Editor's note 2016/6


サクラソウ(花言葉・青春)
 には青葉 山ほととぎす 初がつお ― いい句ですねー。季語三つが連ねられ、春から初夏への喜びにあふれています。日本ではこの時季に入園・入学や入社式あるいは結婚式といった新しい門出を記念する行事も多く、喜びもひとしおです。その人たちが最近には金婚式(結婚50周年)を迎えるようになり、その祝いで感慨は一層深まります。同窓会など旧友との交わりの座では互いの長寿を祝いつつ、懐旧談に花が咲きます。
 

 友会関係でこの時期に思い出すのは「新入生歓迎」の行事です。古いアルバムを引っ張り出したら、1枚の写真がありました。その裏に<昭和27(1952)年5月5日(月)・慶應高校「音楽愛好会」混声合唱団小旅行・箱根行きの途中・大磯海岸にて・岡田先生(男子校)/小川先生(女子高)・費用:600円>と書いてあります。どなたの撮影か分かりませんが、プロでないことは確かです。ピンボケで自分がどこにいるのか分かりません。総勢何名なのかもよく数えられません。が、確かバス2台の貸切りだったので70〜80名はいたと思います。このときはまだ「楽友会」ではなく、高校生だけの催しでした。


(↑クリックで拡大)

 きな虫眼鏡で眺めたら、だんだんと懐かしい友人たちの若かりし日の面影や氏名がハッキリしてきました。座席は抽選制でしたが、すぐ傍に女子高3年(楽友会2期)の重本さん(愛称:アコ又はアネゴ)と今橋昭子さんがおられました。アコさんは特に明るく快活な方で、すぐに周囲の連中を融和させてくれました。そのお陰で、慶應も合唱も初めてで、ニキビ面でウジウジしていた私もアッという間に仲間入り。楽しい合唱に加わり、行も帰りもバス中で、あるいは仙石原での休憩時に声を限りに塾歌や若き血などを唱和し、ごく自然に音楽愛好会にとけこむことができたのです。

 日談があります。この時の縁でアコ・今橋・私、それに私と同期のオキヨ(井上清君の愛称)の4人はその後も折にふれて集まり、卓球を楽しむようになりました。場所は二人の女性の母校である三田の中等部体育館。お二人はよほどの顔ききだったのか、そこはいつでも何時間でもタダで使わせてもらえました。そのお陰で夏休みには連日卓球に打ち興じ、4人の交友はますます深まっていきました。音楽愛好会の活動の他に、こうした充実した時間を過ごすことができ、私は心から<愛好会に入ってよかったなー>と思ったものですが、オキヨにはもっと別の喜びもあったようです。当時私はその事に全く気づかなかったのですが、後にアコとオキヨが結婚すると知り<二人の愛はこの頃に芽生え、育ったものなのだな>と思い至った次第です。

 ヤオヤ「新入生歓迎行事」の話がとんだアツアツの思い出話になってしまいましたが、本筋に戻します。とにもかくにも、楽友会活動の大本は新入生の歓迎行事にあるのです。今年も塾高・女子高・大学と、夫々の楽友会に頬を紅潮させた新入生が多数入会されたことと思います。そして今頃は、各校の歓迎行事を経て、早速新人もいろいろな演奏活動に参加し、初々しい歌声を響かせておられることと思います。そうした体験は何物にも代えがたい貴重な無形財産として今後も積み重ねられていく事でしょう。合唱愛好者の最大にして最高のメリットは、仲間を得ればいつでもどこでも歌い、ハモれることにあるでしょう。

 かし、大事なことは「ハモる」、つまり調和した音楽を奏するという事を通じて、複数の人が協調して愛を育てるプロセスを体験する、という事実です。この場合の「愛」とは皆が自分を大切にするように、他の人々、その個人個人を大切にするという事です。優れた指揮者はよく「他のパートをよく聞いて」と言います。それです!往々にして各歌手や各パートは独りよがりで歌ってしまいます。でも、それでは決して美しい音楽にはなりません。合唱は「多にして一つ」/「一にして多」の要素が巧みに織りあわされて成り立つ、愛の芸術であることをお忘れなく!

 うした価値観を共有する仲間を年々増やしつつ、音楽愛好会→楽友会は、もう70年近い長い歳月をたどってきました。そこで得た友情と愛情は生涯不変の宝となるでしょう。今年の新年会では、担当幹事さんたち(X0期)のご努力で「楽友関係の合唱団」というコーナーができ、楽友三田会合唱団の他、たくさんの合唱団の写真や資料が集められ展示されており、その広がりにビックリしました。又「大先輩の活躍」コーナーでは小林亜星さんをはじめ、音楽愛好会創立時の方々の現況が紹介されており、参加者たち一同の感動を誘っておりました。

 の個人的感動は伴博資君(11期)から与えられました。伴君はもう古稀(70歳)を越しておられますが、かなり以前から脊柱管狭窄症等で足腰の強い痛みに苦しんでおられました。この日も車椅子でお出でだったので、お見舞いの声をかけたら次のような答えが跳ね返ってきたのです。「イヤァ、東京スコラ・カントールムと男声合唱団『羅漢』(いずれも「楽友」関係)それに楽友三田会合唱団の何れも休団中なので、こういう会に出て顔つなぎをしておかないと!」。その合唱に対する熱情に驚きました。私ならとっくに合唱団復帰は断念していたと思いますが、彼は決して諦めず、復帰への希望に燃えていたのです。これぞ正に合唱人の鑑といえましょう。「受難」と「熱情」を英語やドイツ語では一語をもって表します。伴君は今“Passion”に生きているのです。

(2016/6/7・オザサ)


Jane Little(1929-2016)  and Al Jarreau

 Jane Little1つのオーケストラに71年間在籍するという世界記録を持つアトランタ交響楽団のコントラバス奏者、ジェーン・リトル(Jane Little)が、演奏中にステージで倒れて亡くなった。87歳だった。

同オーケストラによると、5月15日、リトルは「ショウほど素敵な商売はない(There's No Business Like Show Business)」の演奏中に倒れたとのこと。アトランタ病院でいったん意識を取り戻したものの、その後、亡くなったそうだ。
 

コントラバス奏者のリトルは、今年2月4日の演奏の際、1つのオーケストラにプロとして最も長く在籍しているとするギネス世界記録に認定された。彼女が同オーケストラの前身であるアトランタ・ユース交響楽団の公演に初めて参加してから71年が経っていた。

ジェーン・リトルの訃報を伝えるアトランタ交響楽団のFacebookの投稿には、「71年間にわたり我々家族の一員としてジェーンが参加してくれたことは本当にありがたく、我々みな、彼女の情熱やバイタリティ、スピリット、そして素晴らしい才能を失い悲しく思っています」などと綴られている。

 

「16歳でデビューして」という話は珍しいものではない。私の師匠だったDolly Bakerは16歳でアポロ劇場のコンテストで優勝し、プロ歌手となり90歳まで歌い続けて引退したが、92歳で亡くなった。ドリーは74年間現役で歌っていたのだ。パティ・オースティンは3歳でデビュー、5歳でRCAレコードと契約です。現在、66歳です。

しかしながら、リトルの場合は1つのオーケストラに71年在籍し続けたというのが記録となっている。凄いことだ。わたしの教員歴はたった42年しかないのだから。埼玉県議の野本陽一さん(7期)は11回当選の日本記録をもっている現役県議だが、これも、まだ41年目だ。


 


冨田 勲(1932-2016)

 田 勲が2016年5月5日に慢性心不全のため84歳で亡くなった。シンセサイザー音楽の生みの親だ。編集部主幹のオザサが2013年10月の「編集ノート」で冨田さんのことを書き綴っている。亜星さんは高校のクラスメートだったといつも話されていた。
 

わたしが高校1、2年の時、同じクラスに冨田さんの一番下の弟がいた。

「本間千代子が可愛い、可愛い」

って大変だった。冨田 勲さんの奥様は本間千代子のお姉さまだったのだ。


本間千代子

冨田は学校に兄さんのオートバイ(昔の陸王1200cc)を借りて乗ってきたものだ。昭和32年、16歳の頃の話である。これが刺激となってわがK組では岡崎がヤマハの175t、新井がヤマハの125tに乗って来るようになった。冨田は、

「後ろに乗せてやる」

といって綱島の方までドドドドッと走った。陸王は当時の警視庁白バイに使われていた大型自動二輪車だった。後に白バイはホンダになる。3年になってクラス替えで、彼とは音信がないままとなった。

 ルー・ムーン2016年5月22日、3年ぶりのブルー・ムーンです。私の書斎のベランダから撮った写真がこれです。日本では21日から22日早朝にかけて満月Full Moonとなりました。


↑新赤坂プリンスH                  二番町日テレ↑                 

この写真を撮った時刻は22日2時40分で、これが本年見られる唯一の「ブルームーン」です。月齢を示すサイトの画像で100%満月と表示されています。

 ルー・ムーンとは前回のブルー・ムーンは2013年8月21日のことでした。アメリカからのメールに「祖母が8月20日ブルー・ムーンの夜に亡くなりました」とあり、翌9月の編集ノートでそのことに触れましたが、実際に見るのは今回が初めてです。3年待っていたのです。

今年、2016年の春分から夏至までの1シーズンに満月が4回あります。これは何年かに一度の珍しい現象です。アメリカ『メイン州農民年鑑』では、その3回目の満月をBlue Moonと呼びます。日本では5月22日丑三つ時でした。1年は365日ですから13回の満月がある年が出てきます。それで、2分2至の4季節のどこかで4回の満月が現れることになります。ちなみに2016年の満月は、

【春分〜夏至の満月】3/23、4/22、5/22、6/20(4回)
【夏至〜秋分の満月】7/20、8/18、9/17(3回)
【秋分〜冬至の満月】10/16、11/14、12/14(3回)
【冬至〜春分の満月】2017年1/12、2/11、3/12(3回)

の13回です。

アメリカの天文雑誌”Sky & Telescope”が1946年に、同じ月の間に起こる2度目の満月を”Blue Moon”と書いてしまい、この話が一人歩きして”間違ったBlue Moon”がどんどん広まってしまいました。同誌は「間違い」と訂正し続けたのですが、いったん人から人に伝わると始末が悪く消えることなく、どうにもならないようです。70年前の間違った情報が未だに消えないのです。おバカだねェ。

天文学用語に”Blue Moon”はありません。念のため。

次回は、2019年2月19日から20日にかけてです。Full Moonの瞬間は20日0時54分です。

 に青葉・・・って憶えている人いませんか?私もその一人でした。小笹主幹の冒頭の一句で古い記憶がよみがえりました。正しいのは字余りの「目には青葉・・・」です。高校1年の担任は国語の川上栄一先生でした。赤羽のお宅に遊びに行ったとき、何かの話から、わたしが俗っぽい「目に青葉・・・」と言ったら教えられました。紙に書いてくれました。

目には青葉 山郭公 初松魚」と。

この俳句は江戸時代の俳人のものだが、平安時代には「郭公」と書いてホトトギスと読んだのだそうです。今じゃカッコウです。鰹の切り口は松の年輪に似ているので「松魚」と書くのだそうです。慶應高校の先生には岡忠さんだけでなく、凄いことを教えてくれる先生が居られたのです。

目には青葉が、耳には山郭公が、口には初松魚が、それぞれ一番なんだそうです。

60年前、15歳の時の話です。こんな面白い話は100年経っても忘れようがありません。

(2016/6/7・かっぱ)


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