝手に入り浸っていた28期4人、KY、IT、GTと私は、この究極のカルテットにすっかり感化され、怖いもの知らずと言いましょうか、夏合宿直後にGTが放った「おい、俺たちもやろうぜ」の一言を受けてその場でカルテット結成を決めました。練習よりも先に決めた名前は『ボンバーズ』。これは4人の「寄生」先であったTさんの愛称に因んだものでした。幸いにも今となっては実力を検証する術もありませんが、ともかく4人で気持ちよく歌う、ただそれだけで満足でした。ところが、あまりに早すぎるメンバーの死によってボンバーズはあっけなく終わりを迎えてしまいます。まさに人生の痛恨事でした。

その最後の"ステージ"から20年余。混声合唱はもちろん、違うメンバーで男声カルテットを復活させるつもりも一切なく、歌といえば仲間で集まってカラオケで好きなポップスや演歌で高得点を目指す。数年前には都内某所で歌謡界のある方に、自分の後継者に、と直々に声をかけていただいた時はとても驚きましたが、もちろん実現することはなく、頂戴した嬉しい言葉と名刺を励みに相変わらずカラオケをエンジョイしていました。

今振り返ると“転機”が訪れたのは、一昨年春。究極のカルテットのメンバー・Fさんの『祝賀会』に参加させていただいたのですが、そこで本当に久しぶりに同期が男女4人も集まったのです。ソプラノパートリーダーAさん、副幹事長K(愛称C子)さん、そして指揮者KY。この時、これまで感じたことのない不思議な居心地の良さを感じました。そして今年1月、永遠の憧れ25期Kさんの『壮行会』の幹事を務めさせていただいた時、再び同じ4人が顔を揃えたのです。

この壮行会では、なんと即興で究極のカルテットが復活しました。ぶっつけ本番とは思えない、往時と変わらぬ美しい響きには驚きを通り越して呆然となりました。そこで敬愛する師Mさんから「お前たちもカルテットやれよ」

この一言に背中を押されて、それまで合唱から遠ざかっていたKYと私は「今度は男声ではなく少人数の混声で外国曲を中心に歌ってみよう」と語り合いました。なぜそこまで一気呵成に進んでしまったのか、自分たちにも判然としませんが、ここで折よくAさんから「一緒にやりましょう」とのエール。もはや立ち止まる理由はどこにもありませんでした。(C子さんは仕事の関係で、今は“心の賛助メンバー”ですが、いつか正メンバーになって一緒に歌ってくれる日を待ち望んでいます)

しかし、「やろう」と言ってはみたものの数十年ぶりの混声アンサンブル。しかも、年齢のせいかカラオケでさえ高音が出なくなってきたと自覚し始めた矢先。現役時代、沢田先生(愛称Tっつぁん)にレッスンで褒めていただいた一言だけが支え。果たして満足に声が出るのか、不安が先に立ちました。するとAさんから「あのね、柳くん、人間は50代が一番いい声が出るんだよ。ただし、ちゃんと練習すればね」。楽友会時代からwarm-heart & cool-head。いつも率直な指摘や意見に不思議なチカラがこもっていて反論すらできません。この50代最強説も、ホントか嘘かわからないまま、私は友人に紹介してもらったプロに発声の基礎をチェックしていただき、なんとかお墨付きを頂戴しました。

今、取り組んでいる曲はモンテヴェルディ。各パート1人さえ揃わない状態でのスタートでしたが、徐々に輪が広がり、今は楽友会出身以外のメンバーも4人に増えました。

毎月1回、それぞれ仕事や他の音楽活動との掛け持ちで未だメンバー全員が一堂に会することはないものの、練習は6回を数えて、やっと少しずつアンサンブルの体を成してきた、と手応えを感じるようになってまいりました。

長い楽友会の歴史上、空前にして(恐らく)絶後の「譜よみのできない技術委員長兼パートリーダー」だった私は、現役当時KYの吹くピアニカで覚えた音階を、今回はAさんの弾くピアノをスマホに送ってもらって聴いています。そして昔と同様、難しい理論や解釈はすべてAさんとKYに任せて、ひたすら楽しく歌わせてもらっています。

こうして振り返ると、恥ずかしながらちっとも進歩がない。合唱を再開できたのも、ただただ皆さんのお陰、と感謝しかありません。それに報いるためにも、まずは自パートに集中して完成度を高めなければなりません。現在の自分に点数をつけたらせいぜい往時の60点くらい。50代最強説を信じてまだまだ“伸びシロ”があるはずと思っています。

このお目汚しの随筆を読んでくださって、もし、この歌の会(カルテットの時とは真逆で、まだ名前がついていません!)に興味を持ってくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ一声かけていただきたく、この場を借りてお願い申し上げます。

最後になりますが、人生の折々に様々な方々からかけていただいた「言葉」、何気ない一言から熟慮を重ねたものまで、いつも「言葉」が自分の原動力、推進力になってきたことを改めて実感します。それらひとつひとつを楽友会からいただいた宝物と思って大事にしていきたいと思います。本当にありがとうございました。そして皆様、これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

尚、この随筆は、あくまで個人的な記憶のみに基づいて書きましたので事実誤認や見解の相違がありましても、どうか戯言と笑ってお許しいただけましたら幸いです。

大事なリレーのバトンは、29期・田口 章さんにお願いいたしました。

(2017/10/5)

    


編集部 2箇月間、届かなかった随筆原稿が、何と今週は1日置いて2通が届きました。珍しいことです。編集部は一日に10編届いてもOKです。じじいの仕事は早いことで有名です。9期の山内は「わかGのセッカチ」と言いますが・・・

柳君、Wカルテット?を大事に育ててください。(10/5・かっぱ)


FEST