楽友会関係者もたくさん参列されたが、前もって参加を明言されていらした岡田先生ご夫妻のお姿が見えない。体調を崩されたのかと心配していたらお電話があり「朝、出かけようとしていたら羊奈子さんから『今日は、特に蒸し暑い残暑日ですので、どうぞ遠路ご無理くださいませんように』とのお申出でがあった。せっかくのご厚意を無にしてもいけないと思い、家で静かに喪に服しました」とのこと。
喪主の羊奈子夫人は、楽友会第22回定期演奏会(1973年)のモーツアルト:大ミサ曲(KV.
427)以降度々ご出演くださり、岡田先生の指揮でその素晴らしいアルト歌唱で楽友会のメイン・ステージを引き立ててくださった。そうした親しい関係から、岡田先生ご夫妻の体調に配慮されたらしい。そこに形式ではない、若杉さんを介してのあたたかい心の交流を感じ、ホッとする思いを感じた。
★ 26日(土)には、上智大学構内にあるクルトゥルハイム聖堂で、慶應義塾大学カトリック栄誦会の創立90周年記念ミサがあった。この事については6月の編集ノートで少し触れたが、実は、この栄誦会は楽友会と赤い糸で結ばれていた。
楽友会(正確には、その前身の音楽愛好会)が国立音楽学校の女生徒の協力を得て混声合唱を始めたのは1949年7月の事だが、その初の外部行事への参加が「ザビエル記念祭」への出演であった。このホームページ開設の頃には、なぜミッション・スクールでもない塾の一音楽団体が、このような学外の宗教行事に参加したのか、その関係が不可解だった。が、現時点では次のような事情が分かってきた。
栄誦会は1919(大正8)年、医学部内に誕生している。そして太平洋戦争中のキリスト教弾圧時代も活動を続け、戦後は他大学のカトリック研究会などと提携し、教育機関における布教活動の中核として活躍した。そして塾校開設と同時に日吉にも栄誦会を創設し、音楽愛好会などと共に文化活動の一翼を担った。そして、その初代部長に他ならぬ岡田先生が就任された。つまり先生は音楽愛好会とカトリック栄誦会の責任者を兼務されたのだ。さらに、学生代表の藤原宏君(会友/11期・藤原隆義君の令兄)も両会を叉に掛けて活躍された。そんな関係で、場所や主催者等は不明だが「ザビエル記念祭」への出演が実現したのである。
今回、そのご縁で編者もこの創立90周年記念ミサに参加させていただいたのだが、司式者や参会者に多くの高名な神父様や、有名な女子ミッション・スクールの要職を務められたシスターの諸先生がおられることに一驚した。そして、その方々が皆、栄誦会の出身であることを知ってより一層の感銘を覚えた。皆さん塾を経て神学校や修道院に入り、生涯を神に捧げられたのだ。そうした方々がたくさんおられたのだから、往時の栄誦会が活発な活動を展開したであろう事は容易に察しがつく。
しかし残念ながら、今その旺盛な活動は途絶してしまったようで、この記念ミサに若やいだ学生たちの姿を見ることはできなかった。諸先輩は必死に学生組織再興のための努力を始められたようだが、いったん枯れてしまった木を蘇生させることは容易ではなさそうだ。
翻って楽友会はどうなのか。今は創立61年、楽友会命名より58年、定期演奏会も第58回を迎える。中だるみしてくる時期だ。そろそろ10年、20年先を見越した長期プランを練っておく必要がある、と痛切に感じた。皆が永続的発展を願うならば、の話だが・・・。 |