Editor's note 2020/12

掲示板(BBS)は
何のために誰のために

HP「楽友」の掲示板(BBS)を見たことがありますか?書き込みをしたことありますか?

昔々、恋文横丁にあったジャズレコード喫茶「デュエット」にかっぱを連れて行ってくれたのは、7期の野本陽一さんと栗原和男さんでした。ジャズに詳しい先輩がいて、私は高校生の頃から鍛えられました。

そんなジャズ坊やが、爺さんになって書いたホームページ「ジャズにまつわる話」は、世界中の人が見てくれました。1998年に公開しました。「ジャズにまつわる話」で検索してごらん。

そして、BBSには、有名なジャズ歌手やミュージシャンが書き込んでくれました。

カラー写真は生存者、モノクロは物故者(2020/12/7現在)

Don Cornell

I'm Don Cornell, performer of Mama Guitar.

「私はMama Guitarを歌ったドン・コーネルです」という書き出しでメールをくれました。私のHPが公開されて間もない頃です。

「今では、フロリダに住み、近郊のクラブでスタンダードを歌っています」
「CDも出していますから、是非、聴いてください」

ニューヨークのブロンクスの生まれで、古くはレッド・ニコルスの楽団のシンガーでした。2004年に85歳で亡くなりました。


Salena Jones

サリナ・ジョーンズも自分のことが書かれているページを見つけて、メールを書いてきました。

Hi, this is Salena Jones.

その後、来日するたびに会うようになりました。

そんな話は、サリナのページにまとめてありますので、そちらをご覧下さい。20年以上の長い付き合いで兄妹のようです。

サリナ・ジョーンズにまつわる話


Craig 'Big-T' Thompson

ダラスに住んでいる通称”Big-T”と呼ばれるシンガーがいます。彼も「日本に行ってライブをやります」と知らせてきました。本当に来ました。マヌエラで歓迎会を開いてやりました。みんなを引き連れてライブにも行ってやりました。

「お父さんかお兄さんのようだ」と言っています。

シナトラやハリー・コニックJr.などを模したビッグバンド歌手です。ダラスには自分のフルバンド、Bada-Bingsを持っています。

海兵隊時代にはミサワ基地にいたのですが、相撲をとっていてアメリカ代表になって、国技館で国際相撲大会にも出場しました。2018年7月に53歳で死去。

クレッグ・トンプソンのページ


David Hansen

Original Dixieland Jazz Bandという歴史的なバンドが、ニューオリンズにあります。

現在は創始者の息子のJimmy La Roccaが後を継いでいるのですが、私が書いたこのバンドの物語をマネージャー兼ドラマーのDavidが見つけて、礼状をくれました。

David Hansenのページ


Jimmy La Rocca

リーダーのJimmy La Roccaからもメールが入りました。

まだ、会った事もないのですが、互いに季節の挨拶などを交換し合っています。

ODJBのページ


Janet Seidel

西蔭嘉樹という招び屋がいました。彼が呼ぶタレントの一人でした。毎年、シドニーからやってきて弾き語りを聞かせてくれました。

彼女のVocaleseは上品で素晴らしい出来でした。自分の作詞もありました。Nat King Coleの”Just You, Just Me”は舌が回らないほどの歌詞が詰まっています。聞き取れません。すぐにメールで教えてくれましたよ。日本に来るたび会いに行きます。

2017年8月、62歳で死去。

Janetのページ


John Mills II

ミルス・ブラザースはジャズコーラスの故郷です。オリジナルの兄弟はみんな亡くなりました。Donaldの息子、John IIがミルス・サウンドをエルマー・ホッパーと二人で継いでいます。

ミルスのHPがあるのですが、出来たばかりの頃、ショップのページが上手く機能していませんでした。そこで、「壊れているぞ〜」とメールを出したところ、返事をくれたのはJohn Mills IIでした。そして、ミルスのCDを2枚プレゼントしてくれました。

その後、2005年10月に日本に来たのですよ。われわれは旧知の友のように会いました。エルマーも一緒です。

Mills Brothersのページ


Elmer Hopper

サックスの芦田ヤスシさんの記事は、ミルスのページに出てきます。それをElmer Hopperが見ていたのです。

Elmerは分裂したプラターズの一つにPaul Robiのプラターズがありました。そこで21年間、彼はリードを歌っていました。そんな時代によく日本に来ていて、芦田さんとは一緒にやっていたというわけです。芦田さんの連絡先が知りたいといって、メールが来ました。芦田さんにお断りして、住所と電話番号を知らせてやりました。

99年からミルス一家になりました。

2019年5月、63歳で死去。


Jimmy Webb

1967年に「恋はフェニックス」という邦題のついた”By The Tmie I Get To Phoenix”という歌を書き、グレン・キャンベルが唄って大ヒットとなりました。

翌年には”McArthur Park”をアイルランドの俳優、リチャード・ハリスが唄って話題になりました。この頃から、このロックのソングライターのサウンドが私の耳にとりつきました。

何十年も経って彼のホームページが出来て、そのゲスト・ブックに記帳しました。そうしたらご本人からメールが飛び込んできました。今でも現役でライブ活動をしているのです。新しい歌も書いているのです。

先日もNew Albumnが発売されたとメールで知らせてきました。

McArthur Park


Larry Dunlap

2003年にPhillip Morrisのパーティに招待されて一度だけ日本に来ました。その時、今はないCozy-Lで一晩のライブをやることになり出会いました。旦那がピアノを弾き、カミサンが歌います。

旦那のボーカルがまた素晴らしい。さらに二人のDuetは秀逸。あまりに面白いので、つぎつぎリクエストしました。

その中のBlue Monkは極め付けでした。歌詞のない譜面はいくらでもあるのですが歌詞の書いたものがありません。

Larryはアメリカからメールで歌詞を送ってきました。

それから何年か後に、ライブの録音を1コーラス添付してきました。

「これだけ聴けば、お前さんなら全部わかる」って。

毎月のようにライブ案内が来ます。

Blue Monk


Bobbe Norris

Norio Maeda

突然、前田さんからメールが飛び込んできました。

グッドマン楽団のクロージング・テーマに使われて有名になった、ゴードン・ジェンキンスの”GOODBYE”にまつわる不思議な話があるのですが、それを知っているかという問い合わせメールでした。

驚きましたねぇ。大音楽家からの質問メールが爵士楽堂のところに来たのです。後日、マヌエラでお会いしました。興に乗って、きわめてユニークなスキャットでベースとドラムを相手に4Barsを始めました。みんなを大笑いさせました。

その顛末は、第3章の1ページとなりました。 

「ゴードン・ジェンキンス問題」

2018年11月、83歳で死去。


Paula Kelly Jr.

Elmer Hopperが「Paula Kellyは知っているか」と尋ねてきました。グレンミラー楽団のモダネアーズのPaula Kellyの娘で、お母さんの後を継いでモダネアーズを現在まで続けています。

日本のMixiのようなメンバー制のFacebookというもともとハーバードの学生が作成したコミュニティ・サイトがありますが、そのサイトでエルマーは最近ポーラと友達になったのです。それで、「お前さん、ポーラを知っているだろう?」と照会してきました。モダネアーズのページも書いていると返信したところ、ご当人、ポーラから次のようなメールが来ました。

Dear Mr. Wakayama,
Thank you for including us on your home page.
Sincerely,

Paula Kelly, Jr

2012年4月27日に亡くなっていました。そのことを2年後まで知らないままでした。寂しくなりました。

Modernairesのページ


Neil Teixeira

2011年にNeil Teixeiraがボサノバ誕生の日の様子をメールで書いてきました。

In 1962, Rio de Janeiro, “Os Cariocas” had an important participation in the memorable show “O Encontro” (The Meeting) with Tom Jobim, Joao Gilberto and Vinicius de Moraes, at the night-club “Au Bon Gourmet” In Copacabana, which marked the real beginning of the bossa-nova style. It was in this show that most of Tom Jobim’s hits were first performed. The girl from Ipanema had this introduction.

このグループが歌う「イパネマの娘」にはVerseがついています。それは、Antonio Carlos Jobim, Joao Gilberto and Vinicius de Moraesの3人の会話をそのままVerseにしたものだったのです。

Os Cariocasのページ 


Gina Eckstine

Gina EckstineはMr. Bで一世を風靡したバリトンボイス、Billy Eckstineの娘です。Elmer Hopperが2010年8月のミルス・ブラザース・コンサートでジーナとデュエットで”Passing Strangers”を歌ったとU Tubeにアップしました。

この歌はジーナの父であるビリー・エクスタインが生涯兄妹として過ごしたサラ・ボーンとの1957年のヒット盤です。早速、この歌を紹介するページを書きました。そうしたら、ジーナが喜んで返信をくれました。

"Thank you. This is so nice! So very special...Thank you. Just a little correction if you don't mind...Dad discoverd Sass at amateur night at the Apollo Theater. He was with the Earl Hines Orchestra at the time. They already had a girl singer ,so Sass joined the band as second pianist. Later she took the girl singers spot. Later, when Dad formed his own band, Sass came with him. They were like brother and sister for the rest of their lives. I hope you don't mind, but that's the real story."

Julie Dickinson

モダネアーズの3姉妹、長姉Marthaが2006年に亡くなり、次女Paula Jr.が2012年に亡くなり、三女のJulieだけが残された。

日本に住むMike Priceとの写真がFacebookに出た。びっくりして書き込みをしたら返事が来た。

Thank you Mr. Wakayama San. Would love for you to hear our group now. We are very proud to carry on the family traditions of great harmony and great music. We would love to put together a tour in Japan with my dear friend Mike Price and his Big Band.

Julie Dickinson Lancaster

Daryl Sherman

ニューヨークの弾き語り、Daryl Sherrmanは2012年暮にから2013年2月まで来日し、月曜から土曜まで代官山のタブロー・ラウンジで弾き語りを聞かせてくれました。それ以来、毎年3月から5月まで3ヵ月間滞在のパターンが続いています。

Artie Shawが「一級のシンガー・ミュージシャン」と折り紙を付けたほどの実力者です。日本人が知らないような歌をリクエストしてもすぐ出てきます。譜面なんて見ません。

Domo arigato, Wakayama-san! Your visit was such a delightful surprise. Kansha suru ..to have 3 very special listeners - who actually know "the answer" to "Guess Who I Saw Today". Subarashii to speak with you all and I wish we have another opportunity some day.

Ooh..I love new name Dari-Chan! Thanks for this and again, your lovely comments.

I am so delighted and grateful that you all visited again. Wishing you all best!

Miki Purnell

広島出身、サンディエゴで医師として働く傍らCDデビューまでしてしまった美紀さんから最新メールが飛び込んできました。(2014/7/19)

はじめまして! 貴男のジャズのサイトを拝見してとっても素晴らしいと思いました! 歴史も日本での歴史と一緒にまとめてあり日本のジャズファンにわかりやすいように工夫してあるところにわかやまさんのジャズへのラブを感じました!ポストも大量にあり、まだ一部しか読めていませんが、着眼点がすばらしいです! 感動!

Chuck Kelly

60年前にモダネアーズのメンバーだったChuck Kellyが私のページに見たことがないモダネアーズの写真を見て驚き、連絡してきました。現在は小説作家として本を出版しています。(2020/4/14)

Hi Kuni, Thanks for connecting, I was with the Modernaires from '59 to '64. Had a great time and now I'm the author of the 'Legend of Otherland' book series.

https://www.facebook.com/chuck.kelly.7165
 

こんな人たちが、私の掲示板やメールで便りを書いてくれたのです。

9人が来日しています。生で語り合えた人も、一緒に歌った人も、食事を一緒にした人もいます。人生がまた楽しくなります。

ところで、HP「楽友」の掲示板は取り付けて12年になります。その間の便りをすべて記録してあるのをご存知ですか?目次の「掲示板」は現在生きているBBSです。その下にあるリンクが、現在から過去のすべての掲示板からの便りを取り込んだファイルです。

⇒ 過去の掲示板の記録

書き込みがあったのは初めの何年かで、その後は寂しいものです。グラフを作ってみました。

平均すると、0.67回/月の書き込みがあったというデータです。3ヶ月に2回となります。

この12年の間に、96件の書き込みしかなかった。これが「楽友」の掲示板の姿です。2020年11月の3件はかっぱです。

楽友の皆さんが「意見」や「提案」などを書き込み、掲示板を「議論の場に」「新しいものを生み出す場に」と期待したのは、このサイトを立ち上げた4期の小笹和彦主幹だったのです。

昨今では、SNS族はマーク・ザッカーバーグの罠にはまって、食事以外の時間をFacebookで過ごしている。どんなに為になる面白いHPでも読みに行かなくなってしまいました。今日の食事の写真をスマホで撮ってアップすると、お友達が「いいね」してくれる。嬉しくてしょうがない。

「楽友」の掲示板なんて開く人もいません。

もう一度、FB族の皆さんに見せたい。ザッカーバーグが「ユーザーがFacebook依存症になるように設計して作った」と謝って白状しています。

スマホ+Facebook ⇒ ドーパミンの恐怖

今年は忘年会もありません。来年が良い年になるとも思えません。ただ、皆さん、どうか元気でいてください。

(2020/12/7・わか)

   
FEST