Editor's note 2014/11


季節の花:マリーゴールド
 10月26日、「題名のない音楽会」(BS5)を見ていてガッカリしました。「埴生の宿が教科書から消えた」というのです。そればかりではない。都の公立中学校で最もよく用いられている教育芸術社の中1用「音楽」教科書で比較すると、1960年版には全65曲あった歌曲数が、今年度版では19曲に減少し、特に45曲あった外国曲が僅か4曲と、1/10に激減しているのだそうです。
 

 の理由は? 当日ゲスト出演された荻久保和明氏(作曲家・指揮者)によると<これは80年代に始まる「ゆとり教育」の影響で、学校の完全5日制や大幅な授業時間短縮で、「音楽」の時間に教える歌曲数も減らさざるをえず、歌詞の意味が分からなくなった古い曲、特に外国曲が削られた。例えば「埴生の宿」を「埴生という所にある宿屋」と誤解し、わけも分からずに歌っているのが実状だった>という事でした。

これが本当だとすれば何とも情けない話です。「埴生」の意味など辞書を開けばすぐ分かる。たまたま家に、子供が中学時代に使っていた「現代国語辞典(日本文芸社/1978年)」があったので引いてみたら「埴生の宿;みすぼらしい家」と載っていました。それで十分です。後は先生が少し補足して解説してあげればいい。文語になじむ絶好の機会だし、歌曲を教えるのに歌詞の意味を学ばせない教師などいないでしょうからネ。

訳詞 : 里見 義

1 埴 生はにふ/はにゅうの宿も 我が宿 玉の装ひ うらやまじ
  のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
  おゝ 我が宿よ たのしとも たのもしや

2 ふみ読む窓も 我が窓 瑠璃るりの床も 羨まじ
  清らなりや 秋の夜 半よは/よわ 月はあるじ むしは友
  おゝ 我が窓よ たのしとも たのもしや

 <国の曲だから>という理由もおかしな話です。それは最近の文科省や教科書選定委員たちの偏狭なナショナリズムや、偏向教育への傾きを意味するのでしょうか。

確かに「埴生の宿」の原曲はイングランド民謡“Home! Sweet Home!”です。アメリカ人J. H. Payneが作詞し、イギリス人H. R. Bishopが作曲した作品で1823年に発表されたものです。しかし、日本に伝わったのは軍国主義の盛んな1889(明治22)年のことですが、この曲を敵国人の作った「敵性歌」として嫌悪したり、排除した痕跡は全くありません。


楽譜表紙

原曲譜面(クリックで拡大)

むしろ、故郷や家族を離れた最前線の兵士たちに愛唱されて広まり、多くの人に受け継がれて今日に至り、2006年には「日本の歌百選」に選ばれた程の、心に沁み入る普遍的な名曲として定着していたのです。まさに「音楽に国境や人種の壁はない」という金言の、生きた教材となっていた筈です。そんな貴重な全国民共有の文化的財産を、簡単に葬ってしまうとは!一体「ゆとり教育」とは、いえ「教育」とは何なのでしょう?!
 

 は1956年に市川 崑監督が日活で映画化(原作:竹山 道雄)した「ビルマの竪琴」を見て、いたく感動した覚えがあります(今ではYouTubeで見ることもできます)。

後に(1985年)この映画は東宝に移籍した同監督のもとでカラー化して再制作され、その後何回もTV放映されたのでご覧になった方も多いと思いますが、そういう人と話すとこの中で歌われた「埴生の宿」に感動したという会話が弾みます(56年版の音楽担当は伊福部 昭、85年版が山本 直純の両氏。配役は56年版の僧侶・安井 昌二/小隊長・三国  連太郎、85年版の僧侶・中井 貴一/小隊長・石坂 浩二の各氏でした。)


原作

 
ビルマの竪琴


(85年版は予告篇しかありません)。

 平洋戦争末期のビルマ(今のミャンマー)。日英両軍が対峙した戦場が舞台ですから兵隊が主役です。しかし戦闘シーンはなく、題名が示す通り音楽が主題です・・・英軍に包囲され、敗色濃厚となった日本軍のある小隊員たちは、士気を鼓舞するために「埴生の宿」を合唱します。すると、森の向こうから同じ曲が聞こえてきます。そしてやがて、それは敵・味方を超えた両軍の大合唱に高まっていきました・・・その夜、日本の敗戦を知った小隊は武装を解き、故国に送還される日を待つばかりの捕囚の身となりました。そんなある日、<3日後に帰国できる>と知って大喜びの元兵士たちの前に、一人の僧が柵の向こうに現れました。隊員たちはその僧が行方不明になっていた戦友に違いないと見込み、必死になって「埴生の宿」を合唱し、大声で「一緒に日本に帰ろう!」と呼びかけます。しかし、僧は無言のまま佇むばかり。そして、やおら竪琴を手にして「仰げば尊とし」を奏で、終わると深くお辞儀をして静かに森の中に去って行きました。その背には<この地に散った大勢の戦友の遺体を葬り、霊を弔うために、この地を離れることはできない>という深い思いがにじみ出ているようでした・・・。

 なみに「仰げば尊とし」は年配者には忘れる事のできない卒業式の定番合唱曲でした。しかし、この曲も「埴生の宿」と同様の理由で、今では殆どの小・中学校で歌われなくなっているそうです。ですから、若い人は映画の最終場面でお坊さんがこの曲を奏でた意味が分からないかもしれません。そこでヤボは承知で解説を付けておきます。

― 映画では「竪琴」だけの演奏ですが、本来は3節の歌詞付き歌曲です。各節の大意は1節が恩師への感謝、2節は友人たちへの感謝と将来への期待、3節は学校生活の回顧と惜別の情となっています。が、最終フレーズは各節共通で「今こそ 別れめ いざさらば」と結びます。― つまりこの曲は「別れの歌」で、その事は「埴生の宿」と同様、<日本人なら誰でも知っている>という前提で、この映画は作られたのです。

 かし「埴生の宿」や「仰げば尊とし」が「教科書から消え」たことで「ビルマの竪琴」という名画の真価を分かる人も激減し、いずれ忘れ去られていくのでしょう。それを思うと、悲しみというより怒りさえ覚えます。せめて文化庁の主宰した「日本の歌百選(http://www.bunka.go.jp/uta100sen/)」の曲ぐらいは、孫子の代まで歌い継いでもらいたいものです。心ある方々のご理解とご支援を切望いたします。   

(オザサ/14年11月7日)


先日のコンサート

 霧生トシ子東京藝大の学生時代にNHK毎日音楽コンクールで2位入賞し近衛秀麿指揮のオーケストラと3ヶ月間、スイス、イタリア、ドイツ、オーストリア他でショパン・ピアノ協奏曲を演奏したという華々しいデビュー経験を持つピアニストである。

霧生さんの名前を知ったのは1985年にカーネギー・ホールでリサイタルを開いた話がどこかの雑誌記事に出ていたのを見た時であった。

クラシックのピアニストと思っていた人が、六本木界隈のジャズライブやジャズのコンサートなどで演奏する姿を見るようになり、ジャズにまで手を伸ばしたのだと思った。いつも年下のご主人、太田寛二というジャズピアニストと一緒だった。
 

それが10数年前、今はない西麻布のピアノバー「INDIGO」で出会い親しくなった。自宅が代官山でこの店に近いし、ざわざわお客のいる店ではなく落ち着くので、毎週のように遊びに来ていた。

練習に疲れると鍵盤と鍵盤の間が奈落の底に見えてくるのだと言う。そうすると、INDIGOに息抜き気分転換にやってくる。そういう癒しの店だった。お酒も強いのだ。

 ショパンとジョプリンこの店は普段は静かで贅沢な店だった。霧生さんは私の顔を見ると挨拶代わりに「ショパン幻想即興曲」を弾いてくれる。私は霧生さんがピアノを弾いているすぐ後ろに立って、演奏している指の動きを眺めているのだ。すごく面白い。この曲の主題に歌詞をつけて”I'm Always Chasing Rainbow”というポピュラーソングが1910年代にできた。昔、池田龍亮(11期)たちのカルテットが歌ったような記憶がある。

ショパンが終わると、つぎはScott Joplinを弾いてくれる。ジャズが生まれる素地としてブルースとラグタイムがある。ラグタイム・ピアノは1800年代の終わりごろに生まれた。ジョプリンはラグタイム・ピアノの作曲をしては楽譜出版社に売り歩いていたのです。ある時、”Original Rag”と”Maple Leaf Rag”の2曲を売りに行ったところ、”Original Rag”は買ってくれたが”Maple Leaf Rag”はハジカレてしまった。

”Maple Leaf Rag”を聴いたJohn Starkという百姓でアイスクリーム売りでピアノ・ペダル修理屋の男がこの曲を気に入って、世話をして出版してくれました。たった1年のうちに100万部も売れてしまい、2人は大儲けをし大変に仲良くなりました。スタークはそれがきっかけでラグタイムの譜面出版に長年関わることになったそうです。Scott Joplinはラグタイム王と呼ばれます。

その”Maple Leaf Rag”を霧生さんは弾いてくれます。メープル・リーフ・ラグをご存知ですか?わくわくするくらい素晴らしい曲です。YouTubeでも検索してみるとScott Joplin自身の演奏が出てきます。

しかし、この店も2000年3月末で私が閉店させしました。この店にお化けが出るのです。玄関から階段を下りて入ってきます。ところが、どこかで消えてしまうのです。青山墓地に近いのでジャズの好きなお化けがやってくるのかと思っていたら、この店の向かいに友人が経営する美容院があったのですが、その主人が「あのビルは96年の終わりか97年の始めに屋上から飛び降り自殺があった」と教えてくれました。INDIGOが開店する3ヶ月ほど前でした。

頻繁に出ては女性客にいたずらをして怪我をさせるようになりました。芳村真理さんも平らなところでつまづき、ピアノの角にぶつかり頭の中を切り、慶應病院に救急車で運びました。他にもテーブルの脚が突然折れたり、不可解な出来事が起こりました。店のオーナーは私たちの専属ピアニストですが、「この店はもう閉めなさい」と言って14年前に閉店しました。

後に入った店は、3ヶ月もすると出て行ってしまったようです。そのビルを建てた代官山の有名レストランの本社事務所もあったのですが、自ら出て行きました。今もお化けが住んでいるのでしょうか。
 

 Invitation今年は霧生さんから冒頭のチラシと招待状が届きました。なぜかと言うと、昨年はOZ SONSの最初で最後のコンサートに私がご招待したのでそのお返しです。

当日、朝日新聞社の正面から入ろうとすると警官が並んで警備している。その前で右翼らしき兄さんが拡声器を持ってアジ演説をしている。「なるほど、なるほど」と思いながら玄関を入った。幸い、ホールは裏の別棟だから騒音は届かない。毎日、毎晩、こんなことやっているのかなぁと思いながら回廊を抜けてホールに入った。


OZ SONS Concertで 2013/6/15

INDIGOが無くなってからは、私だけのためにピアノを聴かせもらう機会は無くなった。あの頃は贅沢をさせてもらった。通常のライブなどでは聴けないのだ。

この晩は、久し振りに霧生さんのクラシック・ピアノをたっぷり楽しめました。

むかし、湯河原でジャズフェスがあった時、一緒のホテルに泊まることにしました。ここにはピアノが置いてあるので、朝になると霧生さんは練習を始める。まぁ、ほんとによく練習する人です。

さて、第1部はクラシック・ピアノ独奏で、

ベートーヴェン:ソナタ 変イ長調 op.26「葬送」
ショパン:ノクターン ハ短調 op.48−1
ショパン:スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54
ラヴェル:「クープランの墓」より“メヌエット”“トッカータ”

というプログラムだった。霧生さんはどんな大曲でも譜面は置かない。譜めくりなんて居ません。

練習でも本番でも譜面にかじりついている人よ、霧生さんを見習ってください。

私の2年上の霧生さんは脳みそも若々しいのです。

 同業者霧生さんは「あなたと同業よ」という。尚美学園大で主任教授としてジャズを教えていたからだ。かっぱは70歳でさっさと教壇から降りたのに、霧生さんはまだ大学に行っているらしい。90年代の頃、「学生にジャズコーラスを歌わせるから何曲かやさしいアレンジの譜面を頂戴」と言って私のところから譜面を持って行ったのを思い出した。


 マントラのTim Hauser死去 Manhattan Transferのリーダー、Tim Hauserが2014年10月16日にSayre, PAの病院で心臓発作のため亡くなりました。1941年12月12日生まれですので72歳です。Facebook上でメンバーが以下のように伝えています。

It is with heavy hearts that we share the news of Tim Hauser’s passing with you all... As many of you know, Tim was the visionary behind The Manhattan Transfer. We spent more than 40 years together singing and making music, traveling the world, and sharing so many special moments throughout our lives... It's incomprehensible to think of this world without him.
We join his loving wife, Barb, his beautiful children, his family, and the rest of the world in mourning the loss of our dear friend and partner in song.
Love,
Janis, Cheryl and Alan

2013年に脊髄の手術を受けてしばらく休んでいたという話をJazz Timesが伝えている。しかし、これがどう関連するのかは不明。グループとしては後任のシンガーを入れて既に活動しているらしい。

「それじゃマントラじゃないわね」って言ってきたのは、プロ・ジャズコーラスThe Goodiesの夏代ちゃま。マントラとはマンハッタンのタクシードライバーを意味する。⇒マントラのページ

(2014/11/7・かっぱ)


FEST