亡父の同僚たちが色々と気遣ってくれるが臨時雇いの喜一の賃金は安く、残業代もボーナスもない。「在日」のため本雇いにもしてくれない。兄妹たちの生活はたちまちどん底の状態に陥り、教科書や米さえ満足に買えない状態となっていく。しかも、石炭不況のあおりを受けて解雇され、社宅からも出なければならない。
やむなく喜一と良子は長崎に働きに出ることになり、高一と末子は父の同僚だった辺見家に預けられた。転校はせずに済んだものの、極貧にあえぐ他人宅での居候生活は辛かった。
それにもかかわらず高一は持ち前の負けん気でがんばり、成績もよく、妹にも優しかった。末子も明るい頑張り屋さんでクラスの人気者だったが、つましい食事のため栄養失調や赤痢など、病気に苦しむこと一再ではなかった。
相次ぐストによる抵抗も空しく、遂にヤマは閉山となり、鉱夫たちは家族と共に山を離れる。高一と末子も炭住を出なければならず、喜一の努力で山奥の炭焼き家族の家に転居したが、そこはあまりにひどい環境で、2人は手を取りあって夜逃げした。
そして高一は、ちょうど夏休み中だったので漁港に行き、住みこみのアルバイトで急場をしのぎ、更に東京まで職探しに行く。こうして4人の子供たちも離散してしまった。しかし幸か不幸か、高一は未だ中学生なので就職はできず、逆に警察に保護され、佐賀に戻されてしまう。
この間末子は、小学校の先生などの親切に恵まれつつ、<いつかはきっとまた兄妹4人が一緒になって暮らすのだ>という期待を胸に、たった一人の孤独に耐えて健気に生きた!
予想外に早くにあんちゃんが戻ってきたことで末子は大喜びして手をつなぎ、2人して元気にボタ山を駆け登っていくのだった・・・・・。
▼ 今でもそのラストシーンを思い出すと目頭が熱くなる。何と強い、何と明るいコーダであることか。そこには単に仲のよい兄妹が遊び戯れる以上の光景が映しこまれていた。なかなか言葉ではうまく表現できないが、切っても切れない真の兄弟愛の現れとでも言えようか。
「アンナ・カレーニナ」の冒頭に「幸福な家庭はすべてにおいて似通ったものだが、不幸な家庭はどこもそのおもむきを異にする」という有名な一節があるが、安本兄妹を襲った不幸の実相は、トルストイのいうように類型化し得ぬ複雑さがある。それ故、最悪の不幸と逆境にもめげず、どうしてこの兄妹がそれに耐え、打ち勝ち、正道を歩み続ける事ができたのかという疑問に、誰も答えることはできない。永遠の謎といえよう。
原作を読んでもその謎は解けなかった。むしろなぜ3歳で母親を亡くした10歳の炭鉱の女の子が、これほど思いやりある礼儀正しい子に育ち、確りした作文を書き続ける事ができたのか等々、謎は深まるばかりであった。ただ一つ言えるのは、この子等がどんな時にも「希望」を捨てなかったということ、それだけが確かな事実だ、と思うのである。
■ とまれ、この原作は、後に長兄の喜一さんが肋膜炎で病床に伏した折り、退屈まぎれにフトこれを手にして読み進み、強い感銘を受けたことが世に出るキッカケとなった。そして廻りめぐってNHKのラジオ・ドラマやカッパ・ブックスに採りあげられ、ベストセラー本となって多くの人の感動を呼び、遂にこの映画も誕生した。そしてさらに評判が高まり、一時は「にあんちゃん」ブームさえ起きたという。日本版「クオレ」あるいは「アンネの日記」と称揚された時代もあったらしい。
しかし、熱しやすく冷めやすいのは日本人の常。「クオレ」や「アンネの日記」は古典として今も劇場やアニメで活躍しているが「にあんちゃん」のその後はすっかり鳴りをひそめてしまった。
それだけにこの再放送は、真に時宜を得た企画だった。折も折、3.11から約1年。苦境に立ち向かう被災者に、この映画のDVDを送ろうと思ったが、残念ながら絶版で再発行の見込みもないらしい。が、原作は現在も角川文庫から出ているので購読可能である。
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