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対話「楽友会の昔と今、そして伝統」

 出典:慶應義塾楽友会50周年記念演奏会(CD)


50周年記念演奏会でのトーク・ショー,2001

とき: 01年3月3日(土)
ところ:サントリー・ホール

対話者:岡田忠彦創立者/名誉指揮者)、林光小林亜星共に創立者/会友/作曲家)、司会は河村陽子8期の諸氏

編者注:この対話は、慶應義塾楽友会50周年記念演奏会場でのトーク・ショーを録音したCDから採録したもので、書き起こしについては浅海栄子(13期)さんの労をお煩わせしましたが、文章化の責任は一切「楽友」ホームページの編者にあります。

写真は当日の光景。左から小林亜星、河村陽子(司会)、岡田忠彦、林光の諸氏。(敬称略)



河村
皆様、本日はようこそおいでくださいました。ありがとうございます。

私は楽友会の8期の河村陽子でございます。元NHKのアナウンサーで、現在はNHK「ラジオ深夜便」という、真夜中の番組を担当しております。

さて、ちょっと舞台の上をこれから整えます間、お話しを、3人の方に伺って参りますが、初めにお二人にご登場いただきます。楽友会の創立は1948年でございますが、それから1991年まで、43年間にわたって私どもを指導して下さいました、大恩人の岡田忠彦先生。それからもうお一方は、創立時のメンバーのお一人でいらっしゃる、作曲家の林光先輩でございます。では、どうぞお出で下さいませ・・・。

あの、50周年を迎えまして本当におめでとうございます。今日の演奏会を迎えまして、先ず、今どんな お気持ちでいらっしゃいますか?

岡田

もうね、本当に長い間、この部員の方、それから先輩の方、恐らく今日も全国各地からね、卒業生の方、或いは海外からもね、お見えになっている方がおられると思う。そういった全ての楽友会の卒業生の方々に支えられてここの50年に到達した、と。そういうような感謝の念で一杯でございます。

河村

創立の時の仕掛け人のメンバーの中のお一人でいらっしゃる林先輩でいらっしゃいますが、やはり今日の、この50周年を迎えます今日の日の思いは、いかがでいらっしゃいますか?

林 

あのー、まあ、一応創立メンバーということになっているんですけれども。こんなに長く続くとは思わなかったんで(笑)、こりゃ大変なことになったと思って、しまったな、と・・・。とにかく、ですからこんなにね。ま、もちろん途中でね、楽友会合唱団になりました。こんなに長く続いて、しかも、現役だけではなくて、卒業生の大勢の方がずっと合唱を続けてこられたというのは、本当にOB、このOBっていうのはちょっと問題があるんじゃないかと、僕は思うんですけれどね、ええ、まあ、とりあえず使えば、OBの皆さんの、本当に素晴らしいエネルギーと、それから何よりもね、岡田先生のね、猛烈な元気、というか、遙かその後を追っかけて、もう少し頑張ろう、というような気持ちであります。

河村
昭和23年ということなんですね、その最初のキッカケは、その時、慶應高校ができた年。
林 

ええ、1948年に慶應高校ができました。これは新しくできた学校ですから、何にも無いんです。で、先生だって、半分は中学から上がってきた先生、半分は大学からやってきた先生で、高校ってものがどんな風になるか、分からない・・・何も無いところで僕たちがとりあえずやったことは、いろんなものを作ることで、先ず、演劇部を作る。

演劇部一つ作るのも大変だったんですよ。演劇部っていうのはちょっと、何となく女の子をナンパできるクラブとか、って思っている者もいましてね。二つか三つ、名乗りを上げて、それが、論争してですね、それで勝って、やっと演劇部ができたんです。その時に、今フルート吹いています峰岸壮一とか、或いは役者になってしまった日下武史とか、何しろ、何でもやってみたい、っていうのがいっぱい居ましてね。で、まず演劇部を作った。

さて、次に何かってんで、じゃあ、合唱団作ろう、っていって、で、音楽愛好会を作った。それで、ついでに学校の歌を作ろう、っていって。えー、それは途中でうまくいかなくてですね。挫折したんですけれども。とにかく作る。作ったものがどうなるか、っていうよりも、作ることが面白くて仕方がなかった、というふうな記憶が、一番鮮明に残っています。

河村
その時に岡田先生が新任の先生で、先生は大学卒業されて、新任でおいでになった?
岡田

ええ。西も東も分からないで、学校作るからいらっしゃいって、呼ばれて、入っただけなんです、ハイ(笑)。あまり話したことはないんですけれど、何といってもこの基礎を築き上げた大恩人が、2人いらっしゃるんです。その1人は、初代会長を引き受けていただいた、有馬大五郎先生ですね。NHK交響楽団の育ての親でございます。その方が初代会長。それから、混声合唱になってから・・・

河村
混声ということは、女子校ができて、という意味ですね。
岡田

女子校ができて、とにかくクラブ活動を扱った、学校として経験がないので、先ず、他の部はおいて、混声合唱をやるから、ちょっとやってみてくれないか、というので、陰の支えとなって下さったのが、池田弥三郎先生なんです、国文学の。

河村
私もお習いしました。
岡田

この池田先生が、表にはお出になりませんでしたけれども、常に私にですね。そういった激励をされて(拍手)。そして今、一つ心残りなのは、塾の、塾員の、或いは学生の中で、第二次世界大戦で亡くなった人達のレクイエムをですね、一度やってくれ、ということを果たせぬまま、果たす前に先生がお亡くなりになりましてね。

河村
先ほど、演奏の・・・(小林亜星さん登場)
小林
どうも、お仲間に入れていただきたい・・・
河村

どうもありがとうございます。先生のお宅には随分、こう、高校の時から、入りびたったという、ことばは悪いですけれども、なさったそうですね。

小林
あまりいえないですけれども。先生のお宅で高校時代から酒呑んでた、というのはまずいですからね。(笑)
河村

そうですか。どうしても伺わなくちゃいけませんのが、「天地創造」が、楽友会に、どういう意味のあるかを。ちょっと短めに(笑)お願いいたします。

岡田

今の、池田先生です。とにかく、(女子高)創立を記念して、何か、適当な曲をやってくれ、と。というので、たいへんムリをして、全曲をやったのです。

河村
第2部の方で歌います、レクイエムですね、モーツァルトの。こちらも大体、4年に一遍くらい・・・
岡田

ええ、それも第10回目くらいから。これを一つ、部の伝統的な音楽にしよう、ということになりまして。いつの間にか、大学は4年でございますから、4年に1回やっておけば、どこを当たってもですね。皆、この曲を知っている、という訳で。今日も先輩がたくさん来て・・・

河村
はい、ありがとうございます。小林先輩、遅くなりまして、恐れ入ります。
小林
(プログラムの予定時間が)だいぶ、のびちゃった。
河村
そうなんです。(笑)この後は「青春讃歌」を演奏するのですが。
小林
僕はね、林君とね、同じ学年なんです。先生の、やっぱり第1回目の生徒ですよね。
河村
「青春讃歌」にいきたいんですけれども・・・
小林

はい!なかなかいかないんですね(笑)。さっきから、そこで私も歌わしていただいたんだけれども・・・50年ぶりに。ほとんど口パクでしたけれどもね(笑)。

河村
この「青春讃歌」も今、楽友会の愛唱歌になっておりますが、26年前に作曲されたんですね?
小林

そうです。1975年、岡田先生に、「おまえ、何か1曲作ってみろ」とおっしゃられて、作らせていただきました。26年も歌いついでくださった、というのはすごく嬉しいです。ありがとうございます。

河村

素敵な曲でございます。それでは、このあとは「青春讃歌」でございます。作曲、そして作詞とも小林亜星先輩でございます。指揮は作曲者ご自身、そして、ピアノは林光先輩でございます。(大きな拍手)


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