Editor's note 2021/4

メキシコのコーラス・グループ

Trio Los Panchos

先月は、珍しいメキシコの作曲家が登場しました。1944年に結成されたトリオ・ロス・パンチョスは世界中に知れ渡ったトリオでした。日本でもラテンのバンドやコーラスが誕生しましたが、彼らはすべてムード歌謡の世界に入って行き、テレビのヒットパレード番組なんかで歌っていたのを憶えていませんか?有馬 徹とノーチェ・クバーナなんてラテンのビッグバンドでした。マンボNo.5なんて毎週やっていました。


Johnny Albino   Chucho Navarro   Alfredo Gil

50年代の中頃、日本でもラテンアメリカの歌が聞こえてきました。べサメ・ムーチョは誰もが耳にした歌です。

初来日は1959年でした。この時、アイ・ジョージが前座でデビューしたのです。このメンバーになって間もない頃でした。チューチョ・ナバロとアルフレッド・ヒルは1944年からのオリジナルメンバーです。ニューヨークで結成されたというのが面白いでしょ。ジョニー・アルビノ(1st Voice)は58年に加入しました。

私がパンチョスの歌を初めて聴いたのは50年代中頃、普通部・高校の頃です。そんな頃、英語の歌だけでなくスペイン語やイタリア語の歌を歌いだしました。

べサメ・ムーチョの次に日本でヒットしたのは「キサス・キサス・キサス」です。60年に「その名はフジヤマ(Se llama Fujiyama)」を彼らが書き、アントニオ古賀がこの歌を歌ってデビューしました。古賀政男の弟子です。

「ある恋の物語」も身に沁みついた歌。親友の結婚式でギターを弾きながら、この歌を披露したのを思い出します。

1987年には、アルゼンチンで国際学会が有り、その帰り道にメキシコに立ち寄ったのです。アルフレッド・ヒルのようなレキント・ギターを買おうと思って寄ったのです。

1981年にヒルが引退し、2人になってLos Panchosとなったとか。現在は、3人になっているらしい。


2021年現在

真ん中にいるのはChucho Navarro Jr.で、息子が後継ぎをしている。すばらしい!

Los Tres Diamantes

パンチョスの成功を見て1948年に対抗するにふさわしいトリオ、Los Tres Diamantesが結成されました。まさに名の通りダイアモンドの響きでした。確かメンバー交代のないまま50年続いたグループだといいます。

パンチョスのように日本に来ていたのかどうか、記憶にありません。・・・誰かみたい・・・

でも、よーく知っているのは来日したからなのかも知れません。顏もよく憶えていますから。


Enrique Quezada   Saulo Sedano   Gustavo Prado

私が痺れたのが「青い月影(Luna Llena)」でした。

 

今でも、歌えと言われれば歌っちゃいます。歌詞も憶えています。

当時、メキシコのラテン曲と思っていたのが、何とEliot Daniel詞、Johnny Lange曲の”Blue Shadows On The Trail”というカントリー・ソングでした。これは、後になって知ったこと。

Trio Los Paraguayos

60、70年代はラテンのトリオがよく来日してきましたね。パラグアイ出身のメンバーのパラガヨスが日本の歌をレコーディングしました。

今どき、こんな時代があったとは想像ができないと思います。

メキシカン・ボレロを歌うトリオは、その後も続きますが、パンチョスやディアマンテスのようなトリオはなかなか出ません

赤坂のAMBEでは、オーナーの萩原さんがメキシコや中米にトリオを探しに行き、日本に連れてきたのですが、90年代には段々いなくなってしまったと話していました。

メキシコではマリアッチ・バンドが盛んになり、ラッパやヴァイオリンまで入った賑やかなバンドです。

現在、日本で誰もが知るラテン・トリオがいるとは思えません。アンベでは、日本人のトリオ・ペペスというトリオがライブをやっているようです。

(2021/4/7)


編集後記 編集部校正係の久保ちゃんも、「ディアマンテスは来日したはず」とのコメントです。ネット検索してみたら71年に来日記念盤が出ていました。(4/6 21:00)

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