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音楽活動に寄せて

草野 剛

音楽への憧憬! この事は楽友諸兄姉が常に胸中に宿し、脳裏に刻んでいられるのではないでしょうか。誠に慶賀の至りです。

戦前戦後を通じて日本楽界の最も誇りとする事は、音楽会の聴衆の7割は学生層がしめているということです。それが単に一つの趣味であっても、やがてはもっともっと掘り下げて専門的な研究への扉を叩く動機となるかもしれない事を思う時、それは大いなる楽界発展の要素となることはいうまでもありません。

戦後、学園内における音楽活動の活発な事は、戦前とはまた異なった分野において目覚ましいものがあるようです。それというのも諸君が、民主社会へのはっきりとした目標をもって歩んでゆかれ、それと同時に、音楽の社会性をはっきりと理解し、かつ又、音楽に対する自治的活動の責任を自覚せられている為であると考えられるのです。この事は、器楽活動において、合唱活動において、又鑑賞活動において、すべて当てはまるのではないでしょうか。

学生自らが、企画・準備・練習・発表という四つの段階を手際よく運んでいるのを、たまに見受けることもあります。私の教えている普通部でも、昔の中学3年と申せば、未だ一つの部をも自治的に運営する事は重荷過ぎたようですが、今日では漸く、自治的責任を感じてくれるようになったのでしょうか、例をレコード鑑賞会にとりましても、実に積極的に、彼ら自ら多くの機会をもつことを希望し、またそれ等の準備もすべてやってくれるようになりました。又、楽友の如き、音楽愛好者の機関誌を学生自らの手で発行している例も多くあるようです。誠に祝福せざるを得ません。なお一層の発展を心から祈ってやみません。

では、次に少しく老婆心となるかもしれませんが、音楽活動にあたって個人的に、又、団体的に自覚しておらねばならぬ事どもを記すことに致しましょう。

音楽への憧憬!これは単に表面的のことのみにせよ、誠にうるわしいことです。ある時はベートーベンに心をゆすぶられ、シューベルトに感激し、溢れるばかりの情熱をもって、只、何とはなしに音楽を感受し、満悦する事は実に尊いことといわねばなりません。

然し、なお一歩進んで、お茶を飲みながらでも、シューベルトを語り、ベートーベンを論じ、ドビッシーを探求する機会をもたれるならば、それは、何時も、歴史的に、知的に、又美学的に、確固たる基礎をもって行わなければなりません。正しい基礎をもつ事は、将来への自信を得る要素となるのです。シューベルトに憧れても、先ず、彼の正しい歴史を知ることです。あいまいであってはなりません。なお一歩進んで、ロマン派音楽とは何かを全般的に、正しく理解することです。ベートーベンを論じても同様です。先ず古典派の概略を調べることです。なお、モーツァルトとの比較ができれば更に結構、ドビッシーを探求しても同様です。印象派音楽の心髄を理解しなければ、彼の作品を云々することはできません。歴史がトンチンカンになっては駄目です。歴史的にも、知的にも、美学的にも充分な根拠を得てこそ、始めて音楽を正しく語り、論じ得られるのだと思います。単に、うわ面の不充分なものだけで、而も、主観的に語ることは禁物です。又、レコード鑑賞においても、それを只聞き流して、その美しさに感銘し陶酔しているまではよいのですが、自己の趣味に合致しないからとて、古臭いとか、近代音楽でないから幼稚だとか、近代音楽を理解できない者は、本当に音楽を理解できないのだ、といった様な事もちょいちょい耳にするのですが、歴史の変遷も調べる事なく、楽曲の価値を云々し得るはずがなく、又自己の趣味にすべての音楽を一致させようとする態度でなく、逆に、自己の趣味をすべての音楽に一致させるべく自らが努力することです。そしてあらゆる時代の音楽を理解し得るように広く趣味をもつことが肝要だと思います。

次に団体的には如何なる態度であるべきかということですが、自治的責任を自覚していても、それを一歩誤れば指導者を無視した事になるのです。正しい責任はあくまで、指導教師への相談と、指示を仰がねばならないことは言をまつまでもありません。合唱や器楽のアンサンブルは、特に、指揮者とメンバーとの緊密な協力の保持が必要です。さもなければ、完全な演奏は絶対に望まれません。完全な演奏を期待するならば、全メンバーは指揮者を絶対に信頼することです。

将来、もし諸兄姉が、内容の豊富な、心の創作意欲の優れた、芸術の理解者たらんと欲するならば、それは、多くの音楽経験の過程を、理性の上にも、感情の上にももたねばなりません。これはなかなか至難な事ですが、人間人格の完成の上にも欠くべからざる事だと思います。

Ars longa Vita brevis(芸術は永く、人生は短しといった言葉を、いつ迄もいつ迄も、繰り返し繰り返し味わいながら、芸術への精進がいかなるものか、そして、その心髄をつかむべく、究極をきわめるべく、静かに考えてみようではありませんか。−6月4日。


編者注:
上記は「楽友」第2号(51年8月刊)に掲載されたもので、著者は当時、普通部の音楽科教諭でいらっしゃいました。49年、普通部に合唱部を創設され、早くもその年の全国学生合唱音楽コンクールで、普通部に優勝の栄冠をもたらした指導者でもあり、そこから多くの部員が高校音楽愛好会に入会することになった、いわば楽友会育ての親のお一人です。

☆ 井上清君4期の追憶によれば、当時の普通部は天現寺にあり、草野先生は幼稚舎と普通部を兼務しておられた関係で、まだ幼稚舎6年生だった同君にも白羽の矢が立ち、普通部の制服を着てコンクールに出場した、ということです。後に幼稚舎の校医となった同君は、まだ幼稚舎におられた先生に再会し、健康管理面で師恩に報いたということです。


草野 剛先生(1947/4)

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