Editor's note 2010/8

 家から木場駅に行く途中に氷屋さんがありました。昔はその辺に洲崎という遊郭があり、雪印牛乳も取り扱ってとても繁盛していたそうです。けれども、その歓楽街はとっくにすたれ、私がこちらに越してきたこの10年くらいの間にも、すっかり寂れていきました。近所に大きなスーパーができ、雪印の不祥事があったりして、氷も牛乳も売れなくなったせいでしょう。
 

広い間口の店頭に、いつもねじり鉢巻きで威勢よく店番をしていたお爺さ んも徐々に元気をなくし、床几に腰掛けて煙草をふかすだけの毎日となりました。

何人かいた店員もいなくなり、時折、息子らしい主人が軽自動車に何かを積んで出かけるのを見かけるだけになりました。

 <かわいそうに、この店は潰れるな>と思っていたら案の定、ある日を境に店の戸が閉められたまま、お爺さんの姿も見えなくなってしまいました。暫らくすると取り壊しが始まったので<きっと土地も売り、どこかに淋しく隠居したのだろう>と思っていたら、その工事は建屋半分程を残して止まり、壊した部分はきれいに整地してイタリアン・レストランが建ちました。そして残った部分は、ほぼ昔通りのたたずまいで「かき氷屋」として再出発したのです。

<よく考えたものだな。だけど今どき「かき氷」なんか食べにくる人はいるのかな>と半ば感心し、半ば心配して見ていたら、それが結構いるのです。特に夏場になってからは大繁盛。近くの幼稚園帰りらしい可愛い子どもたちが、お母さんに連れられてワンサと押しかけています。隣のレストランで昼食をとったサラリーマンたちも、判で押したようにその列に並びます。<なるほどなー、イタ飯の後にかき氷か>といたく感じいりました。

猫の額のような青空コーナーの賑やかなこと。そこに例のお爺さんと、そのお内儀とおぼしきお婆さんまで出て、昔懐かしい「かき氷」を運んでいます。ひ孫のようなお客さんに囲まれて、老夫婦が楽しそうに立ち働いている姿は何ともほほえましい。氷削機を回しているのはどうやら孫娘とその友達のようです。

かつての深川の下町風景が再現したような感じです。

物見高いうちのカミサンは、その光景につられて早速食べてきたそうです。品数は豊富で「ブルー・ハワイ」とかいう新種の他、昔通りの「氷イチゴ」「氷レモン」「氷メロン」等々、山もりの「かき氷」を楽しんで一杯百円ぽっきり。ご満悦の表情で帰ってきました。
 

 私もその前を通るとなぜか元気になり、25haもある木場公園に足をのばし、炎暑にめげずぐるりと巡って1万歩。汗をぬぐいながら木陰に入り、ヒマワリを見上げ、夏の青空を見やると実に気分爽快。すっかり若返って<さあ、「氷あずき」でも食べようかな!>。

でも残念ながらメニューにそれはありませんでした。<最近のお母さんたちは、子どもに甘いものは食べさせないのかな?あれはうまかったのになー!>。(8月4日/オザサ)


10周年コンサート(7月20日)

 六本木男声合唱団10周年コンサートに出演するといって親戚がチケットを送ってきました。お義理で行ってきました。作曲家の三枝成彰が団長を務め、実業界や政界の著名人がメンバーという金持ち合唱団というわけです。マヌエラの常連、歌の好きな歌舞伎座顧問医も出演していました。
 

今年は10周年という節目の年で、三枝成彰が昨年から書き始めてやっと完成した「最後の手紙(Thr Last Message)」という組曲を歌うことになりました。

1962年、三枝は芸大の1年生の時に読んだ「人間の声」という本に感動しました。ドイツの編集者ハンス・ワルター・ベーアが第2次世界大戦で亡くなった兵士達が残した手紙の数々を編集出版したもので、河出書房から訳本が出ています。三枝はこの題材を是非とも音楽作品にしたいと思ったといいます。それから48年が経過した今年、大作が完成しサントリーホールで大コンサートとなりました。


H.W.ベーア編・高橋 健二訳『人間の声
第二次世界大戦戦歿者の手紙と手記』
河出書房新社 1962

 楽曲は12カ国、13編の手紙の日本語訳に曲をつけたものです。最後の14曲目は、12ヶ国語で”Dona Nobis Pacem”と歌います。演奏時間は1時間を越す大曲です。手紙の内容は、これから処刑されようとする兵士から妻や家族に宛てたもの、まだ生まれてこないわが子に宛てたものなど、人の心を揺さぶる「最後の手紙」でした。

この合唱団は何処の誰というような有名人ばかりがメンバーで、譜面が読める人は10%だということです。残りの90%の人は耳から覚えるのだそうです。三枝自身が演奏前の挨拶で「下手ですが」と謙遜していましたが、大友直人指揮、新日本フィルのバックで、170名を越す六本木男声合唱団の鎮魂歌は大変な出来栄えでした。驚きました。

人間はなぜ戦争をするのでしょうか。それを改めて問いかける音楽作品としてより多くの人たちに聴かせたいものです。

 今年は65回目の終戦記念日が来ます。編集主幹は「学童疎開」をテーマとする特集を企画しました。依頼された原稿も集まり、近日中に公開予定で準備作業をしているところです。楽友会1期生から6期生が、太平洋戦争末期には小学6年生から1年生で「学童疎開」を経験した世代であります。この特集ページは戦争を知らない世代への貴重なメッセージです。

先月、今月と図らずも先の大戦を思い出させるコンサートと「楽友」の記事に出会うことになりました。

 「氷あずき」はあんこが命ですね。四ツ谷にある広島お好み焼き「凡」では、デザートに薄い生地にあんこをくるんで焼いてくれます。近所には昔からの有名なタイ焼き屋さんがあり美味しいあんこをこさえています。凡の主人はそのあんこを少しだけ分けてもらってくるのです。

 ミッチ・ミラーが7月31日に99歳で亡くなりました。日本では1963年にNHKで「ミッチと歌おう(Sing Along with Mitch)」が始まりました。日曜日の昼下がりの人気番組でした。

♪Let me hear a melody♪と一緒に歌った人がいるはずです。

もともとはクラシックの教育を受け、オーケストラではオーボエ奏者だったということです。ガーシュインのオーケストラでも吹いていたのです。(わかやま/8月4日)