Editor's note 2014/8


遠い空

 年の夏は品川正治さんの一周忌を偲び、生前上梓された刊行作品の読書にいそしんでいる。品川さんといってもご存知ないかもしれない。「財界・護憲派」の筆頭として活躍された方、といえばお分かり頂けるだろうか。

昨年8月29日に、多くの人々に惜しまれつつ89歳で他界されたが、その直前まで精力的に全国各地で講演したり、活発な著作活動で平和憲法の大切さを執筆・上梓したり、最期まで初志を貫徹して奮闘された頼もしい、稀有の存在であられた。
 

学徒出陣で中国の最前線に駆り出され、敵弾を足に受けたまま終戦を迎え、抑留後1年を経て1946年に復員。その後は東大法学部から日本火災海上保険(現・日本興亜損保)に入社し、トントン拍子で出世して同社の社長・会長を歴任、財界でも経済同友会の終身幹事として終生活躍された。その意味では典型的なエリート・ビジネスマンなのだが、品川さんの偉さはそれだけに止まらない。

 員の途次、船上で渡された新聞で新「日本国憲法」の草案を読んでいたく感動し、同船の戦友たちと共に感涙にむせび、以後その感動を忘れることなく「平和国家」建設と「平和憲法」護持に力を尽くし、経営者・財界人としては真に異例なことながら、共産党とも協調し、同党の主催または主導する「赤旗まつり」や「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)」の活動にも積極的に参加して意義ある生涯を全うされたのである。

このように貴重な存在が他界されるにつれ、現政権のように平和憲法をないがしろにする勢力が増大し、今や平和国家・日本の実体は完全に骨抜きにされつつある。天国で品川さんはさぞ慨嘆しておられることであろう。せめて遺作となった同氏の著書を熟読し、その志を受け継ぎ、後世に伝えたいと思う。下記は比較的近年に刊行された代表作4点である。

もちろん、YouTubeでも品川さんのお名前をKeyに検索すれば、いくつかの講演が、今ならまだ数本拝聴できるはずだ。

 川さんのように敵弾の破片を摘出できないまま痛い余生を過ごした方もいらしたが、学徒兵たちの多くは、あたら若い命を戦場に散華しなければならない運命だった。その人たちが出陣を前に決死の覚悟で記した遺稿集が「きけ わだつみのこえ」で、戦後すぐの1949年に東京大学出版会から出版された。

その女学生版ともいうべき「ひめゆりの塔」もほぼ同時期にその逸話が小説となり話題をよんだ。これは沖縄が主戦場となり、日米両軍が住民を巻きこんで激突した際の悲話で、女学生たちは看護要員として従軍させられ、その内、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒240名で編成されたのが「ひめゆり学徒隊」であった。

終戦直前の1945年3月中旬から約3ヵ月間、彼女たちは夜に日をついで負傷兵の世話や遺体の埋葬に従事していたが、6月18日になって突然解散命令を突きつけられ、銃弾飛び交う激戦地の真ん中に放り出されてしまった。方角も分からないまま戦地を放浪した彼女等は、わずか数日で100余名が銃弾や火炎放射に倒れ、過半の「ひめゆり」はあえなく戦場の瓦礫として埋もれてしまったのである。


 

 の痛ましい戦争悲劇が、生き残った隊員たちの手記をもとに、この度「ひめゆりは散っても」というタイトルで新たな朗読劇として再生され、8月3日(日)に高円寺の劇場で上演された。出演者が8名の女性アナウンサーという構成なので、あくまでも朗読が主体のリアリティを重んじる作風であったが、随所に演劇的所作を加え、戦場の荒々しい情景を現出させて約2時間、休憩もないのに観客を飽かせぬ熱演であった

何よりもよかったのは出演者全員のDiction(言いまわし・発声法・話し方)が明快だった事である。その1人が親戚だったから身びいきで言うのではなく、やはりアナウンサーとしての長年の鍛錬の賜物と思えた。その故に場面展開がムリなく観衆に伝わり、場内では劇の進展に合わせて目頭を押さえる人や、すすり泣く人が絶えなかった。

 こは座席数300にも満たない小劇場であるが、前々日の朝日新聞で大きくこの催しが報道されたこともあってか超満員の観客で埋まり、いい雰囲気に包まれていた。やはり皆この朗読劇の良さに共感したのであろう。終演後随所で多くの讃辞が交わされていた。


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もちろん私とて同様の気分であったが、時がたつにつれ一種の重圧を心に感じた。

それは、この催しのタイトルに付された「伝えよう平和への思い」に触発された意識の芽生えだったろう。とにかく<いい朗読劇を観た。よい休日を過ごせた>では終わらない、何か具体的な行動に移らなければ止まない無言の圧力があった。

あるいはそれが主催者の真の狙いであったのかもしれない。だとすればその企みは成功したといえよう。少なくとも私は、これからより深く沖縄に偏在する米軍基地の問題や戦争のむごさ悲しさを学び、故・品川正治さんを見習い、時を得ても得なくても、少しでも多くの人に非戦の誓いと平和の尊さを伝え、広めていこうと決意したのであった。

(2014年8月7日 オザサ)


海賊版1001「1001」というポピュラーソングの歌集の存在を知り、欲しがっていたのは高校生のときだった。いわゆる「海賊版」で本屋や楽器屋で市販はされていないが、プロのミュージシャンたちには商売道具であったし、素人にとってもポピュラーソングのバイブルだった。マンクラの女子部員が仲介してくれて2000円で買った。

戦後の日本には気の利いたポピュラーソングの譜面なんてありゃしない。だから、プロのミュージシャンがこういう譜面を編集・コピーをして、口コミで販売されていた。採録されている曲の版権はひとつも取っていない。したがって、誰が編集したのか出版したのか、その裏側の話はどこにも出てこない。

1001曲入っているのではありません。
 

 FAKEBOOK1940年代のアメリカでも同じようにミュージシャンの間で海賊版のソング・ブックが出回った。”fake”という言葉は「偽の」といった意味があるが、ジャズの世界では、元のメロディーを崩して演奏したり、歌ったりすることを「フェイクする」という。

似たような意味の言葉に”ad lib(ラテン語)”=即興という用語がある。クラシックの独奏協奏曲におけるKadenzでは即興演奏が行われる。

ジャズの”improvisation”では、コード進行をベースに即興演奏を行うのが通常の姿である。アドリブと呼ぶ。

譜面の形式は下図のような”Lead Sheet”である。Lead Sheetを集めたものがFakeBookとなった。その後、ギャングが複製を$10とか$15とかで売り出したということだが、摘発され、60年代には正規のSong Bookになった。


Lead Sheet

アメリカン・ポピュラーソングの譜面はメロディー、歌詞、ハーモニーを一段の五線譜に書くことが定着した。Chordはハーモニー(和音)を表す記号でJazzの創成期のJerry Roll Mortonが発明した和音の表記法である。

この譜面の本を見て”Fake it(フェイクしてごらん)”という意味なのだ。「崩してごらん」という意味だ。いい言葉で言えば「自由にあなた流に編曲してごらん」てな感じ。このシンプルな譜面を見て、あとは自分で演奏なり歌うなり自由にやりなさい。という譜面である。骨格だけだから肉付けは自分でやるのだ。ジャズの人間はそういう訓練がされているから、これだけあれば十分なのである。なに、偉いわけじゃない、詳細な譜面を書かれると読めないピアノがごろごろいる。人を見て譜面作りしないと上手くいかない。オブリガートや間奏などにちょっと粋な注文をつけるのだ。

クラシックや合唱の人は譜面どおりに歌うことが要求されるが、ジャズでは逆である。

コードを知らないクラシックのピアノ弾きは、この譜面では演奏できない。うちの娘がそうだった。ショパンは弾けても、アドリブもフェイクもできない。パパには教わりたくなかったのだ。

1800年代の終わりから1900年初頭にかけて、音楽出版社がマンハッタンの西28番街、ブロードウェイと6th Avenueの間に集まってきた。ここがTin Pan Alleyと呼ばれ、当時のミュージカルや流行歌の発信地だった。譜面の他にもポスターや絵葉書なども売っていた。譜面はSheet Music(=歌+ピアノ伴奏)と呼ばれた。これがミリオン・セラーになったりするのだ。レコードがまだ普及していない頃の話だ。

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Sheet Music(1940)

1970年代初めに同じような歌本、REAL BOOKが売られるようになったが、これも当初は海賊版、後に正規の歌本になった。現在はネットで注文できる。⇒Sheet Music Plus
 


 海賊版JAZZ8さて、日本の話に戻ろう。わたしが次に手に入れた手書きのSong Bookは「JAZZ8」というものだった。この譜面集には1001にないような隠れた名曲がたくさん入っていた。たまたま、ギターを買ったことがある吉祥寺の井の頭通りにあった楽器屋の親父が世話してくれた。

これも大事にしているソングブックだ。そうしたらごく最近になって、実はこれを編集したのは慶應で3年ほど後輩の中川というフルバンド編曲家だということが分かった。タイトルのアルファベットのゴム印押しを手伝った的場という後輩が「けんおじですよ」と言ってきた。知らなかったなぁ。

もう一つ「306」という手書きの譜面を編集したSong Bookもあった。池田龍亮(11期)が手に入れてきた。文字通りの306曲入り。なかなかマニアックな曲が採録されていた。どこかの譜面資料からではなく、レコードを聴いて採譜したものが入っている。レコードが特定できるような譜面まである。

1970年代以降は、きちんとした音楽出版社が海賊版でない「1001」というタイトルを使った歌本を出版するようになり、1001はポピュラーの譜面集の代名詞となった。

六大学野球で明治大学に星野という気の強いピッチャーが出てきて、慶應はよくひねられたものだ。現在は楽天の監督だが、星野の父親がジャズが好きで自分の息子に「1001」という名前をつけたのではないかと思っていたのは私だけらしい。(2014/8/7・かっぱ)


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