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活動報告

 

佐野 康夫(7期・幹事長)


1960年9月の定例総会で幹事長に選ばれ、同年11月の第9回定期演奏会終了と同時に副幹事長の安永さんを初め、他の幹事、学生指揮者と共に向こう1年間の会運営を担当することになりました。翌年12月の第10回定期演奏会終了までの13ヶ月間に亘り、何とか与えられた任期を務める事ができたのは役員全員の良き協力があったこと、在京先輩の良きアドヴァイスが得られたこと、そして会員皆さんが積極的に私ども幹事会の運営方法あるいは練習方法等について批判し、常に見守って下さったからに他ならず、未熟な私に寄せられた会員、先輩のご厚意に深く感謝しております。

さて、昨年末には創立10周年記念パーティーを盛大に開くことができる程、毎年着実な歩みを続けてきましたが、従来、会運営に関する資料、特に幹事会の記録、会計報告書、財産目録等の書類が不備であったことは否定できません。

私が選ばれた時、これ等記録の作成と共に、会の歴史も10年間の歩みと題してまとめるつもりでおりましたが、実際にはなかなかできず、歴史の方は当時の「楽友」係が担当して苦心の末簡単ながらまとめてくれました(「楽友」第18号参照)。(編注:左の内容は「楽友会定期演奏会記録」と題し、第1〜第9回までの夫々の演奏日・場所・全演奏曲目・各ステージ別の指揮者氏名を記したもので、その概要は写真と共に「50周年記念誌」に掲載されてものと同じである)。

しかし財産目録は遂に作成できずに終わってしまい、非常に残念に思うと同時に、次の幹事会の方々がぜひ作成してくださるよう願っております。こうした記録を整理し保存しておくことは何年か後に会の歴史が編集される際に、あるいは新幹事が仕事を始める場合の計画作成等の点でも貴重な参考資料となるはずです。次代の幹事会の方々が単に会を手際よく運営するだけでなく、その運営状態を記録し残していくことに、十分注意していただきたいと思うのです。

私が在職中なした仕事の内、満足できる唯一のものは「幹事会の記録」です。皆さんから多くの批判と共にいくつかお褒めの言葉も頂いておりますが、自分としても満足できるのはこの「記録」に他なりません。それを基にして、昨年1年間の活動状況を簡単に書いてみます。

☆60年11月: 第9回定期演奏会(於・青山日本青年館)終了と同時に新幹事、学生指揮者が就任。

☆同12月: 山陽地方(尾道・徳山・宇部の3か所)への初の演奏旅行の全交渉が終わり全慶連(全国慶應学生連合会)本部で契約書に調印(7日)。/大学の部:17日第10回定期演奏会における演奏形式について総会を開き、幹事会案を提出したが議場は大混乱に陥り(?)、結局幹事会に一任ということでケリがついた(この時提出した幹事会案は否決されたが、2か月がかりで最終決定。そのことは「楽友」第18号に書きましたのでここでは省略します)。(編注:それは当ホームページ「歴代幹事長語録」中の「第10回定期演奏会に際して」のこと)。

鐘紡丸子工場(長野県上田市郊外)から塾の峯村教授を通じてクリスマス会に招待され、男子大学生40名程で出かけて男声合唱を披露。交通費・宿泊費全額会社側負担。ギャラ3万円也。500名程の女子工員とフォークダンスやコーラスで楽しい時を過ごす(25日)。なお高校生は、3高校合同のクリスマス・パーティーを開く。

☆61年1月と2月: 学年末試験を控えているため、第10回定期演奏会で演奏するモツレクのレコード・コンサートを開いたこと以外、活動は低調。

☆3月: 上智会館(上智大学構内)において先輩も多数参加した卒業生送別会が開かれ(12日)卒業生10名(6期)に記念品が贈られ、卒業生から会に対して電池蓄音機(ママ)が寄付された。24日から1週間、山陽地方へ初の演奏旅行に出かけ、演奏は3月初旬からの猛練習のかいがあってかまずまずの出来。その他参加者(大学生のみ43名、内男子23名、女子20名。他に指揮者の岡田先生と伴奏者1名)相互の親睦を深めた等の副産物を土産として無事に帰京。交通費のみ各自半額負担。主催は各地の慶應学生会。一方、第5回3高校合唱サークル定期演奏会が共立講堂で開かれ(30日)各高校特色を生かした熱演に多数の聴衆から喝采を受ける。高校生も昨年夏以来の苦しい練習の成果が実を結んだようである。やはり演奏をうまくしようと思うと練習以外により効果的な解決策はありそうにない(高校、大学を問わず)。

☆4月: 演奏旅行から帰ると直ぐ大学3、4年の上級生約20名は新入生を迎えるため、さらには12月の定期演奏会に備えて強化練習(楽典とモツレク)を行う。同時に高校・大学とも部員勧誘の秘策を練り、各々新入生歓迎会等に出演して努力を重ねた。結果は女子28名、男子25名の確保に成功し、男女のアンバランスを解消するため男子には簡単なテストを予定したが、集合指定日にあまり集まらなかったので、その日に来た者は全員入会受理。現在員数は女子約14名、男子約15名である。

☆5月: 新入会員もようやく会に慣れ始めた7日に先輩も交えて新入生歓迎会を開く(於・八重洲ホール)。参加者は約110名位。大学においては文連に対抗して独立パート連盟(仮称)が結成され、文連に未加盟の楽友会も一時ここに籍を置いた。しかし後には立ち消えの如くなってしまった。第2週目を迎える頃から第10回定期演奏会を目標とする定期練習(火曜日/客演指揮者・伴先輩担当。木曜日/発声及び基礎練習・2期会の築地先生担当。土曜日/常任指揮者・岡田先生担当)が始まり、次第に熱が入るに及んで「厳し過ぎる」との声が会員から起る。下旬には大学生(演奏旅行のメンバー)は芝小学校同窓会に出演し好評であった。「お座敷」と呼ばれるものでギャラ5千円也。

☆6月: 先輩の中野博詞氏(2期・音楽評論家として活躍したおられます)を解説者に迎えて、1月以来2度目のモーツアルト「レクィエム」のレコード・コンサートを高校音楽室で開く。その後は高校生が修学旅行や中間試験のため、一時的に活動が停滞したが、先月中旬から起こり始めた幹事会、学生指揮者に対する批判に答える努力をしたがあまり効果はなかったようだ。会の活動がようやく軌道にのった、と判断した時に起こった批判であり、随分心を痛めたものでした。

☆7月: 例年行った夏休みを利用しての地方演奏会を、今年は計画しなかったため比較的楽であった。20日慶大通信教育部の開校式に参列し(於・日吉記念館)塾歌を斉唱(大学生のみ25名程)。ギャラは5千円也。この頃、高校生は3高校合唱サークルや日吉祭の練習に汗を流す。25日から1週間長野県の上林温泉へ合宿。3度目であるため準備の点では新たにすることが殆どなく非常に楽であったが、4年生の一部が就職試験と重なったため、不参加あるいは途中参加等足並みがそろわず、女性の幹事や役員に選ばれた会員には気の毒なことであった。合宿最終日には付近の中学校で小演奏会を開いたが、あまり良い出来ではなかった。しかし期間中病人が一人も出なかったことは幹事・役員一同にとって真に嬉しいことであった。また、会長の荒木先生(商学部英語科教授)をはじめ、客演指揮者の伴先輩、発声指導の築地先生も参加され、なごやかな内にも無事終わったことは、途中で帰京せねばならなかった私にとって最大の喜びであった。

☆8月と9月: 合宿の反省会(5日)。定期演奏会に向けての活動が始まり、8月中旬から9月初めにかけてのメイン・ステージ曲(モツレク)の個人レッスン、プログラムの作成準備にとりかかった。プログラム掲載用の広告を貰うため大学2、3年生は苦しい思いが始まったのであり、よい経験となったはずである。9日に幹事及び学生指揮者改選の定例総会が開かれた。その後は前期末試験のため活動は中断されたが、一方では第10回定期演奏会に国立音大から女性のエキストラを呼ぶか否かをめぐり、幹事会と常任指揮者の間で紛糾したが、結局常任指揮者の要望通り呼ぶことでケリがついたが、会運営に関しては後味の悪いものが残った。

☆10月: 定期練習が再開され、思ったより早く音感が取り戻せたので、次第に音楽が音楽として表現される程に進歩した。4月から半年の間、発声を指導してくださった築地先生との契約も今月で切れてしまいましたが、その成果はいずれ現れてくると思います。高校生は恒例の日吉祭に参加し、日頃の練習の成果を父兄および友人に示すと共に、若き日の喜びに胸をふくらませたことと思います。

☆11月: 優勝から見放された慶早戦のため、練習もスムーズに行われたが、大学生は中旬の三田祭に初参加し、日吉記念館で30分ほど演奏しましたが、音が後方の席まで届かず、期待に反する結果に終わったようです。が、こうした間口・奥行き共に広くて深い会場に慣れるという点ではよい経験になりました。皆川先生より春の演奏旅行の批評の切り抜きが寄せられましたが、それは演奏の批評ではなく、単に楽友会を中傷したものであることが後で分かり、特に対策を考えることはしませんでした。

☆12月: ワグネル・オケとの練習も週に3回の割で始まり、先月末、ややダレ気味であった練習も次第に真剣味を増し、晴れのステージで「これなら相当やれそうだ!」という気持ちが会員の中にあったようです。夏の合宿から始めた「混声合唱のためのコンポジション」も、作曲した間宮芳生氏に聞いて頂き、アドヴァイスを受けるという恵まれた状態にありました。16日には初めてソロがつき、国立音大の女性も参加したゲネ・プロが行われましたが、まぁまぁという出来でした。が、翌日文京公会堂で開いた第10回定期演奏会では、厳しい練習の成果が演奏の随所にみられたようです。プログラム、ポスター、入場券等のデザインも先輩の宇治氏に依頼し立派なものができていました。18日の夕方から、目黒の八芳園で楽友会創立10周年記念パーティー(編注:「10周年」と称するのは誤りで、本当は創立13周年である。第10回定期演奏会と創立10周年を混同したものと思われる)が多数の先輩、会関係者、現会員参加の下で盛大に開かれ、気持ちの良い印象を残して9時頃幕を閉じました。参加者はおよそ140名程でした。

私の任期中にとりあげた事は、ここに書いた程度です。これを活動報告として出すにはあまりにもお粗末極まりないものですが、お許しください。私が特に感じたこと、あるいは下級生の皆さんにぜひ伝えておきたいこと等々幾つかありますが、整理してから別の機会に載せて頂こうと思っています。

後記: 原稿締切日を何度も延ばしてくださった楽友係の皆さんに申し訳なく思っています。

(「楽友」第19号から再掲)


編集部(わか):
この原稿を書いたのは佐野さん(7期)が幹事長の頃、表紙のカットは村っチャン(8期)だというので、古い写真を引っ張り出しました。

解像度は悪いですが、佐野さんは卒業前の写真、村っチャンは大学1年生当時のものです。


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