Editor's note 2012/11

四国に聳える石鎚山(愛媛)の秋

 毎年、紅葉の候には合唱コンクールのシーズンが終わる。日本は世界でも有数の合唱国の一つとかで、今年も全国をカヴァーする二大コンクールが、華やかに合唱の祭典を繰り広げた。合唱ファンとしては嬉しい、いつまでも続いて欲しい光景である。一つは「朝コン(朝日新聞社と全日本合唱連盟の共催)」という「全日本合唱コンクール」。こちらは戦後・1948年に創始されたが、もう一方の「Nコン」つまりNHK主催の「全国学校音楽コンクール」は1932年(昭和7年)に始まり、世界大戦で2年間中断したものの、戦後すぐに再開し、今年で第79回を迎えたいわば日本の合唱音楽の草分け的コンクールなのである。

これに慶應義塾高等学校楽友会(当時の正式名称は「音楽愛好会」)も1枚噛んでいた、と言ったら「ウソ!」と思われるだろう。ムリもない。楽友会は1948年6月にその母体となった音楽愛好会が発足して以来、今日まで64年の合唱歴を有するものの、その間にコンクールに出場したのはこの1回限りだし、しかも60年も前(1952年/昭和27年)のことだから、「楽友会はコンクールと無縁」と思っている人が大勢で不思議はない。ところが我々は、本当にそのNコンの第19回大会に参加し、初参加ながら神奈川県大会で優勝し、関東甲信越大会に進み、見事、銀賞を獲得したのだ!

<初参加ながら>と格好をつけたが、正直言えばNコンに「高校の部」が新設されたのはこの第19回で、それまでは小学と中学の部しかなかった。だからこの時参加した全国約300の高校合唱団は、全て初参加だったのである。それにしても敗戦後間もない混乱期に、よくこれだけの成果を上げ得たものと、今更ながらに感銘深い。私は塾に入りたての高校1年生(4期)だったが、この時の緊張感と達成感は並みではない。普通の演奏会とは全く異質の貴重な体験だったのだ。概略すれば課題曲と自由曲のたった2曲で、曲間の間合いを入れても10分に満たない青春時代の一齣に過ぎないが、その内容が濃密だったので、未だにダイヤモンドのように(きら)めいている。

当時は録音・録画技術が未発達だったから、残念ながら皆さんにその演奏をお聞き頂くことはできないが、さすがはNHK。全国優勝した学校の課題曲の実況録音だけは今でも、誰でも聞けるようにしてくれている。そのお陰で、「高校の部」で初の全国優勝に輝いた都立八潮高校混声合唱団(関東甲信越大会代表)の肉声による課題曲(「青春讃歌」詞:神保光太郎/曲:深井史郎)演奏を聞くことができ、往時の雰囲気を偲ぶことはできる。(次のURLをクリックするとJuke Boxが出る。その左下の見出しから「第19回」を選び、すぐ右側3段目の「青春讃歌」をクリックすれば自動的に音盤が鳴り出す)。  

http://www.nhk.or.jp/ncon/juke_box/index.html

音源は無いけど写真があった。裏面に「NHK全国唱歌ラジオ(当時の名称)コンクール・神奈川県大会出場・優勝・52年10月25日(土)・1時半・於:茅ヶ崎小学校講堂」と記されている。背広姿の伴さん他数名の大学生(1期)が写っているが、応援に来て下さったのだろう。出場人員は28名と記録されている(「楽友」新・創刊号による)。ピアノ伴奏は舘野泉君(会友・4期・2列目左端)。今は亡き若杉弘(3期・後列右から4人目)さん他、楽友会草創期の面々が、緊張した制服姿で並んでいる姿が初々しい。


第19回 NHKコンクール初出場(↑クリックで拡大)

このメンバーで歌った自由曲“Der Jäger Abschied(狩人の別れ)”が素晴らしかった。「唱歌コンクール」というタイトルだが、この曲は「唱歌」なんて生やさしいものではない。ロマンチックで高踏的な、ドイツ男声合唱の名曲中の名曲で、難曲だった。アイヒェンドルフの詩(1810)にメンデルスゾーンが付曲した作品(Op.50-2/1841)で、それを初(うぶ)なドイツ語も読めない1年生を交えた高校生が歌ったのだから、かなりムリがあったと思う。しかし今は、そのムリを無理強いして下さった岡田先生に感謝したい。今でも歌い出しの♪Wer hat dich, du schöner Wald, aufgebaut so hoch da droben?・・・(そこに聳える、かくも気高く見事な森よ、汝は誰に創(つく)られしか?・・・)♪以下、歌詞全文が洩れなく口をついて出てくるし、譜もメロディーも克明に覚えている。

それを例えば下記のような、ネット上のドイツの男声合唱団と一緒になって歌うのが無上の楽しみである。この曲は、若き日のボクにドイツへの憧れや自然への崇敬の念を植えつけ、老いては身の不自由をかこちながらも、想いは時空を超えて瞬時に飛翔し、信仰と希望と愛の世界を闊歩(かっぽ)させてくれる。「名曲は人を生かす」とは、正にこのことだろう。(オザサ:11月7日)




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 10何年ぶりの再会2012年秋のライブツアーの最後は江古田Buddyでのライブだという。川村君は私のところに「招待です」といってチケットを2枚送ってくれた。あっという間に夏が過ぎて10月12日当日になった。

昔、Dollyのライブでは歌に合わせて踊ったものだが、Jazz Tapだけのライブを見るのはこれが初めてだった。いやー、これは大変な重労働だ。

10年以上経ったのだがちっとも変わっていない。トレーニングしている身体だから若い時のままだ。今はピアノとベースとの3人でライブ活動を行っている。タップはドラムスと歌の役を演じる。


川村隆英タップダンス・ライブ 2012/10/12

 ジイチャンは感動した1セットは小休憩を挟んで小1時間だが、その激しさにたまげてしまった。このグレーのスーツの背中に汗が染み出してびしょびしょになってくるのだ。ライブでさえずっているだけの歌手の人たちよ。隆ちゃんは一体何リットルの汗を搾り出すんだろう。スーツは1回のライブ毎にクリーニングだそうだ。


川村隆英と江古田Buddyで


Dolly Bakerとマヌエラで(84歳誕生会)

この夜のテーマはセロニアス・モンクだった。モンクの曲はメロディもリズムも尋常ではないから何をやっても難しいのだ。全曲モンクの曲で踊った。これにも開いた口がふさがらない。さっきの背広、2セット目は着られない。すっかり着替えて、身軽になって2セット目を踊った。

一晩のジャズタップのライブがこんなに激しいものだとは、ジイチャンは驚くのみ、今夜は感動ものだった。

 後日談秋のライブツアーも一段落して忙しくないと言うので、四谷三栄町の広島お好み焼き「凡」に食べに行こうということになった。主人の石松にたらふく焼いてもらって大いに食べ、腹ごなしにマヌエラに連れて行った。

タップとスイングは相性が良い。ドリー・ベーカーの歌はスイングするから、タップダンスは乗りに乗る。私は20年間、ドリーの歌を聴いて、いろいろなことを学んだ。私がいろんなことを知りたがるのでいろいろな資料をくれた。Jazz Who's Whoや写真、そして珍しい譜面などなど。Duke Ellingtonの書いた歌に「スイングしなけりゃ意味が無い」という歌があるが、ドリーは真に意味がある歌手だ。もし、ご主人について日本に渡ってこなかったら、ニューヨークで世界的な超有名ジャズ歌手となっていた人物だ。

年が明けて2月が来るとドリーは91歳になる。ドリーが好んで歌った歌はたくさん覚えてしまった。人が歌わないドリーのレパートリーから”Old Man Time”を歌うと、隆ちゃんは我慢できず踊りだしてしまった。というわけで、この日のマヌエラは最高に盛り上がったのだった。

最後にDollyのページを紹介しておく。(かっぱ・11/7) ⇒ Dolly Baker