Editor's note 2009/5

● Topic & Info.コーナーで過日ご紹介した「第14回ワグネル・オムニバス・コンサート」に行ってきました。4月18日(土)13:30分の開演で、場所は新設の日吉・協生館内「藤原記念ホール」。4時間に及ぶ長時間プログラムですが、このコンサートはいわゆる「合唱祭」形式で、約22組のグループが入れ替わり立ち替わり現れては1〜2曲演奏し、終われば客席に戻って別の組の演奏を聴く、といった風ですから気楽です。皆、同窓のよしみで三々五々適当に休憩をとり、日吉のキャンパスを散歩したりして楽しんでいるようでした。

▼ 編者も、最大の眼目である岡田忠彦先生指揮する「忠友会」の合唱が、かなり終盤にセットされていたため、昔懐かしい日吉の丘を、あちこち散策することができました。

 「わかやま」が先月の編集ノートに書いた「マムシ谷地下壕」は、その傍に体育館を建てるための工事中なので入れません。が、それが終われば史跡として見学できるようです。
  ⇒http://keio150.jp/news/2009/20090409.html

 

日吉キャンパスの塾高の中では、がらんとした校舎にさまざまな楽器の音がこだましていました。高校ワグネルのオケ練習日だったようです。創立100年記念で「第九」を歌った「日吉記念館」も建て替え工事中でした。大学構内をさまよい歩いたものの、カマボコ兵舎で勉強した時代の風景は、今はもう全く見当たりません。

この半世紀の変貌は著しく、三田キャンパスの比ではありません。僅かに残る頑固な構造の高校校舎と、その正面玄関上の右書きの校名、それに、そこから出てきた部活帰りの女子高生の制服が、少しも昔と変わっていないことだけが印象的でした。

▼ ホールに戻ると、きらびやかな舞台衣装に身を包んだ5人組がモーツァルト・オペラの5重唱を披露していました。出演者の殆どはワグネルOB・OGのようですが、必ずしもワグネルに限らず、例えばあるOBが指導している職場の合唱団なども参加していました。どちらかといえば熟年層が多かったようですが、55年以前の卒団生だけで組んだ「アゲイン」という男声合唱グループがあったり、4年前に卒団したOB のソロもあったりで、実に幅広い年代の人々が一堂に会し、それぞれの特徴を生かして楽しんでいる光景には、さすがワグネル、と思わせる歴史を感じました。

▼ さていよいよ「忠友会」の出番です。先ずはその人数の多さに一驚しました。男声26名、女声21名、それにピアノ、打楽器の伴奏者と岡田先生を加えて51名の出演者がズラリとステージに並びました。その中には女子高生の姿も交っていました。曲目はモーツァルトの“Ave Verum Corpus”と小林亜星氏の「青春讃歌」の2曲。岡田先生の颯爽たる指揮ぶりと、それについて堂々と歌っている皆さんの姿を見ていたら、あたかもそこで楽友会の後輩たちが歌っているような錯覚にとらわれました。けれどもそれは夢想に過ぎず、実際に歌っているのは紛れもない「ワグネルのOB・OGとその仲間たち」であり、楽友会とのつながりを思わすものはただ岡田先生の後ろ姿と、女子高生の制服だけでした。

▼ コンサートも終わり、チョット複雑な気もちで外に出たのはちょうど日没の頃。このAnthologyの随筆欄に長谷、日高両君が感慨をこめて記した「夕映え」の美しさを思い出し、グランドやイチョウ並木を歩き廻ってみたのですが、そこにも既に昔日の情景はありませんでした。世の変転は実にクールです。一時の感傷を押し流し、目に見えない力によってこの世を変えてしまうのです。

今となっては、若いワグネルのOB・OGの皆さんに感謝しなければなりません。かれらは、楽友会がその存在を殆ど忘れかけていた名誉三田会長兼名誉指揮者の存在を私たち以上に大切にし、また、楽友会が全く忘れていた高校楽友会との提携活動を想起さてくれたのです。

▼ <我々ものんびりしてはいられない。楽友会や楽友三田会は今のままでいいのか。現状に満足するだけで、ただ年数を重ねてきただけではなかったか。すべて創立者任せではなかったか。新年会や交歓会はあっても、同期や同年代のごく限られた交友にとどまり、世代を超えた交流、それによって伝統的価値観や制度を維持共有するための意見交換や、その機会設定を怠ってきたのではあるまいか・・・>といった様々な思いに駆られつつ、一人わびしく家に帰りました。(オザサ・5月7日)

41年目の経験私は法政大学で教鞭をとるようになって41年目を迎えました。私の所属は工学部経営工学科です。昨年の4月から教学改革により新たに理工学部ができ、経営システム工学科が理事会の主導で設置されました。したがって、昨年度から経営工学科の新入生はいません。工学部経営工学科最後の学生は、3年生になったところです。彼らが卒業すると終わりです。

しかし、2年生の授業を受けなくてはならない積み残しの学生が全体では20名ほどいます。落第であったり、単位が取れなかったりした学生がいます。従来は、こういう学生たちは、下からあがってきた学生たちと一緒に再度授業を履修してきました。大勢の学生に埋没していますから、誰が誰やら区別がつきません。

ところが、今年は下からあがってくる学生は新学部、新学科の学生であり、カリキュラムそのものから違います。一緒に授業をやることはありません。したがって、とり残された学生だけでの10人ばかりの授業となりました。この科目は彼らにとって必修科目でこれを取らないと卒業ができません。

もう一度失敗することは許されません。なぜなら、来年度も同じように開講される保証がないのです。廃講になった場合は、新学科にある似通った科目を顔馴染みのない他学科のクラスで、しかも、今までと違う内容の授業を聞かなければならないかもしれません。これは彼らにとってものすごく不利な条件です。ですから、

「俺のこの授業で必ず単位を取って行くのだぞ」

「俺はお前たちの味方だ」

と最初の日に告げました。4月も終わりましたが、誰も授業をサボりません。みんな眼の色を変えて、教室に集まってくれます。彼らにとってもこんな授業は初めてですし、私にとっても41年目にして初めての経験です。なんとも教室に行くのが楽しみです。不思議な気分です。

母音でハモルのだ試してください。子音ではハモリません。ハモルのは母音です。ドイツ語は子音が多いです。ラテン系の言葉も日本語も母音が多いです。以下は、またフォー・フレッシュメンのお話です。

オリジナル・メンバーのドン・バーバー、ロス・バーバーそれにボブ・フラニガンの3人は兄弟・従兄弟でインディアナ州で生まれ育ちました。3人目のバスとなったケン・アルバースは1956年にメンバーになり、1982年まで唄いました。ケンはニュージャージーの生まれです。日本みたいに狭い国でも地方のなまりや方言に違いがありますが、アメリカも同様です。3人の母音とケンの母音が違うのです。それでハモラなくて困ったという話を「The Story of the Four Freshmen」という本の中で、ロス・バーバーが書いています。

日本語の母音は種類が少ないので、少し練習すればハモルようになりますが、母音の種類が多い言語ではちとやそっとではハモリません。英語の母音の発音をそろえないとジャズコーラスは成り立ちません。一人が英語っぽい、もう一人は日本語っぽいでは水と油です。

英語の歌ばかり唄っている合唱団があります。東京バーバーズはバーバーショップ・コーラスの日本代表といえるグループですが、英語の母音をそろえるべく訓練しています。

それからもうひとつ。ビブラートは勘弁してください。プロでもビブラッているグループがありますが、一声聞いただけで興ざめです。ちりめんには気持ちが悪くて逃げ出したくなります。(わかやま・5月7日)


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