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![]() Sammy Davis Jr.(1925-1990) |
初めて日本に来たのは1963年である。私がまだ学部の学生時代のことだった。コンサートに行って、その迫力に完全に降伏した。それ以来のサミーファンとなった。1フレーズ毎に、いろいろな歌手の声まねで1曲の歌を歌い切るというモノ真似はサミーの特許で、彼のコンサートでは必ずプログラムに入っていた。 私がコンサートで聴いて記憶に残っているのは、”As Time Goes By”と”One For My Baby”と”Rock-A-Bye Your Baby with A Dixie Melody”の3曲だ。 |
私がYou Tubeに上げたサミーのIMPERSONATIONをお見せしよう。これは1984年NHKホールでのコンサートのものだ。
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Walkerは1920年代に名を馳せたボージャングル(Bill Robinson)のことは知らなかったと思います。しかし、彼が出会ったボージャングルは、あのBill Robinsonのことを知る踊り好きの爺さんだったのでしょう。それで自分のことをボージャングルと名乗ったのです。 ところで、サミーはボージャングルを唄う時に「ビル・ロビンソンのことを思い出す」と父親、サミー・デイビスSr.との対談の中で語っています。Bill Robinsonはサミーのタップダンスの先生だったのです。それで、サミーは死ぬまで、と言っても20年足らずの間、この歌を心を込めて歌ったのです。
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ビル・ロビンソンのボージャングルは南部をどさ回りするミンストレルショーにいたわけでも、落ちぶれて酒代稼ぎに踊ったわけでもなく、ましてや豚箱に泊められたこともなく、あの名子役、シャーリー・テンプルの相手役を演じた映画もありましたし、死ぬまで有名人だったわけです。
I knew a man Bojangles and he danced for you
in worn out shoes I met him in a cell in New Orleans I was, but
I was down and out. He said his name was Bojangles and he danced
a lick light across the cell. That was Mr. Bojangles, Mr. Bojangles, Mr. Bojangles Told me other time, he worked with Minstrel shows,
He said “I dance now at every chance in honky-tonks
for my drinks and tips. That’s Mr. Bojangles, Mr. Bojangles,
Mr. Bojangles, come back and dance.
1つの箱を覗いて見ると、サミーの2枚組LPがあった。それぞれに違った時にレコーディングされた”Mr. Bojangles”が入っている。きずものかどうかも調べもせず買ってきた。 別の時、茅ケ崎の後輩が開業している歯医者に通っていたころだ。いつも車で厚木まで東名で走り、寒川神社のそばから茅ケ崎の駅に向かって南下して来る。駅北口前の広場のところで誰かが呼んでいる。また、小さなレコード屋がある。Mr. Bojanglesが呼んでいたのだ。 レコードが「俺を買ってくれー!」と私を呼んだのはサミーのレコードしかない。なんとも不思議な話だと思いませんか。
(2019/2/7・わかやま) |
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