先日こんな話をしていたら、ある若い知人が「山口さんて男?『瞳』なんてお名前だから、女性と思っていたわ」なんていった。こうなるとテレビ時代に圧倒的人気を誇った向田・山口・久世といった逸材の知名度やその作品の評価は、私の思ったほど一般的ではなかったのか、といささか不安になった。が、やがてそれは世代間ギャップと分かって少しホッとしたものの、やはり何がしか寂しさが残り、しばし憮然たる思いに沈んだのである。
▼ そうこうする内にNHKが向田さんの没後(台湾旅行中に飛行機事故で急逝)30年を記念して「胡桃(の部屋」という掌編小説を、新たにテレビ・ドラマ化して放映するとの予告が出た。<さすがNHK!>と思って楽しみにしていたが、結局は<見なきゃよかった>に終わった。
期待した私がバカだった。最近はNHK・民放の、どの新作ドラマを見てもガッカリするばかりではなかったか。ことに<若い脚本家の作品なんか、もう二度と見ない!>と心に誓ったはずだ。それにも拘らず見てしまったのは、やはり向田さんの名前に惹かれたことと、心の片隅に<最近の女流作家・脚本家の台頭は著しい。この中から、あるいは向田二世が育っているのかもしれない>という淡い期待が残っていたからだ。しかし現実は厳しく、期待はことごとく空振りに終わった。
―――このドラマ、時代設定は原作とほぼ同じ。日本が経済大国といわれるようになった70年代後半。東京・目黒の普通の民家。そこに暮らす6人家族(原作は5人)の中流家庭に異変が起きた。ある薬品会社が倒産し、そこの部長だった父親(蟹江敬三さん)が、それを契機に家出する。実は、鴬谷の小さなおでん屋のママとできていて、そのアパートにしけこんだまま一向に家に帰ろうとしないのだ。
その話の序盤で、いい年をした姉妹3人が座敷でけんかする。するとそこへうつ病状態で病床に臥(ふ)せっていた母親(竹下景子さん)が現れ、バケツで水をぶっかける!それが病人として、当時の54歳の女性として、ごく普通の専業主婦・4児を育てた母として、何とも不自然な情景で見るに耐えなかった。こんなことは原作にも書かれていない、珍現象である。
これは多分、向田・久世のコンビで制作した「寺内貫太郎一家」の真似ごとだろう。なるほどそこでは小林亜星さんと西城秀樹さん扮する親父(と倅(が、茶の間で取っ組み合いの大げんかをする場面が、毎回のように演じられていた。でもそれは男同士、しかも下町の石材屋の頑固一徹な親父と反抗期真っ盛りの倅にありがちな日常茶飯の出来ごと。ごく自然な情景で笑いを誘った。だが、そんなこと「胡桃の部屋」には通用しない。
けんかの場面だけではない。金銭感覚にも嘘がある。20代で平社員の次女(松下奈緒さん)が、部長であった父親に代わり、家族4人の生計と一軒家を維持する家計全部を面倒みる設定で意気がっている。だが、そんなことできるはずがない。大学生の弟や、高校生の妹の学費負担だけでもムリがある。しかし、次女はそんなことにお構いなく、皆に鰻を振舞ったりして余裕を見せる。何とも非現実的な設定だが、脚色者も演出家もそれに気づかないのだろうか?見ていてアホらしくなった。
父親は最終回の第6話(8月30日放映)で脳溢血に倒れた。一命はとりとめたものの、意識は戻らない。そこでようやく住みなれた一軒家を処分し、父親の借金を返済し、母親は入院先に近いアパートに転居し、家族も銘々落ち着くべきところに落ち着いて大団円という段取り・・・・・。
これが全て原作にない作り話。そこで、大事なエンディングを脚色者の勝手で付加してもいいのかという大きな疑問が生じた。そればかりではない。原著者の向田さんが、こういう結論に導くはずだったという確証でもあるのか?原作と似て非なるこのドラマに原題を付すのは、一種の盗作もしくは剽窃(ではないのか?それは著作権の侵害ではないのか?当時の病院は、植物人間をいつまでも入院させていたのか?といった大小の疑問が次々にわいてきた。だから「向田ドラマ」を見終わった喜びなぞ毛ほども生じず、逆に<何が「没後30年記念」か!>という怒りに駆られた。 |