この句を詠んだのは大阪で、芭蕉はその2週間後に51年の生涯を閉じました。病に倒れ、急に句会に出られなくなったので詠んだ句といわれています。その時の芭蕉はどんな気持ちだったのでしょう。半生を旅に過ごし、自然の風物に目を凝らして向き合うことで、枯淡の境地に達した芭蕉でしたが、この句には珍しく「人」を思う気持ちがにじみ出ています。さすがの芭蕉といえども、晩秋ともなれば人恋う気持ちがつのったのでしょうか。
♭ 年賀状整理の時期になりました。もっと先でいいや、と思っているうちに次から次へと喪中通知が来るので、放っておけない気持ちになります。このはがきは増える一方で、それに連れて年賀はがきの数は年々少なくなっていきます。稀に賀状を出しても戻ってくるものがありました。事情を尋ねると孤独死だったと知ることもあり、老境に達すると一入寂しさがつのります。
多くの人は定職を離れると第二の人生として、新たな生きがいを求めてさまざまな活動を展開します。ある人はヴォランティアとして、ある人は趣味人として、またある人は生涯現役として創業し、余生を全うしようと努めます。しかし、その一方では、すぐにすべてを放擲し、老人性自閉症に陥ってしまう人もいます。
散歩の途次の釣り堀で、日がな一日釣り糸を垂れている老人をみかけます。最近ますますその数が増えてきているように思います。急速な高齢化社会の進展を象徴しているかのようです。人の心は分からぬものの、そのような人を見ると非常な侘びしさを覚えます。それは、第二の人生ならぬ、第一の死、つまり社会的な地位や役割を喪失するとともに茫然自失し、能動的に生きる喜びを放棄してしまった人の姿のように思えるからです。
そんな時、実に傲慢な我田引水とはいうものの、ついわが身の幸せを思ってしまいます。友がいて、歌があり、共に語らい、共にさんざめくことができること、そしてそれを理解し支えてくれる家族がいることを、よくよく感謝しなければいけないと思うのです。
♯ 先週の日曜日(11月29日)、遠藤君(7期)に教えられ「旧3商大(現大阪市立大学・神戸大学・一橋大学)OB男声合唱団・交歓演奏会」をザザ(3期)と一緒に聞きに行きました。
今年で4回目とのことですが、素晴らしい演奏会でした。広い大田区民ホール・アプリコ:大ホールのステージ一杯に並んだ200名のOld
Boysたち。平均年齢は6x歳?とお見受けしましたが、皆さん元気で気持ちのよい、明るくしかも重厚なハーモニーの響きで、男声合唱の醍醐味を満喫させてくれました。
かぶり付きで皆さんの歌う表情を見つめていたら、全く初めての人たちにも関わらず、旧知の友に出会ったような親近感を覚えました。しかも、既に歌ったことのある曲が多かったせいか、お一人びとりの顔に楽友会仲間の面影が重なって見えたのです。
皆は楽譜を持っているのに、一人全てを暗譜して歌う人の姿にTさん、杖を片手に、しかし顔はまっすぐに指揮者を見つめて歌う姿にS君のこと等が・・・、そして瞑目して聴けば、今は亡きBさん、Mさん、Kさん、Wさん、F君、H君、S君、O君達の懐かしい顔が、次から次へと走馬灯のように浮かんできます。<皆が一緒だ>という思いに浸され、涙がひとりでに滲んできました。
老いてなお、病に倒れてもなお、あらゆる人生の不条理や困難を乗り越えて音楽を愛し、人を愛し、声と心のハーモニーを楽しむことができるのは、天恵としかいいようがない恩寵です。しかしそれは、坐していて得られるものではなく、先ず自らの意志で立ち、互いに支えあう心意気がなくては、叶わぬ夢です。 |