Editor's
note 2014/4 |
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◆ 「暴走老人」の異名をとった石原元都知事のまいた種が、時の民主党・野田政権下で尖閣諸島の国有化という形で発芽し、それが安倍首相の<戦後レジームからの脱却>という温床でヌクヌクと育ち、今や「改憲」をほのめかす不気味なドス黒い花を咲かせています。それは、やがて金の果実をもたらす花となり、「死の商人」たちを喜ばすことになるのでしょう。 ところがその傍らで、戦後日本の国是であった「平和憲法」という気高い花が、約70年を一期として絶滅の危機にひんして泣いています。これを放置し、傍観していてもよいのでしょうか。 |
▽ そんな大事を、とてもこのまま看過するわけにはいきません。私はこの憲法と共に育った、いわば「平和憲法」の申し子です。公布当時はまだ9歳の小学4年生(1946/昭和21年)でしたが、教生として実習に来ていた第一師範の学生さんが、熱ッポク「個人の尊重」とか「自由と平和」とか「主権在民」といった耳慣れない言葉を、かみ砕いて教えてくれたことをよーく覚えています。それまではしかめっ面して教育勅語などを訓じていた担任教諭や教生さんが、いきなりにこやかに「新時代の生き方」などを説きはじめたのですから、いかに世情に疎い児童とはいえ、何かが変わった!――戦争が終わり明るい時代になったんだ!という事実を、肌身を通して感じとることができました。何しろそれまでは軍国少年としての厳しい教練や、親許を離れての集団疎開や、「欲しがりません
勝つまでは」の忍従生活を強いられていたわけですから、空襲もなく、灯火管制もなく、自由に伸びのびと遊べるようになった新時代は夢のようでした。 |
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▼ もちろん暗く悲しいことも多々ありました。身近にはいくら待っても帰らぬ出征した父や兄弟を待ちわびる友がおり、巷には戦火で家を失い、焼け出されてさ迷う人々や、地下道には戦災孤児があふれ、路頭では物乞いしている傷痍軍人たちの痛々しい姿が目立つ一方、折しも進駐してきた占領軍兵士たちがパンパン・ガール(兵士に媚を売る日本人女性)とイチャつきあっていたり、闇市に愚連隊がはびこり、暴行を重ね、金品を巻きあげたりしている等々、終戦後の社会的混乱は今思いだしてもゾッとします。 そうした不幸な状況は時と共に徐々に薄れたものの、逆に情報が増し、戦地や戦禍の詳細が分かるにつれ、子供たちは改めて戦争の恐ろしさに身震いしたものです。例えば広島や長崎の原爆による被害のあまりの惨さ、食料も弾丸も尽き、ジャングルを逃げ回るしかなかった前線の状況とか、軍隊でのいじめの実態とか・・・・・。 ▽ 不幸中の幸いは日本に進駐してきた占領軍が、ソ連ではなくアメリカ主導の連合国軍だったことでしょう。その差異は1990年前後に相次いで崩壊した共産圏諸国の経済的・文化的状況とわが国のそれとを比較すれば、一目瞭然です。 アメリカ主導の占領だったからこそ、日本は敗戦後も急速に国力を回復することができたのです。しかし戦争に巻きこまれるピンチは何回もありました。 1950/昭和25年には朝鮮戦争が勃発し、アメリカのマッカーサーを最高司令官とする16カ国から成る国連軍が半島に進駐しました。また、1964/昭和39年にはアメリカ軍が泥沼化するベトナム戦争に介入しましたが、日本はこれ等の戦闘に関わることを免れたからこそ、平和国家建設に専念することができました。 ちなみに、自衛隊の前身である警察予備隊が創設されたのは1950/昭和25年で、日米安全保障条約が調印されたのはその翌年の事です。だから<もしもわが国に平和憲法がなかったら>と考えるとゾッとします。歴史に「もしも」はないと言いますが、事実もしこの憲法が無かったら、日本はアメリカの圧力に抗するすべもなく、いとも簡単にこれ等の戦争に巻きこまれていたと思います。 ▼ しかし平和を維持し得たからこそ、はかり知れない利益が日本にもたらされた、と言えるのです。朝鮮戦争はわが国に特需景気をもたらし、それを奇貨として日本は敗戦後5年にして経済大国への素地を固めました。また、ベトナム戦争が始まった1964年に、東京ではアジア初のオリンピックが開催され、その大成功によって日本は敗戦国から一躍、先進国の仲間入りを果たすことができたのです。 そしてそれ以後は順調に経済大国への道を辿り、国力の増強に努める一方、地球市民の一員として国際機関への支援や開発途上国への資金援助(ODA)を活発に行えるようになりました。具体的には、例えば国連負担金の高額支出は永年アメリカに次いで世界第2位であり、2011-13年は第6位の中国の倍額を超える2億7,610万ドルを拠出しています。またODAは過去60年間の実績で、1991-2000年の10年間は世界第1位の拠出国となっており、その後徐々に低下したものの、2012年現在で米・英・独・仏に次ぐ第5位で、約106億ドルを支出しています。 しかし何よりも誇るべきは、憲法前文に謳う「恒久の平和を念願する、崇高な理想と目的を達成する」との誓いを守り、戦後69年間、いかなる国とも交戦せず、従って戦争という人災で、いかなる人の生活を脅かしたり、その生命を損傷したりすることがなかったという事実です。 ▽ その土台となった大切な憲法を、安倍内閣ないし自民党は根本から覆そうとしています。マスコミ報道が十分にされていないため、その全容が国民に広く浸透していないようですが、自民党は2012/平成24年4月に「日本国憲法改正草案」を発表しています。昨年末強行成立した「特定秘密保護法」、つい先日(4月1日)閣議決定した「防衛装備(武器)移転3原則」、そして今世情を騒がせている「集団的自衛権解釈変更/国家安全保障基本法案」等々はその草案実現のための外堀に相当するものです。先ずはこれを埋めたて、次いで憲法の96条といった個別条文、そして最終的に全文更改に持ちこむ算段と思われます。ぜひ皆で注意して、今後の方向を見定め、然るべきアクションをとりたく思います。 ■ とてもよい参考書がありました。塾法学部の小林節教授が昨年4月にKKベストセラーズから上梓した「白熱講義!日本国憲法改正」という良書です。これには前述した自民党草案の全文とそれに対するコメントが分かりやすく掲載され、現行憲法の全文も付録としてついています。両者を比較したり、逐条毎の相違を検証したりするのに大変便利です。新書版のコンパクトな本ですが内容が濃く、しかも読みやすく分かりやすい表現なので、法律音痴の方も読解可能でしょう。著者は改憲派の憲法学者の一人と目されてきましたが、いわゆる右翼とか好戦的ナショナリストとは違い、例えば96条改正には絶対反対を唱える理性派というか是是非非論者というか、簡単に括れば中間派ともいうべき存在とお見受けしました。私個人としては9条改正に反対ですが、著者の賛成論には傾聴すべきものがあり、深く考えさせられました。「楽友」仲間に、心からご一読をお勧めするゆえんです。(2014年4月7日・オザサ) |
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脳裏に浮ぶMr. Piano |
不慮の死:かっぱがよく歌わせてもらった先輩のジャズバンドがある。もう何年も経ってしまったが、そのバンドのMr. Pianoが不慮の死を遂げた話をオザサにした。ある時期、先輩は銀座のとあるスタンド・バーのオーナーとなった。僕らは時々飲みに行ったが、何かの曲が話題に上がると、バーテンはそのレコードを忽ちのうちにかけてくれた。 小笹主幹も行ったことがあるという。「知らなかったよぉ」と。 「かっぱぁ、Jazz版Requiemを聴かせてよ」と難題を寄せてきた。 |
Jazz版Requiem:とは何を聞かせたらいいのだ。数年前に見つけたRequiemがあった。とこんなものをお耳にかけた。皆さんにもお見せしましょう。お聞かせしましょう。先ずは、画面の真ん中をクリックしてスタートしてください。
このトリオはスリー・グレイセスというグループ名だ・・・そうです。ダーク・ダックスを育てた小島正雄さんの家に通って、ポップ・コーラス、ジャズ・コーラスを始めたお姉さんたちと同じグループ名です。日本のグレイセスは1958年に結成し、紅白歌合戦にも登場した人気グループでしたが、1967年に3人とも結婚・出産を機に小島さんの言いつけ通り活動を止めました。最大のヒットは「山のロザリア」です。 小島さんはその翌年、54歳という若さで心筋梗塞のため急死してしまいました。グレイセスは子育ても終った22年後に活動を再開したのですが、長年続けてきた我々ジャズコーラスTHE OZ SONSの誕生のきっかけはグレイセスの復活コンサートだったのです。素人のくせにグレイセスのコンサート2回、笈田敏夫の最後のコンサートにもゲストで一緒のステージに乗せられました。現在はメロディ・パートのミッコが喉を患って2年ほど歌っていません。 さて、アメリカのグレイセスは2006年に誕生しました。ちっとも有名じゃないのに見つけました。2008年にDeccaからこんなCDが出ました。 このCDのトップにある曲が”REQUIEM”なのです。おじいちゃんはこのジャケットを見て驚きました。聴いて、もう一回驚きました。北欧スエーデンの作曲家が作曲したものだそうです。”Kyrie”はありません。 3人はそれぞれクラシック、ポップス、ミュージカルの出身で、Classic Crossoverとのこと。Billboardのランキングにも入ることなく2008年にはこのグループ立ち消えていきました。 通常、コーラスグループの名称には定冠詞が付きます。”The Golden Gate Quartet”、”The Platters”というようにです。ところがいうまでも無く”The Three Graces”はギリシャ神話・ローマ神話の「三美神」のことです。というわけで、彼女たちのグループ名には”The”が無いのでしょう。 譜面が見たい人がいたら、どうぞ。 ⇒ Requiem |
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Daryl Sherman(1949- ) |
DARYL SHERMAN:ダリル・シャーマンというピアノの弾き語りが去年に続いて今年も3月はじめに来日し、代官山のTableaux Lounge(渋谷区猿楽町11-6 サンローゼ代官山 B1F)で月−土の20:30〜Midnightまで演奏している。5月の末に帰国します。いつも来日すると3ヶ月滞在します。 去年の2月に志保沢さんというジャズ通のオバサンに紹介されて会ってきました。愛嬌たっぷりで休憩時間中私のテーブルで話しっぱなしでした。何ともチャーミングで、可愛らしい声で歌う弾き語りのブロッサム・デアリー(2009年没)のようです。 ジャズピアノと綺麗なお姉さんに興味のある人にはご推奨番組です。今時シガーの吸える珍しいバーです。(2014/4/7・わかやま) |
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