記念文集(定演プログラム)

第2回定期演奏会プログラムから

日本相互ホール 1953/11/7


会のあゆみ

 

伴 有雄(1期・幹事長)



第2回発表会プログラム
表紙デザイン: 毛利 武彦

音楽愛好会の発足は1948年6月にさかのぼる。当時三田・三ノ橋にあった慶應義塾高等学校に文化団体連盟が創立され、愛好会もその一翼を担って出発したわけであった。

会長は当時から岡田忠彦先生で、高校1年生を主体に2年生が加わり10数名程度のものであったという。しかし、活動は小規模なもので、愛好会がその存在をはじめてハッキリと明確にしたのは、翌49年7月に開催されたザヴィエル記念祭に岡田先生の指揮により、国立音楽大学女子学生の応援を得ての宗教音楽の合唱によってであった。

同年10月及び12月の尾高尚忠、クロイツァ指揮、日響臨時公演のベートーヴェン「第九交響曲」への出演を経て、50年5月初めて慶應義塾女子高等学校との混声合唱団が結成され、6月18日日比谷公会堂での合唱祭から混声合唱国として活動が始まった。そして11月10日読売ホールで開かれた慶應義塾中等部主催、愛好会、女子高協賛での音楽会が、愛好会の最初の発表会となり、岡田先年の指揮でハイドン作曲「天地創造」が演奏された。

それから以後高校文化団体連盟、女子高生徒会所属の一団体として、日吉祭出演、レコード・コンサー卜、リサイタル等に活躍し、51年には男声が神奈川県合唱コンクールに参加するなどの一方、50年12月、51年7月のN響臨時、52月5月の東フィルの各「第九」公演、又、52年3月のクルトヴェス指揮、N響定期「ミサ・ソレムニス」への有志出演、放送等、多分に実力以上の活動をも為してきたのであった。

52年5月、卒業直後の第3期生を主とする上級学年会員からの要望により、日吉、三田の高校愛好会の卒業生と現役の愛好会々員とを包含する混声合唱団が、岡田先生を中心に計画され、同年6月有馬大五郎氏を会長、潮田塾長を名誉会長に、岡田先生を常任指揮者として、慶應義塾楽友会が約70名を会員として発足したのであった。

同年8月の山形県温海温泉での夏期合宿及び鶴岡市での演奏会は男声のみの参加となったが、12月26日YWCA講堂で楽友会の第1回発表会が開催された。岡田先生指揮によるハイドンの二つのオラトリオ「四季」及び「天地創造」からの各2曲を中心に、男声、女声、混声合唱及び特別出演の館野泉君によるピアノ独奏が含まれていた。非常に未熟な演奏ではあったけれども、楽友会の門出を祝すべき第1回の、そして始めて独力で開かれた演奏会として、我々の歴史を飾るべき発表会であった。これより少し前の11月には、今まで愛好会々誌として第3号まで発行されてきた「楽友」が、 新たに楽友会々誌として再創刊され、53年2月クルトヴェス指揮のN響定期公演「マタイ受難曲」への有志出演を経て3月に第2号が、9月には第3号が刊行された。会誌「楽友」は、楽友会顧門・皆川達夫先生を編集長として、会員の投稿を中心に、唯一の言論機関として活発な動きが期待されている。

8月には楽友会として最初の夏期合宿が、福島県猪苗代湖畔で混声約60名が参加して行われ、会津若松市で演奏会が開かれた。

一方、音楽愛好会は高校生徒会所属団体として依然として活躍し、52年10月の日吉祭参加、 同11月のNHK合唱コンクール出場、翌53年1月の放送、3月の生徒会主催の卒業生送別音楽会への出演等が、定期的なレコード・コンサート、リサイタル開催とともに、これ迄に記録されている。

我々の目的は音楽を通じての会員の人間的努力の一手段の獲得にある、そしてそこから個人の教養向上、相互の親和、そして塾を中心としながらも特に未来に於いて、我々の社会的責任の遂行としての何らかの形式、内容での日本文化への寄与が導かれよう。


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我々は技術の点に於いては勿論、それ以外の点に於いても極めて未熟であるし、又会組織、運管等についても修正さるべき点が多々あるであらう。しかし我々がこの目的に対して真剣に、着実に努力し続けさえすれば、この目的はそれなりに微々としてではあれ、立派に実現されることになるのではなかろうか。我々は若くありたい、可能性をもちたいと思っているのである。

研  究  曲  目

    1948 ミサ形式による合唱曲
    1949 「第九」
    1950 「第九」 「天地創造」
    1951 「第九」 モツァアルト「レクィエム」
    1952 「ミサ・ソレムニス」 「第九」 「四季」
    1953 「マタイ受難曲」「合唱幻想曲」フオーレ「レクィエム」
    1954 「メサイア」の予定


第2回発表会 日本相互ホール 1953/11/7
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編者注:
● 岡田先生からお借りした演奏会プログラムを随時転載していきます。残念ながら「第1回発表会」のものがありません。今回は「第2回」のものです。とてもあっさりとした装丁で全8ページでした。内容は次の通りです。

    表紙: 別掲画像
    表紙裏: 別掲(出演者氏名等)
    1ページ: 別掲(プログラム)
    2-3ページ: 割愛(フォーレ・レクィエムについての解説)
    4ページ: 上記本文(「会のあゆみ」と「研究曲目」)
    5ページ: 広告2点(「日本楽器」とLPレコードの「銀座ストアー」)
    裏表紙: 慶應義塾楽友会と高校・女子高校・音楽愛好会の名称のみ

● まだ編集に不慣れだったためか、氏名の誤植があったり編集者、デザイナー、筆者等の氏名が記載されていません。しかし、当時の状況と会誌「楽友」に掲載された並行記事から「表紙デザイン」は毛利武彦(高校美術科教諭)先生、「レクィエムの解説」は皆川達夫先生、又上記「会のあゆみ」が伴有雄君の手になることは確実です。
● 上記はその第4ページをOCRにより転記したものです。活字が非常に小さくて判読しにくく、また旧漢字等の誤認識が多いので適宜校正入力をしたり、年号をすべて西暦に統一したりしましたが、他はすべて原文通りです。
● 写真は当日のメイン・ステージの光景です。オルガンはまだリード・オルガンしか使えない時代でした。
● なお、岡田文庫には第1、第4回定期演奏会のプログラムが見当たりません。また、当日の演奏風景も残念ながら不明です。もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお貸しください。電子的に保存した後、すぐにお返しいたします。(オザサ記)

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