Editor's note 2009/1

Augsburgで出版された木版画集「人生の鏡」から
「合唱練習」・1475年
 「一年の計は元旦にあり」と申します。誰しも正月になると気分が改まり、来し方をふりかえり、行く先を案じるようになるものです。「72にもなって、まだそんな青臭いことを・・・」と自ら苦笑しないでもありませんが、この慣習はいくつになっても変わらないようであります。
 

 このホームページをたちあげたきっかけは、OSF男声合唱団という、楽友会古老の和やかな団欒の内にありました。そこに故郷を感じ「その来し方と、行く末を大事に見守っていこう」という思いが募り、この「新々・楽友」創刊に至ったわけです。

 当ホームページの「クロニクル」をお読みになった方は、上に「新々」と書いた理由がお分かりでしょう。最初の「楽友」は51年3月に会友の方々が創刊されたものです。次の「新・創刊号」は、その誌名を受けついで発足した「楽友会」の2期生が中心になり、52年11月に発行したものです。そしてそれは、手許にある現物―岡田先生にお借りしたもの―を見る限り、81年4月発行の第41号をもって途絶えてしまったようです。

 そこで、このインターネット版を「新々・楽友・創刊」と僭称するわけですが、更新を続けて半年、早くも大きな壁にぶつかっています。歴代の「楽友」編集者の悩みは、
 @原稿が集まらない
 A人手がたりない
 B金がない
という点で共通しています。そして、その悩みは今も変わりません。同じ悩みが続いている、それにもかかわらず、性懲りもなく新たな「楽友」を創刊したという事は、そこに何ものにも代えがたい、大切な意義が潜んでいると思ったからです。

 しかし、それを今ここで喋々することもありますまい。いずれ本文で明らかになっていくはずです。ただ一つ、この「新々・楽友」には従来の機関誌「楽友」にはない、IT時代特有の双方向性ツールを備えていることを強調しておきたいと思います。表紙の下の方にある「BBS」のことです。原稿を書く気がない、その暇がないという人でも、ここに投稿することくらいのことは簡単でしょう。

 この活用の度合いこそが、今後の「楽友」ないし「楽友会」発展の鍵であり、バロメーターであると考えています。もちろん建設的な内容の投稿を期待してはいますが、個人名をニックネームに替えたり、メールアドレスを記入しなかったりすることで、匿名性や自らのプライヴァシーを守ることも自由です。多くの投稿によって、「楽友」たち共有の故郷が、大事に守り育てられていくこと、それが新年の願いです。(09年元旦/オザサ)

年頭に当たり、HP技師カッパからもご挨拶申し上げます。めでたい人も大切な人を亡くして悲しんでいる人もいます。ですから、ここでは「おめでとう」とは言いません。

小笹編集長のいう「新々・楽友」はまさに今流のメディアを用いた機関誌です。楽友の楽友による楽友のための「楽友」です。

しかし、誰でもが気軽に参加してくるには、なかなか難しいものがあります。誰もが原稿をどんどん書いてくれると思ったら、なかなか書いてくれなかったりします。

編集長が挿絵用に古い版画の画像を送ってきました。そこで「版画、版画」と、古い版画の版を引っ張り出してきました。
 


丑年の版画(1961年制作)

昔は毎年、賀状のために版画を彫りました。その原版が、われながらよくぞしまってありました。上は48年前に彫った版画から刷ったものです。2種類ありました。

さて、版木は50年近くも乾燥されて、からからに乾いています。墨をかけても板が吸い込んでしまって、これだけの画像が刷れるようになるまでえらく手間が掛かりました。やっとです。板がしっとりと墨を含んでくれません。


年頭の一枚(画像クリックで・・)

賀状の枚数がピーク時には数百枚になり、手刷りの版画は半月も掛かります。乾かしては刷り、乾かしては刷ります。部屋中、ハガキだらけになります。

今では版画はやらなくなり、94年からペン画を、3年前から筆ペンで描くようになりました。

情けないことに老眼をしょぼつかせながら描いているのです。細い線が見えず、勘で描きます。(わかやま・ 2009年元旦)


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