記念文集(定演プログラム)

第13回定期演奏会プログラムより

虎ノ門ホール(1964年12月22日)


ごあいさつ

慶應義塾長 高村 象平

このたび、慶應義塾楽友会の第13回の定期演奏会が開催されますことをうれしく思います。そして本日御来聴下さいました皆様の御厚情に対して御礼申し上げます。

楽友会は創立以来、西洋音楽の源泉といえる宗教曲を主なレパートリーとして日頃確実な歩みを続けている義塾の誇る混声合唱団です。まだ力の至らない点も数々あることでありましょうが、150名余の会員が学業の余暇に、厳しい指導とはげしい訓練のもとに学生合唱団員としての自負と責任と、そして喜びとをかみしめつつ、音楽追求に打込んでいます。若々しい熱情と努力の一端をおくみ取り願えれば、会員にとってこれ以上の喜びはないと存じます。

今宵の演奏会について皆様の御批評をいただき、今後関係者各位の熱心な御指導と会員の一層の精進のもとに、義塾文化を担う責務を実践していくことを、私は期待している者であります。

楽友会会長 小竹 豊治

音楽というもののうちでも、とりわけクラシック音楽は、人の心を楽しませ、慰め、励まし、また心を洗い清め、美しくさせてくれる泉のようなものです。

ご承知のように、慶應義塾楽友会は、こいうクラシック音楽の好きな人々の集まりです。いまこの若さに溢れた塾生達は、一ヵ年間の音楽勉強の成果を皆様に聴いて戴こうとしています。

「音楽を聴く楽しさ」のなかで、この諸君の音楽へのひたむきな情熱と努力を、いくぶんでも、皆様が理解して下さるならば、大変幸福とおもいます。

讃辞を呈せずとも


楽友会顧問 有馬 大五郎

ワグネルが100回、楽友会が13回と慶應人の意気や軒昂たるものがある。輝かしい伝統のまえに、大きく慶應に向って裃をつけて讃辞を呈する必要もあるまい。人間のもつ長い習慣というものはおそろしい。だから塾の学生のやる音楽会は恰好が整っている。「誰がそれを創ったともなく」である。

その上に学生たちの合唱は例外なく上手である。どうかこれからも若人の熱意で、この怖るべき習慣を50年も100年も続けていってください。この約束さえしてくれたら、今日までのKEIO BOYSとGIRLSの楽界に対する貢献を認めてよい。

今夜も楽界の歴史に貢献の一つとして残るだろう。どうか歌いつづけてください。学生の息吹きは永遠に残る。この人たちは齢を重ねるとともに世の恩人といわれるだろう。

    

この年、大学楽友会は関西地区合唱界の名門・関西学院大学エゴラドと提携してJoint Concertを開始する一方、東京6大学混声合唱連盟(通称「6連」、他のメンバーは早稲田大学混声合唱団、東京大学柏葉会合唱団、ICUグリー・クラブ、青山学院大学グリーン・ハーモニー合唱団、玉川大学合唱団)にも加盟し、積極的な対外活動を開始しました。

左は、楽友会第13回定期演奏会のプログラムの1ページに載った、6連と関西学院大学エゴラドからの祝辞です(←クリックで拡大(pdf))。

下は、6連の第6回定期演奏会(1964年6月21日/於:東京文化会館大ホール)に初参加した時の記念写真で、楽友会は若杉 弘指揮、林 光作曲の「ゴールド・ラッシュ」で、華々しいデビューを飾りました。

 


6連初参加のお披露目演奏・東京文化会館大ホール (1964年6月21日)
林 光「ゴールド・ラッシュ」 指揮:若杉 弘

(若杉弘指揮による翌年度の6連演奏会光景が随筆コーナーの「高校・大学楽友会分離の頃/太田武著」にあります)

    


第13回定演プログラム
表紙デザイン:棚次 隆(13期)

プログラム I
  中田喜直「混声合唱曲集」
   T 「午後の庭園」
   U 混声合唱とピアノ「海の構図」
     1 海と蝶
     2 海女礼讃
     3 かもめの歌
     4 神話の海
   指 揮
: 市川  昭(商4・10期)
   ピアノ
: 倉橋満里子(文1・13期)

 

プログラム U
 Johannes Brahms “Libeslieder”(愛の歌)
   ☆ Rede, Madchen, allzu liebes
   ☆ Am Gesteine rauscht die Flut
   ☆ Wie des Abends schone Rote mocht’
   ☆ Ein kleiner, hubscher Vogel
   ☆ Die grune Hopfenranke
   ☆ Nein, es ist nicht auszukommen
   ☆ Wenn so lind dein Auge mir
   ☆ Am Donaustrande, da steht ein Haus
   ☆ Nachtigall, sie singt so schon
   ☆ Ein dunkeler Schacht ist Liebe

   指 揮: 若杉 弘   
   ピアノ
: 徳丸 聡子・鈴木 由美子

 

プログラム V
  Gabriel Faure “REQUIEM”
   1 Introit et kyrie
   2 Offertorie
   3 Sanctus
   4 Pie Jesu
   5 Agnus Dei
   6 Libera me
   7 In paradisum
         
指  揮: 岡田 忠彦
独  唱: 志賀 朝子
      築地 利三郎
オルガン: 佐藤 ミサ子
ハ ー プ: 山畑 松江
管 弦 楽: 日本室内交響楽団

    

出演者リスト(←クリック)


    

プログラム I 中田喜直「混声合唱曲集」

中田喜直先生を訪ねて

12月初旬、寒さの厳しい日の夕方、三鷹の中田先生のお宅へ伺ってまいりました。駅前の公衆電話で先生のお宅へ電話、2通りの道順を教わった。頭の強くない連中なので、簡単な道を選ぶ。ところが5、6分歩いてから、電話をして道を聞いたはずのI君いわく「二つの道を教わってごっちゃになってわからなくなっちゃった」と。そこで近くの雑貨屋で尋ねると「すぐ手前の道を左側に入って5、6軒目の左側ですよ」。聞き終ってI君いわく「僕の勘も冴えているね」(自分で電話して道順をきいていたんだからね)。玄関脇の郵便受けのかわいらしさに目をとられながらブザーを押す。母上のご案内で応接間へ。

I君:「お忙しいところ大勢でお邪魔いたします。今度我々楽友会では、先生の『海の構図』と『午後の庭園』をやらせていただく事になりました。それで今日は色々先生とお話ししたくて伺った次第です。Iと申します。こちらは三鷹の住人のR君、こちらが伴奏のMさん、こちらが先生にお手紙したK君です」
先生 「失礼しました。忙しかったものでお返事もさしあげず」
K君 「どういたしまして。こちらこそお忙しいところ申しわけございません」
I君  「こちらがバスのA君、そしてH君です」
といった挨拶までは堅苦しいムード。
先生 「まあ、お茶をどうぞ。角砂糖これ三つでいいの?」
母上 「それはこの前より小さいから三つでいいのですよ」
先生 「冷めないうちにどうぞ」
 こんな細かい神経を使っていただいてすっかり気分がほぐれてきました。至れり尽せりのご歓待に気をよくして、とび出した話。
A君 「楽友会もバスはいいのですがテナーが少なくて困っています」
先生 「日本人には本当のテナーは少ないのですね。 それにくらべてソブラノは割合いいますね」
H君 「女の子はヒスを起こすからですよ」
先生 「歴史というのはヒスのストーリーですからね」
 といった具合にウィットに富んだ先生のお話にすっかり感激。でも風邪をひいているH君は鼻がムズムズして困っています。
H君 「K君、ちり紙貸して」
K君 「ウン、チョット待って」
先生 「ホラ、これ使いなさいよ」
H君 「ワーッ、記念品になるな」
先生 「あまり音楽と関係ないね」
 皆の笑いの中にH君、先生からいただいたチリ紙をカバンにしまい、大切に家へ持って帰りました。段々本題に入り、今度やる曲について色々質問し、かなり時がたってから。
先生 「伴奏の方はいかがですか?」
M嬢 「先生の曲は、女声合唱のようなやわらかい曲しか知りませんでしたので大変とまどいました」
先生 「『海の構図』はチョットむずかしいからね。手がとどくかな?」
I君  「そういえば先生のピアノの鍵盤はチョット幅が狭いそうですね」
先生 「これはちがうけど、僕の部屋のは狭いですよ」
 帰りがけにお仕事部屋まで見せていただき、ピアノをさわらせていただいて、
M嬢 「オクターブが楽ですね」
先生 「とても具合がいいですよ。仕事の時はいつもこれ」
R君 「なるほど、楽だな」
先生 「これだとショバンやベートーヴェンも楽ですよ。ところでスキーはしますか?」
一同 「やります」
先生 「結局スキーと同じですよ。我々がザイラー並みに2メートル数10センチのスキーで滑るとうまく滑れないでしょう。日本で出ているピアノは日本人には大きすぎるのです。小さな手がいっしょうけんめい指を伸ばして弾くなんてかわいそうだし、無意味ですよ」
K君 「何事も日本人にあったものってのがありますよね」
先生 「何しろ外人にとってオクターブはたったの8度で普通10度位はひきますからね。だから僕は日本人の身体にあったピアノを作らせようと思っています」
 といったピアノの事にまで及び、話は尽きませんでした。最後に、先生に我々の演奏会に向けて何か一言、とお願いすると、
先生 「数少ない私の混声の曲ですが、楽友会の皆様に歌ってもらえて幸せです。一生懸命やってください。楽しみにしております」とのことでした。


第13回定期演奏会 虎ノ門ホール(1964年12月22日)
中田喜直「混声合唱曲集」 指揮: 市川 昭(10期)


編者注:
中田喜直(1923-2000)ファンは楽友会にたくさんいます。伴有雄(1期)君が第5回定期演奏会で「女声合唱曲集」をとりあげ、第7回では若杉弘(3期)君指揮による「子供のうた」と続き、女声を中心に愛唱の輪が広がりました。しかし、その混声合唱曲に挑戦し、演奏に先立って主要メンバーが先生を訪問したのはこれが初めてのことです。素晴らしいことでした。

第13回定期演奏会プログラムに、ユニークな先生の個性の一端が紹介されていました。きっと「午後の庭園」と「海の構図」も、内容の濃い名演となったことでしょう。文中、I君とあるのはこの定演で指揮をした市川昭(10期)君、M嬢はピアノ伴奏を務めた岩崎(旧姓・倉橋)満里子(13期)さん、K君は小林章10期・渉外担当幹事君のことと思われます。

なお今年4月「夏がくれば思い出す牛山剛著・新潮社」というタイトルで、中田先生の評伝が刊行されました。別掲写真はその本に載っているお写真の一つです。(画像クリック拡大)

    

プログラム U Johannes Brahms “Libeslieder”(愛の歌)

ロマンヘの招待

若杉 弘(3期)

冷い北風が落葉樹の葉たちを吹きちぎり、近づく新しい年の訪れを告げる頃になると、例年の楽友会の音楽会がめぐってきます。楽友会も、私が歌っていた頃からくらべて、すっかり成長し、幹の太い立派な合唱団になりました。それに加えて、年々春の訪れと共に若葉が芽をふくように、新しい会員が増え、はなやいだ歌声が一層高まってくるのを喜ばしく思っています。

楽友会もこれまで、数多く古典派の宗教作品を歌ってきましたが、 どちらかというと、ロマン派の作品に親しむ機会が少なかったようです。音楽の中に文学性が重んじられ、そしていわゆるうた(Lied)が確立された、ドイツ・ロマン派の音楽には、すぐれた声楽作品が、数えきれない程出たものです。これらは合唱を通じて音楽の歓びを分かちあう我々が、もっと歌ってしかるべきでしょう。

昨年はシューベルトの作品を演奏しましたが、今年はもう一歩、その円熟期に近づいてブラームスの作品をとりあげたのも、そうした意味からです。一人ひとりの会員がドイツ・リートを独唱することはできないにしても、 こうした作品を通じてリートの世界のすばらしさを体験してくれることは、これからの合唱活動のうえにも必要なことだと思います。

練習に際して、4人単位の重唱で歌ってもらったり、詩を読んでみたり、 これまでのマッスとしての合唱から、もう少しきめの細かいアンサンブルをやってこられたのも、こうした素材を選んだからでしょう。

いつも学校のキャンパスではなんのこだわりもなく話し合う人たちが、 ドイツ語で上品に愛を語ろうとすると、すっかり表情がかたくなってしまうようです。時々こうした詩的で遠まわしな表現は現代っ子には通じないのかな、 と淋しくもなりますが、今夜は、楽しいレントラー(舞曲)のリズムにのって大いにてれて歌うのも一興でしょう。

ブラームスはこの<愛の歌(Op. 52)>が好評であったため、続いて<新・愛の歌(Op. 65)>を書き、また前者の中から8曲、後者から1曲を選んで管弦伴奏に編曲したりしましたが、今宵は、前者<愛の歌>から管弦楽をつけた8曲に2曲をたして、原曲通り演奏いたします(64年12月16日)。


第13回定期演奏会 虎ノ門ホール(1964年12月22日)
ブラームス「愛の歌」 指揮: 若杉 弘
−クリックで拡大−

    

プログラム V Gabriel Faure “REQUIEM”

楽曲解説

皆川 達夫(顧問)

いうまでもなく、フォーレは近代フランス音楽の系譜の中で、きわめて重要な地位をしめる作曲家である。フランクの流れをくみ、サン・サーンスを師と仰いで、古典様式のうちに近代的な技法表現をゆたかにもりこみ、独自の抒情的な音楽を数多く創作して、 ドビュッシー、 ラヴェルらの印象派音楽の途を開いていった。

1845年カトリックの伝統強い南仏の一都市に生まれ、幼時から宗教学校に教育を受けたためでもあろうか、彼の信仰心はかなり強かったようであり、事実その生涯のかなり長い時期が教会オルガニスト、或は楽長としての職務にささげられている。恐らくこの間に古い教会音楽の傑作にも数多くふれ得たであろうし、その独特な旋律法、和声法、構成法など充分に体得したことであろう。たとえば近代的なDur、mollの調感覚に立ちながらも、その調性を曖昧にし教会調的な柔い抒情性をかもし出している旋律法や和声法など、フランス音楽の伝統といいながらも、まさしくこうした中世紀の教会音楽の影響に外ならないのであり、特にその宗教的作品にみられる楽曲構成法は―たとえば2声間の応答体、独唱と合唱との交唱体、独得のカノン技法など―中世以来のカトリック教会音楽の伝統をそのまま踏襲しているものなのである。

そうした意味で、この「レクイエム」は、フォーレのあらゆる作風を最も明確に、最も充実した形で示している作品である。 後にのべるように、カトリック教会は古くから色々の規則や、独特の表現などがあつて、なかなかやかましいものであるが、フォーレはこうした制約を何らの不自然さも感じさせずに、自己の中に摂取し、その上に近代的な抒情味の濃い彼自身の音楽を創造している。

その旋律はグレゴリオ聖歌の示す宗教的な高みに到っていながら、 しかも彼のいくつかの名歌曲を想わせるように美しく表情的であり、その和声や転調の工合などもきわめて斬新で大胆なものであるが、 しかも何ら典礼性と矛盾する所はない。内容的にもその高雅さ、明朗さ、平安さはカトリック教会の死に対する観念をよく表明しているものといえるのである。

元来Requiemというのはラテン語で「安息」という意味で、カトリック教会における死者のための典礼、つまり死者の葬儀のためにとりおこなわれるミサを示す言葉である。

もとより、 これは葬儀のための典礼であるから、通常のミサに比較すれば若干の部分に相違がみられる。

つまり通常のミサの不変部がキリエ、 グロリア、 クレド、サンクトゥス・ベネデイクトゥス、 アニュスデイの5章から成立するに対して、 レクイエムはまず“Requiem aeternam(永遠の安息)”で始まる入祭唱がつき、 グロリアが除かれ、代って“Dies irae(怒りの日)”が入る。更にクレドを除き、オッフェルトリウムが入リ、サンクトゥス・ベネデイクトウス、アニュスデイはミサと同様で、その後にリベラメ(死からの解放を)が歌われ、最後に柩が墓地に運ばれる途上に“In paradisum(天国にて)が歌われる。

作曲の直接の動機は彼の父の死にあるといわれ、1887年完成され、翌88年1月、当時彼が楽長職にあったパリの聖マドレエヌ寺院で初演された。尚フォーレは1924年11月4日79才の高令をもって世を去った。(この後に簡単な各曲の解説と歌詞対訳があるが割愛)


編者注:
上記解説とは直接関係ありませんが、この曲でオルガンを担当された佐藤ミサ子さんについてご紹介しておきます。別掲の紹介記事にあるように、佐藤さんは女子高から芸大のオルガン科に進まれた関係で楽友会とは縁が深く、この第13回定期演奏会の他、第18回(Handel: Dettingen Te Deum)、第19回(Faure:Requiem)、第34回(左同)の定期演奏会にもご出演いただいています。

高校時代の同期で親交のあった村瀬和子(3期)さんによると「高校時代から熱心なキリスト者で、カトリック田園調布教会のオルガニストを務めていらっしゃった。その関係で、99年11月の同教会の聖堂コンサートでご一緒に演奏させていただいたこともある」そうです。(オザサ)

 


FEST