リレー随筆コーナー

「皇太子の初恋」考


 塚越 敏雄(8期)


楽友会三田会合唱団が、2017年度の定期演奏会でThe Student Princeを新編曲で取り上げる、ということが楽友三田会報2017年5月号に出ていた、MMC代表の言によれば、「このミュージカルは何人かの団員にとっては学生時代の甘酸っぱい思い出が詰まった作品」とのことだ。私には甘酸っぱい記憶はないが、楽友会がこの曲に最初に出会ったことに関係した一人として、その頃の思い出を書いてみよう。


早稲田学院・共立学園・慶応義塾
三高校合唱サークル第3回定期演奏会
1958.9.7目黒公会堂

時は今をさかのぼることざっと60年。1958年の夏のことだった。当時の楽友会は大学と高校・女子高の合同合唱団で、冬の定期演奏会は混声ステージ二つ(岡田先生と学生指揮者によるもの)と男声、女声合唱の4ステージ構成だった。このほかに、高校楽友会としての男声、女声、混声の活動もあった。この年7年制女声合唱の指揮をしていた若杉弘さん(当時芸大の二年生)が高校混声の練習場に持ち込んだのが、伊藤栄一編曲の混声版「学生王子」だった。8月の暑いさなか若杉さんのピアノで冷房など無い日吉の高校音楽室で練習をした。本番は当時中目黒にあった目黒公会堂。9月7日の三高校合唱サークル第三回定期演奏会だった。本番のプログラムの指揮は鈴木光男とあるが、ピアノ伴奏者の名前はない。写真には見覚えのない顔があるから、若杉さんの紹介できたアルバイトかもしれない。この演奏は大変好評だったようで、その後の春休みの大学だけの演奏旅行でも取り上げられた(1961年の尾道・徳山・宇部)。しかし、楽友会で最初に学生王子を歌ったのは高校楽友会なのである。ついでに言うと男声合唱版を日本で初演したのは慶応義塾ワグネルソサイエティである。1960年の第85回定期演奏会で北村協一編曲の男声版を畑中良輔さんの指揮で取り上げている。曲目は我々と同じである(ワグネルのHPで確認)。高校楽友会は混声版ではあるが、ワグネルより早く歌っているのだ。

ところで、「皇太子の初恋」という題名は、1954年のアメリカ映画The Student Princeの邦題である。日本での公開は翌年4月だが、邦題が「皇太子の初恋」となったのは、当時皇太子だった今上天皇のおめでたが関心を集めていたからとの説もあるが、軽井沢のテニスコートでの美智子様との出会いは1957年のことだから、この説はちょっと怪しい。  

映画はかなりヒットしたようで、インターネットの記事によると当時大学のグリークラブがこぞって学生王子を取り上げたとある。しかし高校二年で合唱をはじめたばかりの私には、よその大学の演奏会まで手が回らなかったから、若杉さんに紹介されるまでこの曲を知らなかった。セレナーデのソロを仰せつかった時に、あわててレコードを探すとEPレコードでジャン・ピアースが歌ったのにめぐり会った。映画で王子役の歌をアテレコしていたのは、当時アメリカで人気のマリオ・ランツア(1921〜1959)だったということは、後に楽友会の菅野先輩に教えてもらった。先輩によると最初はマリオ・ランツアが主役の王子役をやることになっていたが、太りすぎて声だけの出演になったという。ついでに触れると映画の中で歌うセレナーデの歌詞は、ブロードウエイで上演されたときのものとは一部違う。インターネットの「映画Com」には「ヴィルヘルム・マイエル・フェルステルの『アルト・ハイデルベルヒ』に基いてドロシー・ドネリーが台本と詞を書き、シグモンド・ロンバーグが作曲したオペレッタの映画化で、〜中略〜皇太子の歌はマリオ・ランツァの吹込みである」という紹介があり、他のブログもオペレッタとしているものが多い。

これは、英語版のWikipediaが4幕物のオペレッタと書いているからか?中には「ウイーンで上演したのをアメリカに持ち込んだ」と書いたブログもあるが、これは誤り。作曲者のシグモンド・ロンバーグはハンガリー生まれのユダヤ系移民として米国に渡るが、The Student Princeを発表したのは1924年のブロードウエイであり、ミュージカルとして扱われることも多い。ブロードウエイでの初演から608回という公演数は、有名なショーボートの572回を上回っており、ミュージカルとして扱うほうがいいのかもしれない。(ロンバーグの伝記を映画化した「わが心に君深くDeep in My Herat1954年製作」は日本でも公開され、数年前にNHKBSでも上映されたが、このなかでブロードウエイの舞台が再現されている)

このミュージカルの原作の戯曲「アルハイデルベルク」は、日本では1912年松井須磨子がヒロイン、ケティ役で初演され、その後も何回か新劇界では取り上げられている。岩波文庫(赤版)に翻訳が収録されているが、私は小学生のころロマンスという大衆雑誌に出ていたのを読んだ記憶がある。

1931年には宝塚少女歌劇団が「ユングハイデルベルヒ」として上演し、その後も繰り返し上演されたという。1977年には日生劇場で大竹しのぶと中村勘九郎によって「音楽劇 若きハイデルベルク」として上演された。

ロンバーグのミュージカル「学生王子」は1975年に東京二期会が岩谷時子の日本語訳を郵貯会館で上演しているというが、私はこのとき栃木の田舎で工場建設の真最中で残念ながら見ることはなかった。

今手元には残念ながら1958年当時の楽譜がない。今の家に引越しした時には持っていたが、地元の合唱団に面白い曲があるよと提供して行方不明になってしまったからである。どなたか当時の楽譜*をお持ちなら拝借したいと思っている。そして伊藤栄一編曲版の混声バージョンの日本初演**は何処の合唱団だったのかご教示頂ければ幸いである。

(2017/7/9)

    


編集部 筆者の塚越君とは普通部1年からの同級生、しかも普通部最初の日に担任から級監(6人位のクラス委員)を仰せつかった同士で、席も最後列の隣同士だった。二人で普通部の屋上に上がり語り合った思い出がある。何を話したのかは、まるで憶えていない。64年も前のことだった。

先日の現役OBOG交歓会で「原稿な・・」の一言で届いたのが本稿である。有難い随筆ライターだ。普通部時代から並外れた筆力の持ち主で知識の量も質も半端ではなかった。塚越自身3回目のリレー随筆だが、バトンを渡す相手が見つからない間は自分で書くという契約なのである。

塚越と学生王子のソロ曲「セレナーデ」は古い人にはよく知られた話だ。我が家で赤松蕎麦賞味会をやったとき、赤松さんはセレナーデの譜面を持って来て塚越に歌わせた。これが高じてRed Pinesという後期高齢者バンドが出来て、赤松ちゃんの郷里北関東のホテル・施設などでライブを始めた。


赤松蕎麦賞味会(2013/12) そば職人⇔ピアニスト

この1958年の三高ステージで指揮をしているのが鈴木光男だと書いてある。愛称はケッケ。「けっけっけ」って笑うからこう呼ばれる。ケッケと私はフォーフレッシュメンのテンションコードに興味をもち、和音進行のお勉強をしていたのを思い出す。ケッケはその成果を楽友会では生かせないので、大学になって2年目くらいの時、KBRのカルア・アイランダースに入ってウェストコースト・サウンドをハワイアン・ソングに持ち込んで皆を驚かせた。これがきっかけとなり数年後にカルア・アイランダースはハワイアンから脱皮しモダンポップスコーラスのバンド、ザ・カルアに変身した。カルアという名前だけ残したのだろうが、カルアというのは「南海」という意味。「ザ・南海」です。(7/9・かっぱ)


この記事を読まれて感動し、手元のレコードの写真をメール添付で送ってくれた人がいます。宝塚に在住の飯田武昭さん(6期)からです。

塚越さんの「学生王子」の記事がリレー随筆に前後して掲載され、小生もこのミュージカル(オペレッタ?)に、当時大変興味があり映画「皇太子の初恋」「わが心に君深く」も見たし、レコードも買ったのでじっくり読ませて貰いました。
大変、しっかりした内容のエッセイと思いました。
当時、買ったレコードのジャケットの写真をこのメールに添付しますので、塚越さんに会われたら、よろしくお伝えください。
Drink Drink Drinkやセレナーデ、わが心に君深くなどの曲は大好きです。

 
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(2017/7/30)


遠藤琢雄さん(7期)からの注釈:

*) 当時の楽譜を持っているが、変色していてボロボロの状態。

**) 混声合唱バージョンの日本初演については、1958年6月18日、日本青年館ホールでの青山学院大学グリーンハーモニー合唱団第4回定期演奏会だと思います。当時の常任指揮者が混声合唱編曲者の伊藤栄一でした。

(2017/9/27)


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