試しに自分の順番が来た時に「こんちわ」、会計が終わって商品を受け取る時に「ありがとう!」と元気よくいって見たら、どのキャッシャーもギョッとしたり、<マニュアル的には何と答えるのかな?>と戸惑ったりする風だったので、気の毒になってすぐにやめた。人間的ふれあいなんてものは、むしろ仕事の邪魔だったようなのである。
でも一人だけニコッとしてくれた人がいた。当然こちらも笑みがこぼれた。そして、それだけで気持ちよいひと時が過ごせた。
某月某日。久しぶりに朝のラッシュに地下鉄(東西線)に乗った。九段坂で降りて半蔵門線に乗り換える時、車内か場内アナウンスかが「『女性専用車』の時間は終わりました」と告げたのを聞いて<あぁ、最近はそんな車両もできたのだ>と思った。
そしてすぐ、昔―敗戦直後―東横線に「進駐軍専用車」なるものがあったことを思い出した。それは一両全部ではなく、一部をチエーンで仕切ったコーナーだったが、そこで米将兵たちは、混雑している敗戦国民たちをしり目に、悠然と腰かけていたのであった。
時には、我々ひもじい餓鬼どもに菓子類を配ってくれるやさしい米兵もいたが、大半はパンパンを伴ったチンピラ兵士たちで、そいつ等がこれ見よがしに女といちゃくさまは、小学生の目にも何とも奇異で不快なものとして映った。
そんなことを考えていたせいか、私は「女性専用車」の終了時刻に時間差のあることに気づかなかった。ところが実際は同じ東京メトロでも東西線は9時、半蔵門線は9時半と、30分の差があったのである。その為、ちょうど目前に停車していた「女性専用車」に飛び乗った私は、不意にひどい罵声を浴びせられことになった。
女「そこの男!ここは『女性専用車』だ!今すぐ出て行け!」
私「(慌てて周囲を見廻したが男は私一人だった。そこで)すみません。でも、さっき『女性専用車』は終了したとアナウンスしていましたよ」
女「嘘つけ!まだ9時15分だ!」
私「でも・・・。ま、次の駅で降りますよ」
女「ダメだ!今すぐ出て行け!」
私「そんなこといったって、今走行中でしょ」
女「隣の車両まで歩いて行きゃいいだろ!」
あまりのバカバカしさに、私は押し黙った。すぐ隣の駅に着くというのに、人ごみをかき分けて別の車両に移動する方が傍迷惑なことは分かり切っている。それでもその女はしきりに何事かをわめいていた。その声の主は、私とは反対側のドアの傍に立ち、なぜかこちらは直視せず、あらぬ方を向いて大声で怒鳴っていた。
その顔を見つめていたら、いつの間にかそこに小学生時代に見たパンパンの顔が重なって見えた。そのパンパンは、自由が丘駅周辺を根城とし、米兵を見つけると恥も外聞もなく大声で「ユーね、ミーね、ヨコハマ・ゴー」とかいいながら駆け寄り、その腕にぶら下がるようにして「進駐軍専用車」に乗りこみ、痴態をさらすので有名だった。
当時は陰で「ハレンチ!」とののしり、皆でとことんバカにしたものだが、今にして思えばそのパンパンにも、人には言えぬ悲しい生活上の必然があったのだろう。そしてこの「口裂け女」みたいな人にも<男を見たら痴漢と思え>と叫びたくなる、気の毒な事情があったのかもしれない、と可哀そうに思った。それにしてもこんなヒステリックな社会、何とかならないものだろうか・・・・・唯一の救いは、周囲の女性たちが誰ひとり私を責めようとはせず、むしろ同情的な気配を示してくれたことだった。
「小さな親切運動」が最近パッとしない。東大の学長だった茅誠司(1898-1988)さんが、任期最後の卒業式に語られた訓辞が大きな反響を呼び、この運動に発展した。63年6月にその本部が結成され、もう半世紀近くも全国的な運動が続いている。だが、その「運動実践協力(小・中)校」は、全国各地に122校しかないと知り、先行きが不安になった。
全国の小・中学校:約33,000校に対し、122校というのはいかにも寂しい。しかもその参加校に東京、大阪、名古屋といった都市部の学校名は一つも見当たらない。0なのだ!ならば都市部の小・中学生は、「小さな親切」のこと等とっくにご存知で、皆当たり前のこととして実行しているのであろうか。「小さな親切運動」本部が掲げる、次の実践目標項目と照合してみよう。
1. 朝夕のあいさつをかならずしましょう。
2. はっきりした声で返事をしましょう。
3. 他人からの親切を心からうけ入れ、「ありがとう」といいましょう。
4. 人から「ありがとう」といわれたら、「どういたしまして」といいましょう。
5. 紙くずなどをやたらにすてないようにしましょう。
6. 電車やバスの中でお年寄りや、赤ちゃんをだいたおかあさんには席をゆずりましょう。
7. 人が困っているのを見たら、手つだってあげましょう。
8. 他人のめいわくになることはやめましょう。
「そんなことあたり前じゃないか。みんなやっているよ」というかもしれないが、それは校内や級友たちの間だけの話だろう。校門外や見知らぬ他人ともあいさつするなら見上げたものだが、そんな生徒は一人もいないはず。いたとしても、すぐ「良貨は悪貨に駆逐される」。
茅さんの卒業式訓辞を読むと、上記の実践対象が<非日常的な状況の中での「あいさつ」や「手つだい」>のことで、仲間内での決まりごとでないことはハッキリしている。それがこの運動のポイントで、その根本にはキリスト教の「黄金律」といわれる、つまりあの有名な「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」というイエスの教え(マタイ7-12)が下敷きとなっていることが分かる。
これを孔子流にいえば「己の欲せざるところを他に施すことなかれ(論語)」ということになるが、キリスト教の方がより積極的な意味合いがある。「自分が嫌なことを他人に押しつけない」のは当然で、一歩進んで「自分が(他人に)望むことを、(自から先に)その人にしてあげよう」ということを心がける。そのようにして互いが仕えあうことによって、この世に幸いがもたらされる、とイエスは説いたのだ。
「小さな親切運動」はキリスト教その他の宗教団体とは無縁である。だがそのホームページの「こころにいい話」コーナーに掲載された「話」を読んでいると、そこには意識するとしないとに関わらず、キリスト教でいう善意(bonae
voluntatis)の人( hominibus)が必ず登場するのが興味深い。そしてそれを読んだ人は、クリスチャンであるか否かを問わず等しく感銘を受け、涙を浮かべたりほほ笑んだりする。
http://www.kindness.jp/kokorostory/
こうしたことは昔ならごくありふれた情景の一に過ぎなかったと思うが、今では、特に都会では、ほとんど影をひそめてしまった。茅さんは半世紀も前にそのことに気づかれた。だから難しいことはいわず「小さな親切」という実践活動を唱導された。だが、多くの人々はこれを「大きなお世話」といって茶化し、斥け、今日の「無関心社会」を招いてしまったのだ。
それは先月の「編集ノート」で指摘した「一億総白痴化」⇒「幼児化」⇒「能力低下社会」の延長線上にある、必然的な帰結といえよう。だとすれば、日本はこのまま「没落」する一方なのであろうか。
これもかなり前、確か70年代の初めに斎藤茂太(1916-2006)さんが「精神科の待合室」という本を出された。茂太さんはアララギ派の斎藤茂吉の息子で、モタさんと親しまれ、名文を綴る高名な精神科医であられたから、その著書はよく読まれた。これは一種の警世の書で「精神系疾患を他人事と思っていたらとんでもないことで、これはあなた自身のことなのだ。今精神科にかかっていないからといって、明日もかからないでいられる保証はない。誰もが今はその待合室に居る、と思って常々対策を考えておくように」といったことを書かれて世間を驚かせた。
当時はまだ精神病が一般には特殊な遺伝病と思われ、ノイローゼも分裂病も躁うつ病も、自分とは無縁と思っている人が多かったから、皆ショックを受けたのだ。そしてその予言は現実となった。
先日「疾病統計」を見て驚いたのだが、今や精神系の疾患で個人医や病院に通う患者の数は、心臓病や癌系の受診者数を凌駕し、しかも年々増加している。今や、その種の病気にかかっても誰も隠したりせず、堂々とその病名を明かし、かつての肺結核や現代の癌患者同様、闘病記を公開するまでに一般化したのだ。
それは一面大変いいことである。モタさんをはじめとする諸賢の啓蒙活動が浸透し、精神病に対する偏見と忌避感が一掃され、誰でも早めの治療と適切な治療を受けられことになったのだから、この世からまた一つ暗部が消えたことになる。
しかしその反面、精神を病む人々の著しい増加を喜ぶわけにはいくまい。やはり人間は個人としても社会総体としても、心身ともに健全であるにこしたことはないのだから、何とかこの現象に歯止めをかける必要があるだろう。そのためにはどうしたらいいのか?
何ともでかい問題に立ち入ってしまったものだ。私にはこれに答えうる知恵も力もない。だが自分もこの社会の一員であり、この社会の成り立ちに関わってきた人間の一人として、このまま世を去るのはあまりにも無責任という気がする。自分にもできることが、何か一つくらいはあるのではないかと考える。
これはモタさんの話だったか別の精神科医の話だったかは忘れたが「精神科病棟に無いものは『あいさつ』。『あいさつ』が無い世界というのは本当に異常で、住みにくい」という話が印象的だった。そうだ!先ずは「あいさつ」をしよう。<人があいさつしてくれないから、こちらもやめておこう>なんてケチな根性は捨てて、こちらからもっと積極的にあいさつをしよう。そうすれば殺伐としたこの世にも、いつの日か「ほほえみ」の花が咲きほころぶようになる、と思えたのだ。
ほ ほ え
み
作詩:小田切清光 作曲:鈴木憲夫
@ さよならをいうまえに 約束しましょう また逢うことを
あなたのやさしいほほえみは わたしの心に 消えないでしょう
A木枯らしの吹く夜は 思い出すでしょう きらめく星に
あなたの明るいほほえみは わたしの心に 灯をともすでしょう
ほほえみを ありがとう(Ref.4回)
Bほほえみとほほえみで たのしみにしよう また逢える日を
あなたのきれいなほほえみは わたしの心に花と咲くでしょう
ほほえみを ありがとう(Ref.2回)
(6月10日・オザサ)
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