Editor's note 2019/2


Sammy Davis Jr.(1925-1990)

 懐かしのサミー最後に日本に来たのはちょうど30年前、1989年だった。その翌年、喉頭がんで亡くなった。64歳だった。

初めて日本に来たのは1963年である。私がまだ学部の学生時代のことだった。コンサートに行って、その迫力に完全に降伏した。それ以来のサミーファンとなった。1フレーズ毎に、いろいろな歌手の声まねで1曲の歌を歌い切るというモノ真似はサミーの特許で、彼のコンサートでは必ずプログラムに入っていた。

私がコンサートで聴いて記憶に残っているのは、”As Time Goes By”と”One For My Baby”と”Rock-A-Bye Your Baby with A Dixie Melodyの3曲だ。

私がYou Tubeに上げたサミーのIMPERSONATIONをお見せしよう。これは1984年NHKホールでのコンサートのものだ。

 

https://youtu.be/a8Im-yl926k

 サミーが一番大事にした歌は”Mr. Bojangles”という変わった歌だ。カントリーのシンガーソングライターであるJerry Jeff Walkerが1965年に書き、1968年にリリースした歌だ。Walkerがニューオリンズに旅したとき酔っぱらって豚箱に入れられたことがあった。その獄中で知り合った老人のボードビリアンが「おれはMr. Bojangles」と名乗ったという。その爺さんの話から生まれた歌が”Mr. Bojangles”である。
 

Walkerは1920年代に名を馳せたボージャングル(Bill Robinson)のことは知らなかったと思います。しかし、彼が出会ったボージャングルは、あのBill Robinsonのことを知る踊り好きの爺さんだったのでしょう。それで自分のことをボージャングルと名乗ったのです。

ところで、サミーはボージャングルを唄う時に「ビル・ロビンソンのことを思い出す」と父親、サミー・デイビスSr.との対談の中で語っています。Bill Robinsonはサミーのタップダンスの先生だったのです。それで、サミーは死ぬまで、と言っても20年足らずの間、この歌を心を込めて歌ったのです。


Jerry Jeff Walker(1942-2020)

ビル・ロビンソンのボージャングルは南部をどさ回りするミンストレルショーにいたわけでも、落ちぶれて酒代稼ぎに踊ったわけでもなく、ましてや豚箱に泊められたこともなく、あの名子役、シャーリー・テンプルの相手役を演じた映画もありましたし、死ぬまで有名人だったわけです。

Mr. Bojangels Lyrics

I knew a man Bojangles and he danced for you in worn out shoes
俺は、破れ靴を履いて踊る「ボージャングル」という男を知っていた。
with silver hair, ragged shirt, buggy pants, he would do the old soft shoe.
しらが頭に、よれよれのシャツ、だぶだぶズボンで古い踊りをやった。

He could jump so high, jump so high, and then he lightly touched down.
彼は、こんなに高く跳び上がったんだぜ、こんなに高く。そして、軽やかに降りるのさ。

I met him in a cell in New Orleans I was, but I was down and out.
彼にはニューオーリンズのぶた箱で会った。おれは落ち込んでいた。
He looked to me to be a very eyes of age, as he spoke light out.
俺には彼が年に相応しく見えた。彼が話し出すとね。
Talked of life, talked of life, laughed, slapped his leg a step.
彼は人生を語った。人生をね。そして、笑い、膝を打ってステップを踏んだんだ。

He said his name was Bojangles and he danced a lick light across the cell.
彼は名を「ボージャングル」といった。そしてぶた箱をなめるように横切って踊った。
He grabbed his pants, took a better stance, jumped up high,
ズボンをつまんでは、スタンスを決め、高く跳んでは
That’s when he clicked his heels.

「かちっ」と踵を鳴らした。
Then he let go a laugh, Lord, Lord, Lord he let go a laugh,
そして、あの高笑い、…、
Shook back his clothes all around.
上着をひらりと回しながら。

That was Mr. Bojangles, Mr. Bojangles, Mr. Bojangles
あれはMr. Bojangles, Mr. Bojangles, Mr. Bojangles,
Lord, he could dance.
踊りの上手な男だった。

Told me other time, he worked with Minstrel shows,
或るとき、ミンストレル一座で働いていた話をしてくれた。
Traveling through out the south.
南部を旅して回っていたんだと。
Spoke with tear of fifteen years how his dog and he
涙ながらに、その15年間、彼の犬とどんなふうに過ごしたかを話してくれた。
They used to travel about.
ずっと一緒に旅していたんだ。
But his dog up and died, the dog just got old and died,
だけど、その犬が死んでしまった。ただ、老いぼれて死んでしまったのだが、
After twenty years he still grieved.
20年経ってもまだ悲しいという。

He said “I dance now at every chance in honky-tonks for my drinks and tips.
「今じゃ、機会があると安酒場で酒代稼ぎに踊っているのさ」
But most the time I spend behind these county bars
「しかし、ほとんどの時間は郡の鉄格子の中で過ごしてるのさ」

You see son I drinks a bit.”
「分かるだろ?俺はちょっぴり飲みすぎるのだ」
Then he shook his head, Lord, God, when he shook his head,
彼が首を振ったときだ、首を振ったとき。
I could swear I heard someone said “Please”.
おれは、確かに聞こえた。誰かが「プリーズ」と言うのを

That’s Mr. Bojangles, Mr. Bojangles, Mr. Bojangles, come back and dance.
あれはMr. Bojanglesだ。Mr. Bojanglesだ。戻ってきて踊っておくれ。
Mr. Bojangles, Mr. Bojangles, Mr. Bojangles, dance.
ボージャングル、もう一度、踊っておくれ。
Come back and dance. Mr. Bojangles.
もう一度、踊っておくれ。ボージャングル。

 

https://youtu.be/-Fju4UajL7g

 サミーのLPが私を呼んだ。80年代の初めだったか、渋谷から淡島通りを走って駒場を過ぎたころ、赤信号でストップしたとき後ろから誰かが呼んでいる。振り返って眺めると、通りの向こう側に小さな古本・古レコード屋が見えた。信号を過ぎたところで車を止めてその店に入ってみると、中古LPが詰まった段ボール箱が床にいくつも置いてある。

1つの箱を覗いて見ると、サミーの2枚組LPがあった。それぞれに違った時にレコーディングされた”Mr. Bojangles”が入っている。きずものかどうかも調べもせず買ってきた。

別の時、茅ケ崎の後輩が開業している歯医者に通っていたころだ。いつも車で厚木まで東名で走り、寒川神社のそばから茅ケ崎の駅に向かって南下して来る。駅北口前の広場のところで誰かが呼んでいる。また、小さなレコード屋がある。Mr. Bojanglesが呼んでいたのだ。

レコードが「俺を買ってくれー!」と私を呼んだのはサミーのレコードしかない。なんとも不思議な話だと思いませんか。

 2月3日は福沢先生のご命日テレビでは節分、恵方巻きのコマーシャル。118年前、1901年2月3日に福沢先生は偉大なる生涯を閉じられました。66歳でした。三田キャンパスに通う現役の皆さん、裏門から出て二の橋の交差点を渡り、2つ目の信号を右に曲がると左手に麻布山善福寺の山門です。福沢先生に会いに行ってください。歩いて10分少々です。

(2019/2/7・わかやま)


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