リレー随筆コーナー



歌を歌うのはわすれても

 

梶田 桃代(53期)


先日、高校1年生になる従姉妹が音楽の授業で習ったといって、2006年度NKH合唱コンクール課題曲「虹」を口ずさんでいました。楽友会に所属していた頃一度コンサートで歌ったことのある曲だったので、懐かしい気持ちで耳を傾けました。

大学の4年間、楽友会は私の生活そのものといってもよいほどで、週3回の練習に参加することはもちろん、練習の場を離れても私は常に楽友会のメンバーと共に行動していたような気がします。今思うと恥ずかしい話ですが、パートさえ揃えばそこが教室だろうと道の真ん中だろうと構わずこっそり歌いだしていたくらいでした。

あの頃は、食べるのと寝るのと同じくらい歌を歌うのが当たり前で、好きも嫌いも分からなくなるくらい楽友会の人たちの傍にいました。うまく歌えない自分に悔し泣きをして、仲間と意見が違えば何時間でも話しあって。4年間に渡る日々の中で、不器用だった私達は意味もなく傷ついたり傷つけたりを繰り返しました。でも結局手を放すことなどできなくて、私はずっと楽友会と共にいました。いやだって嫌いだって何度口にしたか分からない程なのに、それでも気がついたらまたいつものメンバーと口ずさんでふざけあって笑っていたのでした。

「楽友会から離れるなんて、なんか全然想像つかないね」楽友会を卒団する少し前に、よく同期のメンバーとそう言いあっていました。卒団しても結局毎週のように私たち遊びそうじゃない? なんだかんだいってずっと歌い続けそうな気がするね。卒団してもまた絶対みんなで集まろうね! 私達は当たり前のようにそう約束しました。

そして、楽友会を卒団してからもうすぐ1年がたとうとしています。同期のメンバーは皆それぞれの場所でそれぞれの新たな生活を営んでいます。私は東京の企業に就職しました。毎日が分からないことの連続で、覚えるべきことが山のようにありました。目の前のことを必死にこなしているうちに、いつの間にか私にとって歌うことは当たり前のことではなくなり、楽友会という響きすら耳にすることは滅多になくなりました。

ついこの間、仕事で帰りが遅くなった夜、ふと真っ暗な空を見上げて、そういえば楽友会にいた頃このくらいの時間までよく練習していていたなと思い出し、なんだか不思議な気持ちになりました。あの頃はどうしてあんなに夢中になっていたのだろうとか、あんなに大好きだった歌と楽友会を、どうして今はこんなにあっさり過去の記憶にしてしまえているのだろうとか。

あの頃の私と今の私は全く同じ人間のはずなのに、同じ場所に立ったとしても、あの頃見ていたような景色を、今の私はもう二度と見ることが出来ないだろうと思いました。悲しいというよりも、それは私にとってただただ不思議な現象のように思えました。

でも、練習帰りの真っ暗な道、みんなで能天気に歌を歌った夜のことを思い出すと、今でもなんだか嬉しいような楽しいような気持ちになります。歌うことに夢中だった気持ちを忘れてしまったとしても、また、楽友会で歌ったたくさんの歌、楽友会で起きたたくさんの楽しかったことや悲しかったこと、それらを全て忘れてしまったとしても、私が楽友会の人たちと4年間を夢中で過ごしたことは紛れもない事実です。歌を歌うのは忘れても、自分の好きなことに真っ直ぐに生きていたあの日々は、私の中に確かに残るのだろうと思いました。

 「僕らの『出会い』を 誰かが『別れ』とよんだ」

従姉妹が口ずさんだ「虹」の歌詞を私は静かに思い出しました。楽友会で出会ったたくさんの仲間と、たくさん出来事。でも別れのない出会いなどなく、これから先もう会うことのない人、思い出すことのない出来事も、きっとたくさんあるのでしょう。でも、一つひとつの出会いに精一杯向きあって生きたのならば、たとえサヨナラをしても、それは決して無駄ではないのだと思います。時が過ぎ、いつかどこかで私達はまたお互いのことを懐かしく想い出す日がくるのでしょう。

 「僕らの『別れ』を 誰かが『出会い』とよんだ」

会社帰りの夜の道で、私はこっそりと口ずさみました。歌うのをやめて久しくなった私のかすれ声に混じって、懐かしいみんなの歌声が、聞こえたような気がしました。

(バトンは同期の竹谷未希人君にお渡ししました/08年11月)