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楽友三田会会報第22号

岡田忠彦先生退任記念パーティ特集記事より

1992年2月9日 帝国ホテル

島田 孝克(6期)

44年にわたり慶應高校でご教鞭をとられ、楽友会の常任指揮者としてもご指導頂いた岡田先生のご退任記念パーティが、去る2月9日「帝国ホテル」にて盛大に開かれました。

私の楽友会(当時の音楽愛好会)は高校1年(昭和29年)のフォーレのレクイエム、フランクのミサ、モーツアルトの戴冠ミサに始まりますが、それは正に未知との遭遇であり、驚きと喜びの毎日でした。この時の宗教音楽体験がその後の人生に大きな影響を与え、今日も心の支えになっていることは私にとって最高の幸せです。また猪苗代湖の夏合宿や女子高での合同練習は懐かしい高校時代の「青春」そのもので、これらの想い出を作ってくださった岡田先生と先輩達には、心から感謝しています。

そこで、此の度のパーティは、長年お世話になった先生に細やかな想い出をお贈りできる又とない機会と思い、幹事一同知恵を絞りました。

当日は会員230名に現役60名も加わって、先生ご夫妻を「慶應讃歌」でお迎えし、安西英太郎氏(楽友会顧問)のご挨拶と乾杯で記念パーティは盛大に開始されました。

食事、歓談の間、藤田君(26期)の巧妙な司会により、0期の林光氏、小林亜星氏、小森昭宏氏のユーモア溢れるお話、岡田先生より拝借した古い写真のスライド上映、福井氏(5期)作曲の「岡田先生を讃える曲」のピアノ演奏などがあり、後半の、1〜7期の女声・男声合唱、現役、楽友三田会合唱団の合唱へと続く頃には会場の雰囲気も盛り上がり、フィナーレを飾る岡田先生指揮によるモーツアルトのレクイエムを全員で合唱するに至り、荘厳且つ厳粛な音楽の力も手伝って万感胸に迫る思いとなりました。この300人による大合唱は、恐らく楽友会史に残る最大イベントのひとつであったと言えましょう。

このあと記念品(旅行券・ペナント)と花束贈呈が行われ、岡田先生よりご挨拶を頂いたあと、もう一度先生の指揮で「青春讃歌」「若き血」を合唱、全員でお別れのアーチを組んで「丘の上」を歌いながらご夫妻をお送りしました。

このような盛大な記念パーティが出来たことは、ひとえに6期、16期、26期、36期の幹事たちが周到なる準備の上、各々の役割を見事に果たしてくれたことにつきますが、改めて慶應義塾の伝統と岡田先生の40余年に渡るご指導の賜物であることを深く感じました。尚、当日ご欠席の方も含めて多数の方々からご寄付を頂いたことに対し、紙面を借りて御礼申し上げます。

岡田先生にはこれからも機会ある毎にご指導頂けると思います。先生ご夫妻のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。(6期 島田記)


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「エンビ服」

 

岡田 忠彦


2月9日、帝国ホテルの退任パーティには、何かと大変お世話になりました楽友会顧問、安西英太郎先生をはじめ、草創期のメンバーの林光、小森昭宏、小林亜星、伊東毅の諸氏をはじめ、大阪、和歌山など地方在住の楽友三田会員から現役の学生諸君まで、300余名からなる大パーティで、44年間の私のささやかな会への貢献を祝福していただきまして、誠に身に余る光栄と恐懼感激いたしました。

ご出席の皆様また所用のため出席はできなかったがご支援賜りましたすべての皆々様と、このパーティのためにご尽力された役員と、当番年度役員の皆さんに、この稿をかりてここに深甚の謝意を表しますと共に、楽友三田会と楽友会に涯りない発展を念願いたします、有難うございました。

さて、昭和25年4月女子高校創立のとき、同校創立委員の故池田弥三郎先生と、初代校長故中村精先生の肝煎りで、日吉の音楽愛好会の男声との混声合唱が誕生し、早速日比谷公会堂に於ける”春の合唱祭”に、モーツアルトの「グローリア」で初舞台を飾りました。

またこの年の秋、中等部、女子校、日吉校の、3校合同による音楽会が11月10日、有楽町読売ホールで開催され、それこそ夏休みも返上し天地創造の猛練習を重ね、この記念すべき演奏会に総力をあげて邁進いたしました。プログラムの概略は、

○中等部全学年、各クラスの合唱
○器楽の演奏
○女子校の女声合唱
○日吉校の男声合唱
○オラトリオ「天地創造」

ピアノ演奏には、小島初子さんも出演され、フルートの独奏は峰岸壮一君、チェロ独奏は伊東毅君、そして自作自演、ロンド・ト長調ピアノ独奏、林光君(1950年作)。

また指揮者では女声合唱の中浜佑子さん、それに男声合唱の十合啓一君、そして超大曲、ハイドンの「天地創造」ですから午後12時半にはじめて4時過ぎまで、盛り沢山な音楽会でした。

この天地創造の独唱者には、当時中等部に居られた今は亡き清々しいソプラノの志賀朝子さん、志賀さんにはその後の楽友会定期演奏会にたびたび登場して頂きました。テノールは井上貞一先生、バスは横田孝先生、そしてアルトは、第3部の終曲大合唱のなかの鶴のひと声「アーメン」をひきうけて下さった川崎ハル先生。それにオーケストラ演奏をピアノで獅子奮迅の渡辺恵美子先生。この楽友会の伝説的「天地創造」の指揮では、エンビ服にその容姿をバーン!ときめました(?)。きめたそのエンビ服−何をかくそうそれは、親友故宇賀神敏道氏からの借物でした。



会友: 林 光  小林亜星  小森昭宏 (敬称略)


 ◆ ◆   

パーティに出席して

 

小森 昭宏(会友)


岡田先生に教えていただいたのは昭和25年(1950年)でしたから、何と42年も前のことです。先生は当時とほとんど変わりのない若さを保っておられるので、5・6歳しか違わない私達0期生のほうが年寄りの様にも思えました。現役の学生諸君のコーラスを聴いていたらつい高校の時の授業を思い出してしまいました。クラス全体をコーラスに見立てて1人ずつ指導をするのでしたが、私の前に指揮をした林光が「鳴らねぇコーラスだな」と言ったのです。42年前の話です。

それまでに何回かコーラスの指導をしたことはありましたが、指揮法を専門家に教えていただいたのはこれが初めてでした。林光はその頃もう有名な作曲家でしたが、私は医学部へ行くことで頭が一杯で、作曲家になるなどとは夢にも考えたことはありませんでしたが、今考えてみると、岡田先生のあの授業あたりから音楽の道に足をかけ始めたのではなかったかと思うのです。

曲がりなりにも創造である作曲を仕事にしていられることに満足しておりますし、その世界への道を指さし教えて下さった岡田先生に深く感謝申し上げております。

音楽の世界の定年は、演奏をやめたとき、書くのをやめたときです。岡田先生もますます御活躍下さいますようにお願い申し上げます。


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(楽友三田会会報第22号/92年5月発行より)


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