Editor's note 2010/12

幼稚舎元教員 岩田 健 作

 82歳で没するまで創作活動を続けたゲーテは、今わの際に「もっと光を」と洩らした、と伝わる。大文豪の言葉だけに<これには深い意味がある>と考えていた。だが自分も老いてみれば<いや、これはごく素朴な、切実な願望だったに違いない>と思うようになった。

本を読みたい、絵も見たい、そして執筆も続けたい。だが加齢による視力の衰えはいかんともし難い。ドイツ人は倹約家なので、薄暮になっても目を凝らして読書を続ける。しかし年をとったらそうはいかない。灯をともさざるを得ない。が、その灯が昔は暗かった。ロウソクや灯油ランプではすぐに疲れて目がかすむ。だから「もっと光を」となる。
 

バッハは少年時代、月光を頼りに沢山の楽譜を写譜して目を酷使した。そのせいか早くに視力が衰え、最晩年には遂に失明に至り、その回復手術の失敗が原因で65年の生涯を閉じた。そして「フーガの技法(BWV.1080)」は未完に終わった。

同い年のヘンデルはその後9年も生きながらえたが、視力はバッハとほぼ同じ時期から急速に減退し、やはり手術の失敗で失明、憔悴して果てた。全盲ながら「メサイア」全曲を指揮して果てたのはせめてもの救いであるが、誠に痛ましい最期であった。「光は命」だったのだ。

 その頃から250年以上が過ぎた今、世の中には深夜といえども「光」が充満し、視力の衰えをカヴァーする道具や医療が発達し、高齢者には誠にありがたい時代となった。特に今年は「電子書籍元年」といわれ、次々に携帯型の読書用端末が登場し、その恩恵で「寝たきり老人」さえ読書の楽しみを失わずにすむようになってきた。

当面そのコンテンツ=電子書籍は、人気作家の小説や実用書、それに漫画くらいしか出版されない(11月26日/朝日新聞)ようだが、国立国会図書館所蔵のすべての図書が電子化され、公開されることも夢ではないらしい(12月1日/同紙)。そうなれば普段は閲覧困難な稀こう本を誰でも居ながらにして即座に読みあさることができるし、たとえば歌麿の絵を横になったまま、ためつすがめつ見入ることもできるようになるだろう。

 それはまさに印刷・出版・取次・書店・図書館・著者・読書人の全てを巻きこむ歴史的大事件で、教育システムにも波及する大きな社会問題に発展するだろう。だがとりあえず、年寄りにとっては福音である。何よりも先ずその端末の小ささと軽さがいい。だいたい文庫本1冊と同じである。そこに1,400冊分の書籍が収まるというのだから、ソニーが新製品(「リーダー」)の惹句として「ポケットに本棚」と喧伝するのもあながち誇張とはいえない。

まだ現物に触れていないので断定はできないが、多分、字の大きさやページめくりの早さは自在に調節でき、縦書き・横書きの組み替えや書きこみが自由で、しおりが挟め、辞書や語句検索機能までついているはずだ。しかも紙や電力やスペースの削減になるのだから、単に便利さだけではない価値がある。

 その単価は「リーダー(5型)」が2万円前後で、洋書で先行する「Kindle(米・アマゾン)」とほぼ同等で、多機能型の代表である「iPad(米・アップル)」の半値以下と、読書専用の端末としては納得のいく値段といえよう。

それがいよいよ10日(金)に発売される。これが果たして視力減退に悩む人々にとって「新たな光」となり得るか否か、あるいはまた、最近元気のないソニーに活を入れるヒット商品となるのかどうか、世間の反応が楽しみである。念のため申し添えるが、この製品は老人用の介護用品として開発されたわけではない。そこで、その公式サイトも一応ご紹介しておこう。(12月7日/オザサ)

http://www.sony.jp/reader/index.html?s_tc=jp_ad_reader001_I_01_0005


鎌倉円覚寺の紅葉

 鎌倉バスツアー何かの機会に鎌倉に行くことはそんなに珍しいことではない。親父が「自分が死んでから墓所が遠い地方にあると息子がお参りに来てくれないのは困る」と、1980年に郷里、愛知県の菩提寺から鎌倉霊園に墓所を移した。

朝比奈の切り通しから鎌倉の町に入って食事やお茶に寄ったりはするものの、有名なお寺が軒並みにもかかわらず、なかなか寺巡りまですることはない。
 

外国から来た研究者仲間を連れて鎌倉見物に連れて行ったこともしばしばあるのだが、行き先は決まって「長谷の大佛」と「鶴岡八幡宮」だけである。

それが珍しいことに「観光バスでの鎌倉ツアー」に行ってきた。「何とかに何とかされて鎌倉参り」である。バスツアーというのは、自分で運転しなくてもよいし、駐車の心配をしなくてもよいし、行き帰りは居眠りできるし悪くない。

 懐かしの円覚寺居士林そのツアーのコースに臨済宗の円覚寺があった。北鎌倉の駅は円覚寺の境内の中にある、と言ってはばからない。大学の1,2年の春休みに行って以来、50年ぶりであった。 50年前に円覚寺に行ったのは、坐禅をするためであった。たるみっぱなしの大学生活を少しは引き締めようという目的であった。ボストンバッグ1つで北鎌倉駅を降り、山門をくぐった。

宗務所に行って「坐禅の修行がしたいのだが」と尋ねた。

「居士林に行きなさい」といわれた。居士林とは在家の人間が参禅をする道場である。在家とは出家してないという意味だ。

その道場を預かる指導者は僧侶ではなく、かつてサラリーマンをしていたという変わった方であった。

「何日いる積りですか?」
「はい、1週間」
「えっ、1週間?」
「そう言って家を出てきましたから」


円覚寺居士林

どうやら、そんな長くいる人は少ないらしい。大抵は2,3日くらいらしい。

「この兄ちゃんは、1週間も辛抱できるのかねぇ」

と思われたようだ。1日当たりの食費が8百円だったような気がする。1週間分払った。

後日、慶應の学生が2人で来た。2,3日いる積りだったらしいが、1泊だけして「すいません、先に帰ります」と尻尾を巻いて逃げ帰っていった。だらしが無い!現在では、土日参禅といって、土曜日の夕方から翌朝までの1泊のコースとか半日の参禅会があるだけらしい。これじゃレクリエーションと変わらない。


居士林の堂内

 痛い坐禅思ったより坐禅というのは辛いものである。坐禅を組むというのはあぐらをかいて座るのとはわけが違う。

脚の骨がぶつかり合って痛いのだ。痛みをこらえていると、そのうち感覚がなくなって痺れてくる。動くと怒鳴られる。

暫らく座ると、突然、立たされて堂内をくるくると歩く。経行きんひんという。ところが、痺れきった足で立ち上がると、すってんころりんと転んでしまう。立ち上がれないのだ。それが、だんだん慣れてくると、すくっと立ち上がれるようになる。

しかし、脚の痛さは消えることは無い。ずーっと痛いばかりである。座って瞑想をするとか、頭を空にするなんて到底できるものではない。半眼に閉じた脳裏には妄想が次々と沸いてくる。ついに1週間痛い脚をさすり続けたのである。

両窓側の畳のところに隣の人と適当な距離を置き、薄い座布団を敷き、枕のような坐蒲ざふを尻にかって座るのだ。これで背筋が真っ直ぐ伸びる。

昔は、写真のように板の間の真ん中の畳はなかった。おそらく半日、一日の参禅会に大勢の人が押し寄せるものと思われる。大勢来ることはいいことだ。

50年前は円覚寺の管長は朝比奈宗源師だった。師は「煩悩をなくすことは出来ない。整理をすればよい」と教えた。悟りを開いた人間が発した言葉だ。煩悩とは何かを知らない人間には、朝比奈管長の言葉はどう聞こえたのだろう。私のスキーの師匠である岸 英三は今年88歳になったが、85歳の時にこんなことを書いている。

「人間らしく生きようなどと、『人間とは何か・・・』分からない奴が言っているから不思議である」

 不味い飯・美味い飯朝は暗いうちに起きて座る。それから朝食となる。飯は自分達の当番制で作る。朝食は麦の入ったお粥と味噌汁と沢庵だけ。下手な奴が作ると何でもまずい。後片付けをしてまた坐禅。後片付けといっても、流しで食器は洗わない。白湯で茶碗やお椀や箸についたものを綺麗に流すように洗って胃袋に飲んでしまう。そして、布巾で拭いて包んで棚の上に片付ける。

午前中には境内の掃除をする。円覚寺とは広い境内で有名なところだ。しかし、掃除をするのは脚が痛くないので極楽である。座っているより掃除している方が気持ちがいいから、山門の外側まで綺麗に掃いたものだ。午後にも座り、夜にも寝るまで座る。

要するに1日中座っているようなものである。だから、1日中脚の骨が痛い。

ある日、私に食事当番が回ってきた。みんなにうまいものを食おうと提案をした。誰もがそう望んでいた。私はカレーライスを作ることにした。と言っても、家で作ったことなど無い。昔のことで、ボンカレーもないしカレーのルウの売っていない。

誰に聞いたらいいのだ。門野篤ちゃんに電話して作り方を聞いた。まず、小麦粉を炒るのだ。それにカレー粉を混ぜる。牛肉やたまねぎも買ってきて、それでみんなに美味しいカレーライスを作り、般若湯と称して酒も用意してやった。道場主も私のやることを見て喜んでくれた。当たり前だよ。誰だってわざわざ不味いものを食いたくない。

 若いうちにいい姿勢をこうして1週間が過ぎた。帰りの横須賀線の車中で背筋がピンとして一番姿勢よく座っているのは私だった。姿勢をよくするということが「こんなに気持ちのいいものだ」と初めて知った。内臓の位置が理想的になり、身体に変なひずみがなくなるのだ。健康に日々を送る最も簡単な方法なのだ。われわれは机に向かって悪い姿勢で作業していることが少なくない。これは気持ちが悪くて仕方が無い。50年前から姿勢をよくすることの効用を私の身体が知っている。電車で尻がずっこけたひどい姿勢で座っている者がいる。長い脚が人の邪魔になるし、こいつらの内臓はその内腐ってしまうぞ。

お釈迦様は何年も座って悟りを開いたというが、凡人には悟りは遠く、ただ痛い目に遭っただけだ。でも、それでいいのだ。若い人たち、嘘だと思ったら1泊でもよい行ってみてごらん。

2年目は大の親友、鈴木光男(憶えていますか?)を同行した。読経のときに2度でハモった。長2度でも短2度も何でもござれだ。ぶつかっている音は読経には微妙ないい響きになるのだ。ユニゾンはつまらない。ミラシドでハモッてごらん。お経は般若心経である。若い人たち、嘘だと思ったらお経で試してごらん。

私の回りでは、腰を痛くするおじさんが次々と出てくる今日この頃である。ギックリだとかビックリだとか。おじさん達には坐禅をしても、もう遅いのだよ!若い人たち、若いうちだよ、何事も。(12/7 わかG)


注) 小笹主幹の今月のノートに、新電子ブックに約1,400冊相当の容量があるという話があります。メモリーの大きさを計る単位は「バイト」という語をつかいます。1バイトとは8ビット(2進法8桁)の大きさで、メモリー素子の中では1バイトごとに番地がふられていて、数値や文字などの情報を文字記号コードという形式で記憶するようになっています。電子ブックには35GBのメモリーチップがついているそうです。メモリーを沢山持っていれば、いくらでも蔵書数は増えます。もちろん要らない本は削除できます。

今、皆さんが使っているパソコンにはGB(ギガバイト)単位の大容量のハードディスクがついています。新しい機種ではTB(テラバイト=1,000,000,000,000バイト)の時代になりました。TB単位の巨大メモリーがあれば、これまでに出版された図書・雑誌・新聞の類の文章を丸ごと入れてしまうことができるという恐るべき大きさです。

90年代の後半だったか、「その内、TBのメモリーができたら・・・」と私に語った男がいました。その当時のメモリーのお値段は、1MB=1万円とかいわれました。1GBのメモリーは1000万円ということになります。買えるわけがありません。それが、今はタダ同然になっています。

「テラの時代になったら、今まで出版された文書の文章を丸ごと辞書にできる」といいました。そうすれば変換ミスなど起こらないと言います。彼は本気でした。この話を「松」を作った私の後輩に話したところ、一笑に付されました。バカバカしい話だと思ったことでしょう。

昔々、30年前にその後輩が自分の年賀状作りのために簡単な日本語ワープロを作りました。これを改良し「松」と名づけて滑ヌ理工学研究所が126,000円で売り出し大ヒットしました。腕のよい後輩が作ったワープロです。当時の小さくて遅いパソコンでもサクサクと動きました。ところが、後発の四国の何とかいうソフト会社が「一太郎」というワープロを68,000円で売り出し、大衆は安いものに飛びついたのです。なんてったって半額です。

しかし、「かな-漢字変換プログラム」の中身が違います。まず、彼のプログラムはアセンブラで書かれています。他所のプログラムはC言語で書かれています。これだけでもスピードは比べものになりません。その上にプログラムの手順(アルゴリズム)に工夫があり、さらに早くかつ正確になります。賢いワープロなのです。でも、大半のユーザーは性能を比較することもなく半額の「一太郎」を買いました。下々にはプログラムの中身なんてわからねえものな。

その後、1995年にWindows 95が世界を駆け巡り、「一太郎」よりさらに程度の悪い、WORDがのさばりだしました。おそらく皆さんは選択の余地なく、WORDを使っています。どんな分野においても「悪貨は良貨を駆逐する」いやな世の中になりました。管理工学研究所はバカバカしくて日本語ワープロから撤退しました。

本棚がいらねぇんだって。本当に流行るのかねぇ?老人に福音をもたらしてくれるのでしょうか?爺たちはPCで文字を読むのが辛いといって、プリントして読んでいる人がいます。爺たちよ、眉に唾つけてしっかり見極めてくださいよ。(へのかっぱ)